第3話 王の饗宴、毒のスープ

 王都に戻った俺を待っていたのは、歓待ではなく「沈黙」だった。

 依頼の成功報告をしても、ギルドの窓口は目を逸らし、上層の役人たちは口を濁す。

 まるで、俺の手柄が“無かったこと”にされたように。


「……料理人風情が外交を動かすなど、あってはならぬのだよ」


 背後で囁いた声は、王城の参事官リウスのものだった。

 白い手袋をした指先で、書類を整えながら薄く笑う。


「オークとの交渉は確かに成立した。だが、それは王の使節団の功績として報告される。君の名は出せぬ」

「なぜですか。俺が作った料理で、あの場は……」

「それが問題だ」


 リウスは瞼を半分閉じ、低く言った。


「君の料理は、“火を祝福させた”。これは宗教上の権威を揺るがしかねん。王の許しもなく、神の火を呼び出したとあっては――」


 言葉の続きを聞く前に、俺は扉を閉めた。

 扉越しに、リウスの乾いた笑い声が残った。



 モフと共に宿に戻る。

 狭い部屋だが、火を起こせば十分に暖かい。

 古書を広げると、いつの間にか新しい頁が増えていた。


『食卓は力なり。力を欲する者は、毒を欲す。

 毒とは“偏り”であり、均衡を乱す旨味。』


「毒、ね……」


 ページの端に、赤い染みが一滴。まるで血のように乾いていた。

 嫌な予感が背筋を撫でた。



 三日後、王城から正式な召喚状が届いた。

 “王自ら、食卓に君を招く”――それが名目だった。

 だが、裏の意味は誰にでもわかる。

 呼び出しとは、査問であり、脅しでもある。


 厨房に入ると、すでに数十名の料理人が整列していた。

 皆、王家直属の職人たち。

 その中に、ひときわ派手な服の男が立っていた。

 金糸のエプロン、宝石のついた匙。見た目からして貴族上がりだ。


「君が例の“料理で外交を成した平民”か」


 男――王城料理長ドメルが笑う。

 しかしその目は、笑っていなかった。


「今日は陛下のご試食会だ。各々、腕を見せてもらおう。ただし――」


 彼の視線が俺を射抜いた。


「陛下に“異端の技”を見せることは許さん。神聖なる火を使えば、その場で拘束する」


 モフが足元で震えた。

 俺は静かに頷く。


「了解しました。ただの料理人として働きますよ」



 広間には長卓が据えられ、王とその側近、貴族たちがずらりと並んでいた。

 香と花の匂いが混じり、空気が重い。

 料理人たちは次々と皿を運び、歓声と笑いが上がる。

 しかし王の顔だけは、終始無表情だった。


 俺の番が来た。

 用意したのは――野菜のスープ。

 火も、香草も、古書の力も使っていない。

 ただ、ゆっくり煮込んだだけの優しい味。


「質素だな」

 ドメルが鼻で笑う。

 俺は黙って椀を差し出した。王が匙を取り、口に運ぶ。


 ――次の瞬間、空気が変わった。


「……これは、何だ?」


 王の眉が動いた。

 周囲の貴族たちがざわめく。

 王はもう一口、もう一口と食べる。

 その頬がわずかに紅潮していく。


「体が温まる……喉の痛みが消える。医師を呼べ」

「陛下、それは……毒味を……!」


 騒然となる中、俺は冷静に言った。


「陛下、それは“毒”ではなく“毒抜き”のスープです。

 城の井戸水には、長く溜まった鉱毒が混じっていました。

 香草〈灰眠〉と根菜を煮込むことで、体内の毒素を吸着します。

 陛下の声の枯れは、それが原因です」


 沈黙。

 そして、王の笑い声が響いた。


「面白い! 火を呼ばぬ料理人、しかし火より熱い。

 名を問おう。そなたの名は?」


「カイ。……ただの料理人です」


「よい。では、そなたに命じよう。――王国すべての食を改めよ」


 広間が凍りついた。

 ドメルが青ざめ、参事官リウスが立ち上がる。


「お待ちください陛下! この者は、異端の術を……!」

「異端かどうかは味で決まる。味は嘘をつかん」


 王が言い放つと、誰も逆らえなかった。

 モフが足元でぷるんと震える。

 俺は一礼し、静かに息を吐いた。


(……料理で、王を動かした。けれど――)


 心の底に冷たい影が残る。

 火を使わぬ料理で救ったはずの王の目に、“支配の光”が宿っていた。


 ――食卓は、政治になる。

 俺の料理は、もう単なる料理では済まされなくなったのだ。



 その夜。

 厨房の奥で、ドメルが誰かと密談しているのを耳にした。


「……あのスープに“毒”を入れるのだ。

 次の宴で、王を倒し、その罪をカイに被せる」


 モフがかすかに震えた。

 俺は火を消し、暗闇の中で息を整える。


「なるほど。次は、“毒の料理”で真実を暴く番か」


 古書を開くと、闇の中で金文字が浮かんだ。


『毒を制する者、味を支配す。

 毒とは恐れ、恐れを料理せよ』


 夜の厨房に、静かな音――包丁がまな板を叩く音だけが響いた。

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