第4話(戦闘➀)




 神居南水上警察署、二階。


 廊下の両側には部屋が並んでいる。奥から『総務課』『地域安全課』『保護室』と続き、一番手前の部屋には立て札がない。矢上はそれに目を付け引き戸を開け放った。丸椅子に座っていた白衣姿の男と視線がぶつかる。そのまま右奥に進んでいって仕切りのカーテンを開けて回った。四つのベッドのうち奥二つに人が横たわっていた。最奥のひとりは仕切りを開けると少し首を傾け手をかざした。


「起きてください」

 う、ううんとうなって病床の上の男は寝返りを打った。

「ちょっと勘弁して下さい」といって嘱託医が駆け寄ってきた。「病人ですよ」

「いえ、彼は寝ているだけです」

「病人は皆そうでしょう」

「いや先生」とベッドから声がした。目をやると男はふたたび寝返りを打ってからゆっくりと上体を起こしてきた。「召集で来てくれたんです。彼は」

「頼むからもう少し静かにしてください」と嘱託医は溜息をついて背中を向けた。矢上が男に目を向けると、手の甲を見せてあっちに行けというように振ったので入り口まで戻って医者の様子をうかがい、なにか棚を探っていてもはやこちらを気に留めていなかったのですぐ部屋を出た。


 一分も経たずと男が出てきた。だいぶん小柄だが(矢上と比べれば大抵そうだ)、数十年物の肉と脂の付いた体で、うちに灯る熱い火を封じ込めたような目つき。きちんとシャツのボタンを留めネクタイも締めていた。そして口を開く直前、神経質そうに眉が震えた。

「どういうつもりだ」と吾妻アガツマ警視はいった。

「どういうつもりとは?」

「お前は司法警察員か」

「いや」

「違うなら住侵入か公務執行妨害で現逮だ。いやならさっさと出て行け」

「何があったんですか」

 吾妻警視の目が線のように細まる。「俺は証人じゃない(彼はその昔、証言宣誓拒否罪で不起訴になったことがあった)。何でもいて欲しいって顔をしてたかよ」

「今日は皆出てるんですね」と矢上は見回すような仕草をした。

 警視は溜息をついた。「何の用だ」

「メッセージ観てくれましたか」

「お前の連れじゃないんだぞ」と警視はいってスマートフォンを上着を探って引き出した。「うわ、何回電話したんだよ」

「出るまでするつもりでしたけど、直接呼びに行った方が早いって気が付きまして」

「俺を捕まえようってことか。良い根性だな」

たまには捕まるのも悪くありませんよ」


 警視は空の使い捨てカップを放った。低く美しい放物線を描いたがゴミ箱の口にちょうど当たって床に転がった。警視は重い腰をおこした。

「みんな応援にやったんですか」と矢上が繰り返した。

「ああ」

「貴方は?」

「人が居なくても、事件は上がってくる」

「でも寝ていたでしょう」

「さっき連絡が入った」と警視は拾ったカップを再度ゴミ箱に入れた。「春日井とかいう官房長官の娘、いま連絡が付いたんだと。大学生と飲んで騒いで気付かなかったらしい。まったくとんだ騒ぎだよ」

「それでは、脅迫電話は?」

「偽装かだろう。どのみち奥寺さん、いや本署の方は検挙する気満々だ。面子メンツが掛かってる」


 矢上は唾を呑んだ。「最近、南港の方でなにか変わったことは?」

「それが聞きたいことか」

「ええまあ」

「そうだな、ここ数ヵ月はちょっとした傷害や暴行、あと遠洋の密漁や密輸事件が海保から移送されたり」

「いつも通りだと」

「ああ。前にお前が奴も含めてだ」

「そうですか」と矢上は応えた。「それで、さっきの話ですが」

「まだ訊くのかよ」

「あと二つだけ」

「早くしろ」

「『ブラック・フラッグ』とかいうのは向こうが名乗ったのですか」

「いや。その名前は通称だ。内閣官房に本庁出身者がいてな、それのサイバー担当かなにかの分析だ。それにタレコミがあったんだと」

「誰の?」

「知らんさ。公安の連中のことだ。どうせ同盟国の諜報筋だとかなんとか……」

「それでは相手はテロ組織の可能性があって、しかし人質は無事だと」

「ああ。だから欺罔ぎもう作戦だろうって」

「本丸を取り逃がしたり、取りちがえたというのは?」

「まさか」警視は頬の青髭をなぞった。「そんな間抜けはあるまい」

「まあそうですね。人質の周辺は?」

「順次確認中だそうだ。終わったら警戒解除で家に帰れる」

「神居大でしたね。そのというのは」

「ああ」

「なるほど。有難うございました」

「なんだよ気色悪い」

「そういえば」といい矢上は振り返った。「今日の保管室の担当官は貴方ですか」

「そんなこと、教える義理があるか?」


 矢上は一階の、事務局の裏手にある休憩室からそっと三階まで上がり、接見室の向かいにある押収品保管室の扉にある小窓を覗いた。若い巡査が座っていたので矢上は吾妻警視からスリ取った鍵を差し込み、わざと音を立てて扉を開いた。巡査がはっと目を見開いて視線を向ける。

「ああ済みません。起こしてしまって」と矢上は笑いかけた。

「いえそんなことは」と巡査は恥ずかしそうに立ち上がり敬礼で応えた。「何の御用でしょう」

「交代の時間でこちらに伺いました」

「いえ、本官はまだ少し早いと思われますが」

巡回パトロールの人手が要るんです。少し前に招集があったでしょう」

「ええ」

「それで非番に声が掛かって。交代員が控えているもので」

「しかし自分は」と巡査は言い淀む。矢上は再び口端を緩めた。

「心配なら警視に確認をとってみては如何いかがでしょう。ちょうど今そこに居らっしゃったので」

「ではここを、少しお任せして構いませんか」

「ええ」

 巡査が外に出るのを見送ってから、矢上は急いで押収品棚を流し見ていった。5月3日、倉庫で事件のあった日だ。手袋をして横並びになった段ボールを全て取り出し、同じく立て掛けられてあった資料の中の検案書を確認する。『意識不明で横臥している被害者に対し、顔面への攻撃。創傷跡と整合するに、ゴム製の靴底を持つ厚靴、またはブーツによる打撃……』そこでページをとじた。倒れ伏す、無防備な相手を靴の跡が残る程まで攻撃するのは、強固な意志を持たなければ、並みの犯罪者には困難だろう。

 腕時計を見た。もう一分が経過。矢上は段ボールを開けて証拠品を確認したが、個人を特定できそうなものは何も無かった。間に合わせの鉄棒やレンチ、そして簡易ライター。ではさっき見た切傷はなんだ? 深さだけみれば鉄矢でも突き刺さったような傷口。矢上は踏ん切りをつけて段ボールと捜査資料を元に戻し、最後に密輸押収品を確認した。拳銃が幾つかと自動ライフル、ポンプ式と単発散弾銃が並べられ、弾丸はすべて排莢イジェクトされて並べられている。矢上は自分の片手で収まる小型(S&WでいえばJフレーム)の回転式拳銃を一丁、フレームを確かめ一番遊底スライドのがたつきがなかった自動拳銃とその弾倉を拝借してそれぞれ背中とベルトの隙間に差し、前に並んだ銃弾を各々十発前後掴んで部屋を出ると鍵を閉めた。


 制服を脱いでから外に出た。携帯の電源を付けると、連絡が入っていたことに気づいた。折り返すと聞き覚えの無い女性の声が電話口に出て、ひどくたどたどしい日本語で名前を尋ねられた。それに名乗ると少しの沈黙のあと電話口は男の声に変わった。

「北区、西国橋通、辻町三丁目」

「それで全部ですか」

「車は乗り捨てられていた」と血気盛ん、電話越しに飛びかかってやるというような荒い語気が返ってくる。

「なるほど」

「オマエはラン・チィンと取引をする気か」

「誰とも、一切取引はしない」

「いい答エじゃないな」

「それは忠告ですか」

「いいや」と電話口の男はいった。矢上は電話を切り、車に乗り込んだ。




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