第四話『SV650X』

 峠の展望台は、西日に染まり始めていた。

 涼(りょう)は、スマホのカメラを構え、完璧なアングルを探していた。被写体は、彼の愛車、スズキ・SV650Xだ。むき出しのトラスフレームが描く機能美。セパレートハンドルと、レトロなヘッドライトカウルが作り出す、精悍なカフェレーサースタイル。なめらかなタックロールシート。SNSにアップすれば、間違いなく「いいね」がたくさん付くだろう。

 涼がこのバイクを選んだのは、性能よりも、そのスタイルに惹かれたからだ。ありふれたネイキッドバイクとは一線を画す、ネオレトロという絶妙な立ち位置。跨ってみれば、スリムで軽く、まるで自分の手足のように操れる。そして何より、キーを捻れば目覚める、90度Vツインエンジンの鼓動。ドロドロと地面を揺らすそのサウンドは、彼の所有欲を完全に満たしてくれた。

「よし、完璧」

 最高の写真が撮れたことに満足し、涼はスマホをポケットにしまった。陽が沈む前にもう一本、この峠を往復しよう。このバイクの俊敏さを味わうには、このタイトコーナーが続く道が一番だ。彼は自分のライディングに、そしてこのバイクの性能に、絶対の自信を持っていた。

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 Vツインエンジンが、気持ちのいいパルスを奏でる。

 涼はリズムよく車体を左右に傾け、コーナーをクリアしていく。軽い。とにかく、このバイクは軽い。思った通りにラインをトレースできる。コーナーの出口でスロットルを開ければ、トルクフルなエンジンが車体を力強く押し出してくれる。最高に楽しい。

 下りのストレートに差し掛かった時、バックミラーに小さなライトが映った。古びた、空冷エンジンらしきバイク。乗っているのは、年季の入った革ジャンを着た中年ライダーだ。涼は、口の端に笑みを浮かべた。

(見せてやるか。最新のVツインの実力ってやつを)

 涼はペースを上げる。直線では簡単に引き離せる。だが、次のコーナーに差し掛かった瞬間、ミラーの中のライトは、まるで磁石のように再び彼の背後に吸い付いていた。

(なんで!?)

 焦りが生まれる。涼のライディングが、徐々に乱れ始めた。ブレーキングは強くなりすぎ、車体を無理やり寝かせ、スロットルの開け方も雑になる。SV650Xの懐の深いシャーシが、彼のミスを懸命に受け止めてくれているが、明らかにバイクと呼吸が合っていない。対照的に、後ろのライダーは、まるで水が流れるように、一切の無駄な動きなくコーナーをクリアしていく。

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 峠の麓にある折り返し地点。涼がUターンして登りへ転じた直後のヘアピンカーブだった。

 アウト側から、先ほどの中年ライダーが、信じられないほど滑らかなラインで涼をパスしていった。速い、というより、上手い。涼が必死に格闘しているコーナーを、彼はまるで鼻歌でも歌うかのように駆け抜けていく。

 涼は、レースを挑む気力さえ失っていた。ただ、その美しいライディングに魅入られるように、少し距離を置いて後を追った。

 肩の力は抜け、体はリラックスしている。視線は常にコーナーの、ずっと先を見据えている。バイクを力で抑えつけるのではなく、バイクが走りたがっているラインを、ただなぞっているだけのように見えた。

 展望台に戻ると、そのライダーはバイクを停め、自販機で缶コーヒーを買っていた。涼は、ごくりと喉を鳴らし、ヘルメットを脱いで声をかけた。

「…あの、めちゃくちゃ速いですね。何に乗ってるんですか?」

 プライドをかなぐり捨てた問いだった。男は、人の良さそうな笑顔で振り返った。

「速くなんかないさ。ただ、こいつと長いこと付き合ってるだけだよ」

 男のバイクは、よく見れば何の変哲もない250ccのシングルエンジン車だった。

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 男は、涼のSV650Xを一瞥して言った。

「いいバイクだな。スズキのVツインは、乗り手の気持ちに応えてくれる正直なエンジンだ。…だが、アンタはバイクの声を聞かずに、自分の叫び声ばかり聞かせているようだった」

 図星を突かれ、涼は顔を赤らめた。

「…どうすれば、アンタみたいに走れますか?」

 男は、飲み終えた缶をゴミ箱に投げ入れ、自分のバイクに跨った。

「簡単さ。曲がる先、行きたい場所を、ただ、じっと見るんだ。バイクは乗り手が見ている場所に、ちゃんと連れて行ってくれる。見栄や焦りは、視線を曇らせるだけだ」

 男は軽い会釈を残して、静かに走り去っていった。

 一人残された涼は、自分のSV650Xに視線を落とした。美しいカフェレーサー。だが、それはSNSを飾るためのアクセサリーじゃない。共に走り、対話し、乗り手の未熟ささえ受け止めてくれる「相棒」なのだ。

 涼はヘルメットを被り直し、エンジンを始動させた。今度は、Vツインの鼓動に、しっかりと耳を澄ましながら。

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