第3話 王の饗宴、毒のスープ
王都に戻った俺を待っていたのは、歓待ではなく「沈黙」だった。
依頼の成功報告をしても、ギルドの窓口は目を逸らし、上層の役人たちは口を濁す。
まるで、俺の手柄が“無かったこと”にされたように。
「……料理人風情が外交を動かすなど、あってはならぬのだよ」
背後で囁いた声は、王城の参事官リウスのものだった。
白い手袋をした指先で、書類を整えながら薄く笑う。
「オークとの交渉は確かに成立した。だが、それは王の使節団の功績として報告される。君の名は出せぬ」
「なぜですか。俺が作った料理で、あの場は……」
「それが問題だ」
リウスは瞼を半分閉じ、低く言った。
「君の料理は、“火を祝福させた”。これは宗教上の権威を揺るがしかねん。王の許しもなく、神の火を呼び出したとあっては――」
言葉の続きを聞く前に、俺は扉を閉めた。
扉越しに、リウスの乾いた笑い声が残った。
◇
モフと共に宿に戻る。
狭い部屋だが、火を起こせば十分に暖かい。
古書を広げると、いつの間にか新しい頁が増えていた。
『食卓は力なり。力を欲する者は、毒を欲す。
毒とは“偏り”であり、均衡を乱す旨味。』
「毒、ね……」
ページの端に、赤い染みが一滴。まるで血のように乾いていた。
嫌な予感が背筋を撫でた。
◇
三日後、王城から正式な召喚状が届いた。
“王自ら、食卓に君を招く”――それが名目だった。
だが、裏の意味は誰にでもわかる。
呼び出しとは、査問であり、脅しでもある。
厨房に入ると、すでに数十名の料理人が整列していた。
皆、王家直属の職人たち。
その中に、ひときわ派手な服の男が立っていた。
金糸のエプロン、宝石のついた匙。見た目からして貴族上がりだ。
「君が例の“料理で外交を成した平民”か」
男――王城料理長ドメルが笑う。
しかしその目は、笑っていなかった。
「今日は陛下のご試食会だ。各々、腕を見せてもらおう。ただし――」
彼の視線が俺を射抜いた。
「陛下に“異端の技”を見せることは許さん。神聖なる火を使えば、その場で拘束する」
モフが足元で震えた。
俺は静かに頷く。
「了解しました。ただの料理人として働きますよ」
◇
広間には長卓が据えられ、王とその側近、貴族たちがずらりと並んでいた。
香と花の匂いが混じり、空気が重い。
料理人たちは次々と皿を運び、歓声と笑いが上がる。
しかし王の顔だけは、終始無表情だった。
俺の番が来た。
用意したのは――野菜のスープ。
火も、香草も、古書の力も使っていない。
ただ、ゆっくり煮込んだだけの優しい味。
「質素だな」
ドメルが鼻で笑う。
俺は黙って椀を差し出した。王が匙を取り、口に運ぶ。
――次の瞬間、空気が変わった。
「……これは、何だ?」
王の眉が動いた。
周囲の貴族たちがざわめく。
王はもう一口、もう一口と食べる。
その頬がわずかに紅潮していく。
「体が温まる……喉の痛みが消える。医師を呼べ」
「陛下、それは……毒味を……!」
騒然となる中、俺は冷静に言った。
「陛下、それは“毒”ではなく“毒抜き”のスープです。
城の井戸水には、長く溜まった鉱毒が混じっていました。
香草〈灰眠〉と根菜を煮込むことで、体内の毒素を吸着します。
陛下の声の枯れは、それが原因です」
沈黙。
そして、王の笑い声が響いた。
「面白い! 火を呼ばぬ料理人、しかし火より熱い。
名を問おう。そなたの名は?」
「カイ。……ただの料理人です」
「よい。では、そなたに命じよう。――王国すべての食を改めよ」
広間が凍りついた。
ドメルが青ざめ、参事官リウスが立ち上がる。
「お待ちください陛下! この者は、異端の術を……!」
「異端かどうかは味で決まる。味は嘘をつかん」
王が言い放つと、誰も逆らえなかった。
モフが足元でぷるんと震える。
俺は一礼し、静かに息を吐いた。
(……料理で、王を動かした。けれど――)
心の底に冷たい影が残る。
火を使わぬ料理で救ったはずの王の目に、“支配の光”が宿っていた。
――食卓は、政治になる。
俺の料理は、もう単なる料理では済まされなくなったのだ。
◇
その夜。
厨房の奥で、ドメルが誰かと密談しているのを耳にした。
「……あのスープに“毒”を入れるのだ。
次の宴で、王を倒し、その罪をカイに被せる」
モフがかすかに震えた。
俺は火を消し、暗闇の中で息を整える。
「なるほど。次は、“毒の料理”で真実を暴く番か」
古書を開くと、闇の中で金文字が浮かんだ。
『毒を制する者、味を支配す。
毒とは恐れ、恐れを料理せよ』
夜の厨房に、静かな音――包丁がまな板を叩く音だけが響いた。
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