第8話 いつかちゃんと

ひよが社長に言ってくれた言葉の重みを勝手に感じていて。

愛する人の信頼を裏切るわけにはいかない。

いや、絶対に裏切らない。


だからひよが寂しそうなのも分かってたけど仕事ばかりの日々。

莉兎だって本当なら仕事は会社で終わらせて家に持ち込みたくない。

でもそれができないのは要領の悪さだと思う。

あれもする、これもする、全部する。

少しは手放したらいいのにそれができない。

何せ貪欲なもので。


そう過ごしている中でこれはめちゃくちゃ大きなご褒美がないとやってられんなとか思って。

こんな燃えて頑張ってるのに休みが土日だけ。

不満を感じて社長に直談判。


「成果上げる代わりに月曜有給使うからな」

わざわざ社長室へ足を運んで言えば

「いや、成果上げんでも有給は自由やぞ」

莉兎の勢いに驚きながら呟くけど

「ひよと二人分やで」

念押しで言えば「えー」と返された。

椅子をくるりと回転させながら「越智もかー」なんて顎のヒゲを触る。


「あかん言うても三連休とるから」

「越智はなぁ…必要なんやけどなぁ」

「まるで莉兎はどうでもええみたいやん」

「越智がおらんとなぁ」

「…ひよの仕事詰まってんの?」

「俺が寂しい」

殴ってやろうかと思うより手が伸びてた。

思う事よりも先に社長のデスクにあったボールペンを掴んで振り上げてた。


こういう時に迷いはない。

狙いは首、頸動脈を刺せばいい。


莉兎の行動に社長はビビって椅子を引いた挙句、立ち上がった。

それを追いかけようと地面を蹴って追い詰めれば

「や、めろ!本気になるな!」

必死に社長は逃げている。


こっちは忙しいねん!展示会の準備!段取り!何もかも!

時間がなくてイライラしてる中で来てるんやから分かれやアホ社長。


「ひよの事に関しては冗談通じん」

睨みながらボールペンを床に放つ。

社長は莉兎とひよの関係を知ってから無駄にイジってくる。

莉兎をこうやってからかうの、ほんまにやめた方がいい。

痛い思いをするのは時間の問題やと思う。

「分かった、有給の件も分かったから落ち着け」

「ひよがおらんと俺が寂しい?ふざけんな、撲殺するぞ」

「もう分かったって」

「舌切って二度と喋れんようにするぞ」

「ほんまにすみませんでした」

「ひよに変な気持ちを抱く事すら絶対許さんからな」

「お前、越智の事になるとしつこい」


物騒な形になったけど三連休をゲットできて。

その上、我慢したのはひよとの触れ合い。

触れてもぎゅうとちゅーだけ。

それ以上は展示会を成功させてからの最大のご褒美。

何かを我慢する事でご褒美欲しさに踏ん張れるから。


ぎゅうとちゅーをする中でもひよは誘ってくれた。

そういう雰囲気を出して甘えてきてくれたのにやんわり断る莉兎の心の中、苦しすぎた。

我慢しなくていいならニヤニヤしてめっちゃくちゃに抱いてた。

でもその雰囲気を崩して

「お腹空いたなー」

なんて髪を撫でながら空気を変えようと呟く莉兎にひよは短い溜め息。

ちょっと拗ねてた感じもあって心の中で「ごめんんん!」だった。






「…言うてくれたらよかったのに」

念願だっためっちゃくちゃに抱いた後。

幸福な気だるさを味わいながら話すあれこれ。

いつも通り素肌を重ねて腕枕。

布団で包まっているこの空間…どれほど欲しかったのか分からないほど。

久々すぎてやばい、たまらん。


「そうなんやけど…ごめんな?」

「んーん、理由分かったからいい」

「寂しかった?」

「めちゃくちゃ」

おぉ、隠す事なくストレートに言うやん。

でも莉兎も同じくらい寂しかった。

髪を撫でられる、その手が優しくてくすぐったい。

くしゃっと笑えばひよは溜め息を零してしがみついてきた。

「なーに?もうそばにおるやん」

背中を撫でる。

すべすべしていて触れるだけで気持ちいいひよの背中。


「あ、かん」

「何が?」

突然ひよの声が震え始めた事にドキッとする。

思わず離れて顔を覗き込もうとしたけど、ひよはしがみついて離れない。

だから背中を撫でる事をやめる代わりにぎゅうっと抱きしめた。


「莉兎が、おらんと…ほんま、無理」

「ひよ」

「もう、生きていかれへん…」

静かな部屋、やけに響いて聞こえたひよの言葉。

それはずっと反響しているような気がした。



心の芯というものはどこにあるのか分からない。

まず心の場所はそれぞれ違う。

胸をさす人もいるし脳をさす人もいる。

莉兎の中では胸だと思う。

考えるのは脳だけど、何かを感じた時じわっとしたりきゅうっとするのは胸だから。

その胸のどこかにある心の芯が震えた。

生まれて初めての感覚とひよの鼻を啜る音色に莉兎も何故か視界が歪んでいく。


これまで誰かに大事にされた瞬間もあったと思う。

でもそれは一瞬で消え失せてた。

自分自身、大事にしようと思った人もいたけど気持ちは持続しなかった。

母親にさえ大事にされなかったのに本当の所、大事にするって事自体何なのか分かってないのかもしれない。

それでも自分なりにひよを大事にしたいと思う、心から。


莉兎にとってのひよは一言で説明するには難しい。

愛する人。

一緒にいたい人。

大事にしたい人。

守りたい人。

そんなひよから零れた言葉は、まるで搾った果実みたいに甘かった。

その甘さが心にも脳にも口内にも広がって唾液が溢れる。


どれほど寂しい思いをさせたのか痛感する一言。

「ほんまごめん。幸せにしかせぇへんなんか嘘やな」

「ち、がうもん、幸せやもん…」

「ひより、」

ぐいっと押し倒してひよの上に覆い被さると長い髪がさらさらと落ちていく。

邪魔、と思いながら顔を近づけて涙を指で掬う。

「一緒。莉兎もひよりがおらんと生きていかれへん」

莉兎にとってひよは今を生きる原動力。

ひよがいてくれるから頑張れる。

失えば、もう生きる意味も理由もないほど。


伝えればひよは少し微笑むけど、莉兎の涙がぽたっと落ちた。

どうして泣くのか分からない。

ただ、こんな風に思える相手がいる事が嬉しい。


莉兎の人生なんてたかが知れてると言い続けた母親に告ぐ。

今、泣いてしまうほど幸せだと。

あんたにどれほど殴られても蹴られても煙たがられても暴言を吐かれても泣かなかった莉兎が泣いてしまうほど、幸せは甘くて温かい。


幸せすぎると涙が出るなんて知らなかった。

二人で泣きながら、でも何か照れ笑いをしながらキスをして。

今を噛み締めて言う。

「あいしてる」

「あたしも、あいしてる」

もう一度触れたキスは涙のしょっぱい味がした。





キスを紡ぐ。

泣いた後独特の鼻がツンとした感覚を味わいながらもう一度。

段々本気になっていくキス。

心も体も熱くて夢中になる。

ひよが唇の端から漏らす吐息と声を聞いて加速。

アクセル全開で突き進む。

一気に飛び出してもう後ろは振り向かない。


耳を愛でて何度も呼ぶ名前。

それに応えるように呼ばれる名前。

普段と違って呼び方が甘い、甘すぎる。

それだけでぶわっと鳥肌。


首筋を噛んで舐めて、軽くキスをして肩まで。

ガッと噛みつけばひよの体がきゅっとなる。

しがみついて漏らす甘い声。

痛みさえも感じてるのだろうか。

それならば本気のどえむ。

思った瞬間、笑えてきた。

ぺろっと肩を舐めていると

「な、にわろてんの…」

ひよは莉兎の髪を撫でながら問いかけてきた。

「痛いはずやのに鳴くんやなって思って」

「今の、ほんま痛かった…」

「でも感じてるやん」

「……うっさい」

「どえむやん」

「も、ええからはよ」

「なに?」

「続きして…」

その声に顔を上げて見つめれば「見んな」って怒られた。

くそ可愛いかよ。

でもそんなん言われたら逆にもっと見たくなる。

どんな表情も見たい、この目で捉えたい、見逃したくない。


鎖骨を愛撫しながらおっぱいを揉む。

男はみんな揉みたがる。

でも揉まれてもこっちとしては全く感じる事などない。

分かってないのか、分かってるけど揉みたいものなのか。

男とやってた頃は疑問だったけど今なら分かる。

単純にただ揉みたいものなのだと。


「ひよのおっぱい気持ちいい」

ニコニコしながら言えば

「雰囲気考えろ」

普通に怒られた。

確かに感想はいらないと思う。

でも言いたいんやもん。

「めっちゃ柔らかい…」

「おっぱい好きすぎやろ」

「好きなんはひよのおっぱいだけやで」

他の女のおっぱいは興味がない。

ひよよりも大きいおっぱいだってどうでもいい。

「当たり前やろ。他の女のおっぱいも好きって言われたら、」

「どうすんの?」

「もう触らせん」

「ひよだけです」

「よろしい」

揉むだけで数分。

それもこんな会話を繰り広げながら。

雰囲気ぶち壊しで悪いと反省してこれからは真面目に。


ひよを見つめながら言う。

「揉むだけでええん?」

答えなんて知ってるくせに意地悪さを発揮すれば莉兎の視線から逃れるように横を向く。

「い、や」

「どうして欲しいん?」

「言わんでも、分かるやん…」

「分からんもん」

何も知りませんというフリを続けながらおっぱいを揉み続ける。

下から持ち上げてむにむに。

揉んだら大きくなるってほんまかなぁ。

莉兎は大きくならんかったけど。


多分これまでの男達は莉兎を抱いてても全然満足しなかっただろうと今なら思う。

自分のぺったんこな胸、そしてこの減らず口。

更には性欲もそこまでなかったから。


考えながらひよのおっぱいを揉み続けている中、莉兎も我慢している。

触りたいけどひよに言わせないと気が済まない。

だってひよは羞恥に晒される事に興奮するのだから。

「り、と…ぉねがぃ…」

「なに?」

「揉むだけ、いや…」

「どうしてほしいん?」

「……ち、くび…さわって、」

ぞくぞくしてしまう。

でもまだ足りないとひよの顔を覗き込んで

「虐めて下さいやろ?」

意地悪く促せば

「虐めて下さぃ…」

頷きながら小さく呟いた後、唇を噛んでいる。

「ひよりいい子」

ちゅっとキスをして乳首に触れた。

親指の腹で押し潰してぐりぐりとすればひよはさっきとは違う、熱っぽい声を漏らす。


「触る前から硬いやん」

「言、わんで…っ」

「ひよりの乳首めっちゃ勃ってて硬い」

「も、ぃゃっ…ぁっ、んっっ」

「ほら、言われた方が感じるくせに」

親指の腹で押し潰す事に飽きたら根元をきゅっとしながらくりくりと動かす。

それが気持ちいいらしく、また跳ねるような声が漏れている。

「くりくり気持ちいいん?」

「ぃ、いっ…きもちぃ……っっ、!」

「これは?」

爪で先端を引っ掻くとこれまでと違う一番いい反応と腰が浮いている。

ひよはこれが好き。

爪でカリカリと引っ掻くと必ず嬌声を漏らす。

「乳首ばっかり触ってたら大きくなるな」

「い、やっ…ゃ、めっ……!」

「そのうち乳首イキできそうやん」

「そんなん、むり…っっぁ、あ、ぁんっ…!」


こっちが無理。

ひよが可愛すぎて無理。

乳首イキしたひよを考えるだけでめちゃくちゃ濡れる、やば。


カリカリし続けていた右手を離して口に含む。

ざらざらの舌の表面でぺろっと舐める。

舌の先端でチロチロと舐める。

舌の裏側を使ってべろべろと舐める。

舐め方一つでさえ、こんなにもある。


おまけに唇も使ってちゅうちゅうと吸う。

一番莉兎が好きなこと。

それにひよが悦ぶようにしがみついてくる。

背中に爪を立てながら。

ひよの快感をそれで推し量っている。

より気持ちよければ爪がグッと背中に食い込む。

莉兎にとってその爪痕は何よりも嬉しい痕跡。

だって一つ一つのアクションにひよが本気で気持ちよくなってくれた証なんだから。


「ぁ、かん、ちゅうちゅう…ゃっ……、」

「気持ちよくない?」

「気持ちぃ…から、ぁかん……っんっ、ん、ぁ、っあぁっ……」

ちゅうちゅうと吸い付きながら右手を下へ下へ。

内腿に触れるとひよは足を開く。

秘部はとろとろで潤いすぎているほど。

ゆっくりと周辺を撫でながら突起に触れれば腰が浮く。

可愛い反応。

乳首に触れた時のようにぐりぐりと押し潰したり擦ったり爪を立てれば

「も、むり…っイク…っっ……り、と…イク…っ」

ちゅぱっと鳴らして乳首から離れるとひよを覗き込む。

切羽詰まった顔だけど見られたくないのか背けている。

「イッたらあかん」

厳しく言えばひよの顔が歪む。

必死に我慢している様子がとてつもなく可愛くてたまらない。

ひよに何度もキスをしながら指先は緩めないで責め続ける。


「も、むり…っりと……っぉ、ねがぃ…っぁあっあっぁっん、んっっ……!」

「まだ我慢できるやろ?」

「むり、…っりと…っり、とっ……、!」

必死に名前を呼びながらしがみつくひよ。

顔を覗き込んで目を合わせて心を震わせながら

「ひより、イケ」

低え声で言えばひよは一瞬何とも言えない表情をしたけど全身を震わせながら足に力を入れて果てた。

もちろん甲高い声を出しながら。


その直後、体全部で呼吸して

「や、ばぃ……めっちゃ深、かった…」

とろけた声のまま呟いた。

「イケって言われてやばかったん?」

ちゅっちゅっとキスして笑えば背中を叩かれる。

ちゃうわ、という意味だと思うけど間違ってないと思う。

このどえむめ。

ばちくそ可愛すぎやろ。






「むり…」

「なに?」

「もっと欲しい」

ひよの目も雰囲気も全部、欲望に塗れている。

多分莉兎も同じ。


唇を舐めながらそのままひよのナカに指を挿入。

でも浅い所でストップする意地悪さ。

入口の辺りでぐちゅぐちゅと動かす。


こんなにも意地悪を連発するのは、さっきのえっちがあまりにも余裕がなかったから。

ひよを悦ばせるスパイスとして意地悪は大事なのに莉兎が耐えられなかったせい。

だから今はたっぷりと意地悪を繰り返してひよの乱れる姿が見たい。


「も、なん、で…っ」

「ここでも十分気持ちいいやろ?」

「嫌や、って…っも、りと……っ」

「ちゃんとお願いして」

ぐちゅぐちゅと浅い所でバラバラに動かす二本の指。

ひよは首を左右に振る。

それなら…と親指でまた突起を擦れば「違う」と言いながらも鳴く。


「ちゃんとお願いせんからやろ」

「する、するから、ぁ…っ!」

待ての体勢でひよと目を合わす。

ちゅっとキスされて涙の膜をゆらゆらさせながら

「奥まで…突いて…、」

小さな声で呟かれた声にニヤっとしてしまう。

「奥まで突いて下さいやろ」

「おくまで突いて、下さぃ…っぁ、ああっ……、!」

ぐっと二本の指をひよの奥に沈める。

きゅううっと締めつけて押し戻そうとさえするひよのナカはぬるぬるしていてとても熱い。


反応を見ながら沈めた指を引き抜いてまた奥まで。

繰り返しながら何度もひよはイッていいか聞く。

いいよと言えば体を震わせて果てる。


絶え間なく続くピストン。

そしてぐちゅぐちゅという水音。

ひよの声はどんどん漏れて淫らになっていく。


「も、っと…もっとし、て……っ!」

「ひより、ひより……っ」

「りと…すき、っすきっっ!」

「あいしてる、ひよりだけ。何もかも全部、莉兎のもん」

言い切ったらひよは細かく頷いて果てた。

イッていいって言うてないのに。

そう思いながらも全身で呼吸するひよのほっぺたにキス。


ハァハァとお互い言い合いながらの真夜中。

こんなにも全力で愛して愛されて幸せの真ん中ってここだったのかと思うほど。






指を抜けば、気だるい体のはずなのに俊敏にティッシュを渡してくるひよ。

恥ずかしさ故だと思うけど…可愛いやつ。

拭きながらふいに自分の指を見る。

「な、に?どしたん?」

「いや…もっと指長かったらなと思って」

そうすればひよはもっと気持ちよくなれたかもしれないのに。


そんな事をぼやけば足でとんっと蹴られた。

手癖も悪いけど足癖も悪い恋人、それがひよ。

「何で蹴んねん」

「アホ。十分気持ちええわ」

「そう?」

「何回イッたと思ってんねん」

「まぁ女同士って終わりがないよな」

笑えばひよも同じように頷いている。

男は一回出したら終わり。

そうじゃない人もいるけど大体は同じ。

でも女同士は出すものがないからえっちなんか延々と続く。

どちらかの体力次第でずっとだ。



ティッシュをゴミ箱に投げ捨てて、再びひよの上に覆い被さる。

何十回目かのキスをしながら至近距離でじゃれ合う。

「お前意地悪しすぎやねん」

さっきは「りと、りと」って甘ったるく呼んでくれてたのにえっちが終わった途端「お前」って。

まぁええけど…ひよにそう呼ばれても全然一つもむかつかない。

他の奴に「お前」と呼ばれたら罵声と共に噛みついてる。


「どえむ心が疼いて仕方なかったやろ」

ニヤニヤして言えばどつかれた。

……恋人をどつくってどういう事?

普通に拳骨されたんやけど。

しかも愛し合うという行為が終わってらぶらぶタイムやのに。

ちゅっちゅしてすきすきして愛を叫び合うような甘ったるい時間のはずやのに。


頭が痛いと押さえながら黙る莉兎にひよは

「ほんまええ加減にせぇよ」

怒ってるけど

「…意地悪も虐めもせん方がよかった?」

逆に聞けば沈黙。

今度はひよが押し黙る番らしい。

何やねん、やっぱりスパイスは必要やんけ。

ひよの反応を見て

「安心せぇ。もっと虐めたるから」

にぃっと威張りながら笑えばひよは顔をプイッと背けた。

「…別に虐められたくないし、」

「イケって言われたいくせに」

「ちゃう、て…あれは、」

「ぞくぞくした?」

「……ぞくぞくしすぎてやばかった」

「くそ可愛いな、ほんま」






お互いTシャツだけ着て煙草タイム。

えっちの後の煙草の美味さを噛み締めながら、ひよは冷蔵庫からコーラを持ってきてくれた。

莉兎がここに居候してから冷蔵庫にはいつもコーラがある。

自分で買わなくても常備してくれている。

それも何一つ言わず、当たり前のように。

ひよの生活の一部分に莉兎がいる証拠のようでくすぐったくて嬉しい。


プシュッと蓋を開けて一口飲むコーラの炭酸、はじけて喉がきゅっとなる。

いつも以上に美味しいと思う莉兎をよそにひよは水を飲んでいる。

お互い言葉はなく、それでもくっつきながら煙草を吸って流れる時間。

暗い部屋の中で時計を見る為、スマートフォンを傾ければ表示される午前一時半。


「眠たくないん?」

ひよに聞かれたけど首を捻る。

「何かハイになってて眠気がない」

「それならええけど…あたしの事は気にせんと寝ぇや」

ひよの不眠は相変わらず続いている。

莉兎が忙しさで一緒に寝られず夜中にベッドへ潜り込んだ時も真っ先にぎゅうっとくっつかれた。

まぁそれ以前に目を瞑っていたけど起きていた事は分かってたけど。


気になっているひよの不眠。

莉兎よりも遅く寝てもちろん早く起きる。

一体何時間眠れているんだろう。

それでも何も言わずに平気な顔をしてるけど心配するに決まってる。

「ひよ、寝れてんの?」

「…寝れてるけど」

「嘘つけ。全然寝てないやん」

「寝てるもん」

「……一回病院行く?」

少し考えてた事だ。

心療内科で診察してもらえば薬を処方してもらえるかもしれない。

そうすればひよは眠れると思う。

別に病気だと言ってるわけじゃないけど、少しでもひよが楽になるならそれでいい。


莉兎の思いとは裏腹にひよは苦い顔をしながら煙草の火をもみ消して立ち上がると

「絶対嫌」

吐き捨てるように言ってベッドに逆戻り、ごろんと寝転んだ。

「寝れんのは辛いやろ」

莉兎も吸い終わった煙草をぽんっと灰皿に捨ててコーラを一口。

見つめれば視線から逃れるように背中を向けられてしまった。

「辛くない」

無愛想な声。

やれやれ、と思いながら立ち上がって莉兎もベッドに逆戻り。


ひよにくっついて腕枕。

後ろから抱きしめながら

「病院嫌いなん?」

ひよの手をきゅっと握る。

「大嫌い」

「子供か」

「病気なんかじゃないし」

頑なに言った後、ひよは手を離してくるりと体の向きを変える。

莉兎を見つめながら

「その話はもうせんといて」

眉間に皺を寄せて呟く。


こんな反応は初めてだった。

そこまで嫌がられるとは思ってなかった。

ひよのために、と安易に考えすぎてたのかも。

でもこの嫌がり方は異様。

ひよの嫌悪感丸出しの表情と言葉が気になってしまう。


「…病院行った事あんの?」

「もうええて。うっさい」

その言葉とは裏腹にひよは誤魔化すように抱きついてくる。

ぎゅうっとされると顔が見えないから引き離そうとするけど、ひよはイヤイヤと子供みたいに縋り付く。

「教えてや」

「知らん」

「その反応は行った事あるんやろ?」

「忘れたって」

もうお前ウザイ。


そうぼやいてひよは雰囲気を丸ごと変えるように離れてキスをする。

それも触れるだけのようなものじゃなく、何度も何度も啄むように。

莉兎の唇を舐めて煽るようなキスを繰り返すひよにぞくっとしてしまう。

同じようにひよの唇を舐めながらしつこく言う。


「ちゃんと教えて」

「い、や」

「教えんかったら酷い事すんで」

脅しのような言葉を言いながらひよの上に覆い被さって見つめる。

長い髪がさらさらと流れてきてほんま邪魔って思っていたら

「ええよ、酷い事であたしを壊して」

ひよの手が莉兎のほっぺたを包み込む。

ふっと笑いながら待ち望むようなスタイルにめまいがしてしまう。

逆に煽られるとは想定外。


苦笑いする莉兎とは違ってひよは腕を首筋に絡めるとぐっと引き寄せる。

耳元で囁かれた

「はよ。いっぱい躾て」

その言葉にもう完敗。

「あとで覚えてろよ、ひよこ」

滾る莉兎にひよは平気な雰囲気で笑いながら

「抱き潰すんやろ?えろうさぎ」

耳元にちゅっとキスを落とした。






目覚めたら朝だった。

腕の中にひよがいないとシーツを撫でて起き上がればソファにいた。

「おはよう」

「お、はよ」

ぼーっとしながら状況の把握。

昨日、昨日…思い出すあれこれ。

散々えっちして夜中に寝落ちたんだった。


髪を搔きながら大きなあくび。

開けられたカーテン、外は天気がいいらしく洗濯物が揺れている。

「…何時に起きたん?」

「ちょっと前」

「てか、今何時?」

「10時過ぎ」

…ちょっと前に起きた、なんて絶対嘘。

洗濯物を干してる時点で早起きしてるはず。

あ、そうや。

昨日ひよの不眠に関して聞いたのにはぐらかされたんだった。

思い出しながらも寝起き早々に聞いたって答えてくれないだろうからタイミングを見計らおう。


忘れたフリをしてベッドから脱出。

下着を穿いてTシャツやショートパンツを拾い上げていると

「顔洗っといで」

ひよは煙草を咥えながら呟く。

「ちゅーは?」

「あとで」

「後回しかよ」

「はよせぇ」

Tシャツを着てショートパンツを穿いてもう一度あくび。

そんな状態でもちゃんと行動する。

ひよの言う事は聞く、それが莉兎。


シャコシャコ歯磨きをしてバシャバシャ顔を洗って。

やっとソファへ行くとテーブルにあったのはホットドック。

「朝ご飯、よかったら食べて」

ひよはスマートフォンを見ながら言う。

「あ、りがとう…の前にちゅー!」

「はいはい」

若干ウザイな感を出されながらもちゃんとちゅーしてくれる。

触れるだけのキスをして目の前のホットドックにわっくわく。

「いただきまーす」

たまご、おいひい。

食べ進めると今度は上に乗っかったウインナー。

その下は

「キャベツ?」

思わず見つめると黄色いキャベツ。

ひよは莉兎の反応に笑いながら

「カレー風味のキャベツ。昨日の夕飯もカレーやったのに悪いけどあたしが好きやねん」

そう言った後教えてくれた。

ひよの家でのホットドックは必ずカレー風味のキャベツが入っていたらしい。

それを聞きながらぺろりと一個食べてしまった。


「めっちゃ美味しいやん」

「ほんならよかった。まぁ、夕飯もカレーなんやけどな」

「カレー最高」

「ごめん」

ウキウキする莉兎とは逆にひよは申し訳なさそう。

何で謝るのか分からんと思いながら二個目のホットドックを手に取ったら

「二日も同じもん食べたくないやろ」

そんな事を気にしていたらしい。

「全然。カレー好きや言うたやん」

「前の男は嫌がったから」

「一緒にすんな」

大きな口でばくっと食べながらもぐもぐ。


作ってもらえるだけ有難いのに。

二日目のおうちカレーを食べるのが初めて。

カレーは二日目が美味しいってよく言うやん。

その美味しさはきっとレトルトでは絶対味わえんのに。

「ひおあんくっはもんはれんうおいひいん!」

「うん、何言うてるか全然伝わってないけどな」

「んぐっ!」

「コーラ飲めや」

急いで食べたせいで詰まりそう。

コーラのキャップを緩めて流し込む。

夜中は冷たかったコーラも今じゃぬるい。

ゴキュゴキュと飲んで溜め息。

それから

「ひよが作ったもんは全部美味しいって言いたかってん」

やっと伝える事ができた。

ひよは笑って「ありがとう」と言いながらくっついてくる。






朝ご飯タイムから煙草タイムにチェンジしながら思う。

ひよの睡眠時間はたかが数時間だろうと。

全然眠れてない事は行動が示している。

「昨日寝れた?」

煙草を吸いながらくっついたままのひよに聞く。

「寝れたよ」

「ふーん」

まぁ最初から素直に言うとは思ってないけど。

スマートフォンを片手に調べる、近くの心療内科。

一番近くにクリニックがあるらしい…と見ていたら

「お前、人の言うた事信じてないんか」

くっついていたひよが覗き込んできた挙句、パッと離れる。

「うん、信じてない」

「寝れてるから」

「嘘つけ。今日も早起きしたんやろ」

「してない、起きたの遅かったし」

「何時?」

「…九時くらい」

「九時に起きて洗濯して朝ご飯作るとかスーパーマンか」

「せや」

何をドヤ顔しとんねん。

冷めた目で見つめた後、視線をずらして開いていたページを見る。

病院選びって難しいなと思いながらも慎重に。

変な医者に引っかかりたくないし、そんな病院に金を払うなんて最悪。

でも心療内科のお勧めって聞かないからこそ口コミを読むしかない。


吸い殻をぽんっと灰皿に捨てて真剣な表情の莉兎に

「予約とらな診てくれんから無駄やで」

ひよは水を差すような一言。

「やっぱり行った事あるんやん」

「…あるけど、」

「合わんかったん?」

見つめれば溜め息を漏らしながらやっと打ち明けてくれた。

十年前、お父さんが亡くなった頃に行った事。

「この近くの病院で薬めっちゃ処方されたんやけど」

スマートフォンを置いてひよの方を向くとしっかり聞く姿勢。

でもひよはこっちを見る事なく、まっすぐ前を見ている。

ひらひらと風に揺れる洗濯物でも見ているんだろうか。


「寝れた?」

「うん。でも…あかんねん」

「何が?」

「悪夢」

その内容、ひよ曰くの悪夢。

家族が目の前で亡くなるような夢ばかりだったという。

そしてひよ自身は夢の中で体が固まって動けない。

助ける事などできず、亡くなっていく姿を見守るしかない悪夢。


「全部の薬がそうじゃないって分かってるけど、嫌やねん」

薬の副作用というのは人それぞれ。

こればかりは分からなくて薬を処方された、眠れたから安心。

そうじゃないと今やっと分かった。

ひよはきっと嫌という気持ちと共に怖いんだろう。


ぎゅっと抱き寄せて頭を撫でる。

「ごめんな、何も知らんくせに」

「んーん…心配してくれてありがとう」

「そんなんいくらでもするし」

ひよがゆっくり寝られるように莉兎ができる事って何だろう。

腕枕をして腕の中に閉じ込めるしかできないなんて。

莉兎の力だけじゃできない事もある、それが悔しい。

ただひよに安心して眠ってほしいだけなのに。


病院や薬はなし。

もっとひよが落ち着けるように努めなくては。

展示会で忙しくて一人きりで寝かせてしまって申し訳ない。

この先また展示会はあるだろうけど、今度はもっと上手くやりたい。


「で、リアルに何時起き?」

「七時過ぎくらい?」

「ちょっとでも寝た?」

「結構寝たし。激しいえっちのせい」

え、そうなん?

それはいい事を聞いたで。

莉兎しかできん事やーん。

「そうか…激しいえっちしたら寝れるんか」

ニヤニヤしながら言えば思い切り太ももを叩かれた。

痛い…なぁ、めっちゃいい音鳴ったやん。

「毎日は無理やからな」

「その気にさせるもん」

莉兎の得意分野やもん。

痛いままの太ももを放置して威張れば呆れられた。


コイツに何言うてもあかん。

そんな雰囲気たっぷりで。


「ひよが寝れるように頑張るから!」

「やかましいわ!」







お互いにメイクして服を着替えながら

「莉兎が準備してるんにつられたけど…どっか行くん?」

ひよは疑問符を浮かべながらジーンズにボーダーのサマーニットを着て立っている。

莉兎は莉兎でひよを見ながらニットって体のラインが出てえろいなと関係ない事を思う。

それを本人に言えばまたぶん殴られるから言わないけど。


同じようにジーンズを穿いて半袖のブラウス。

さらっとした生地で着やすいし、後ろのタックがアクセントになっていてお気に入り。


「これから家の内見」

このブラウスの生地と同じくらいさらっと言いながら鞄の中にスマートフォンを入れる。

持ち物はそれと財布に鍵に煙草だけ。

何なら今どき財布さえもいらないレベル。

スマートフォンでキャッシュレス決済はできるし、クレジットカードが一枚あれば買い物できる時代。

無駄に重たい長財布を持ち歩く意味なんてもうないに等しいけど一応。


はぁ?と言うひよの声を無視しながら出かける準備は整った。

約束までもうすぐ。

午後からの時間を不動産屋に言っておいてよかった。


「行くで」

「ちょっと待って。何も聞いてないねんけど」

「とりあえず出よ」

混乱したままのひよと外へ出る。

階段を下りて車に乗り込めば暑い暑い。

顔を歪めながらすぐにエンジンをかけて窓を開けたら風が舞い込む。

早速運転モード、しっかりひよとお揃いのサングラスをお互いかけて。


「今から見に行く物件は莉兎セレクトな」

「いつそんな事してたん」

「ちょっと前」

展示会の準備中から合間を見てはネットで物件探し。

条件を頭の中で並べて絞り込み検索を繰り返しながら決めた内見だった。

他にも候補はあるけど莉兎が惹かれた物件。


「あたしも探したりはしてたけど…」

「見て良さそうやったらそこに決めよ」

「いやいや、全部唐突すぎんねん」

「勢いは大事やろ」

ははんと笑いながらすぐ到着。

会社から近くとなればやっぱりこの辺りが利便性的に一番。


車を停めてサングラスを外していた所でひよは

「おい、待てや…」

こめかみに指を添えて外を見ている。

「なに?」

「ここのマンションめっちゃ高いやんけ」

「知ってるん?」

「今のアパート探してた時に見たわ」

無理やって、やめよ。


早々と諦め気味なひよを放置して車から出れば渋々ついてくる。

大きなマンション、外観のデザインもいい。

駐車場も広いし敷地自体が広い。


そこで待っていたスーツ姿の男、不動産屋の営業マン。

背はそこまで高くなくて小柄だけど物腰が柔らかく愛想笑いを浮かべながら挨拶してくれた。


呆れたままのひよと共に入っていくエントランス、もちろんオートロック。

エレベーターで上る五階。

そして突き当たりの角部屋。

入れば玄関の広さに

「「おぉー」」

まずそこから二人揃って驚いた。

色々と見て回ればどんどんわくわくしてきた。

更に営業マンの言葉も相まって加速する。


鉄筋コンクリートで南東向き、日当たり良し。

部屋の広さやトイレ、バスの綺麗さ。

収納の多さと共に納戸もついている。


ひよが溜め息を漏らしたのはキッチン。

「ええなぁ…カウンター」

見つめながらポツリと呟いている。


莉兎は莉兎で既に想像。

2LDKだから一つは寝室にしてもう一つはどうしよっかなーとか。

リビングも広いし悠々自適に過ごせそうとか。

ひよが作ってくれたご飯をダイニングテーブルに並べて向かい合わせで食べる事ができるとか。


もうひよとの暮らしが安易に想像できた。

こういうのって大事だと思う。

何も想像できないより想像できる、そしてわくわくする家がいい。






「ここに決めようやー」

ベランダを見て「広い」と喜んでいたひよに近づいて言えば

「アホ。家賃考えろ」

小声で言われたけど一人じゃなく二人なんやから余裕じゃない?

莉兎の考えが単純すぎ?

「二人やからええやん」

「家賃払った上で生活せなあかんねんぞ」

「余裕やん」

「あのなぁ」

「ここ嫌なん?」

「嫌じゃないけど、」

それならいい。

くるっと振り返って営業マンに前向きな返答をする。

キープしてもらってあとはひよを説得すればいいだけ。

営業マンは喜んで了承してくれて

「いいお返事をお待ちしております」

その言葉に

「多分ここに決めると思います」

ニコニコしながら言えばひよに背中を叩かれた。



マンションから車に戻って

「よかったよなぁ」

ウキウキしながら言えば首を左右に振られた。

「ないわ。贅沢すぎ」

「贅沢ちゃう。必要なもんやん」

「せめて1LDKとかやろ」

「莉兎の荷物多いもん」

「威張って言うな」

ひよはいまいち踏み出せそうにない。

夢の生活と身の丈にあった生活。

どっちを取るかと言えばひよは迷わず後者なんだろう。

確かにひよの言いたい事は分かる。


でも

「荷物云々よりあそこがいい」

車を運転し始めながら言う。

サングラスをかければひよも同じようにサングラスをかけた。

音楽のボリュームを少し下げて、ちょっとフラフラとドライブしよう。


「あんな広くなくてもええやろ」

「住んでたら広さも別に感じんて」

「子供できるとかなら分かるけど、二人やん」

まぁ確かに。

莉兎とひよはずっと二人。

増える事なんかない。

「そうやけど」

「あそこの家賃どんだけなん?」

莉兎が家賃を言えば「たっか!」って驚いた後「無理」と速攻拒否された。

2LDKで五階の角部屋、それなりにする。

でも莉兎だってちゃんと計算はしているつもり。


例えば

「家賃は莉兎が払うけど生活費はひよとか」

「却下。莉兎の負担がでかすぎる」

「ひよって細かいよな」

思わず笑いながら脳内で思い出す大型スーパーへ行った時の事。

勝手にお会計を済ませたら怒ってたっけ。

「当たり前やん。対等でおりたいもん」

「そもそも給料的に対等じゃないと思うんやけど」

窓を開けても暑い、イラつく。

クーラーをつけて窓を締めた。

何気に今年初クーラー。

莉兎は暑いのが一番嫌いだし耐えられない。

暑さに我慢なんてものはもう今の時代いらないと思う。


ひよの給料がいくらなのか分からないけど、莉兎の方が多いと思う。

基本給もそうだし何より営業の手当もある。

だからこそあの家の家賃くらい、と思う。

莉兎に痛い所をつかれたのかひよは黙ったまま。

多分ひよ自身よく理解しているのだろう。


「お金の事は大丈夫。気にせんでええ」

「あたしも住むのにそんなん、」

「あの家に住んだら頑張れる気がするんよな」

内見で想像したような暮らしが待っているのなら何だってできる。

今まで以上にひよとの暮らしを大切に守ろうと思える。


それに

「あのキッチンでご飯作るひよが見たいねん」

こだわる理由は単純だった。

想像した時、莉兎の中でパーフェクトだと思った。

一番見たい景色。


へらっと笑いながら握るハンドル。

赤信号で停車してひよを見れば

「それを言われると反対できんやん」

シートに背中を預けて呟かれた。

不動産屋の営業マンにいい返事ができそう。

テンションが爆上がりしそう、やばい。






「何か、結婚でもすんのかレベルじゃない?」

「せやな」

「結婚しよか」

青信号になってアクセルを踏み込みながら言えば

「いや」

驚くような返答で思わずひよを二度見した。


え、?

結婚したいと思ってたのは莉兎だけ?

何かちょっと内見の時点で密かに夢見てたのは莉兎だけ?


「莉兎の事遊びやったん…?」

爆上がりのテンションもだだ下がり。

おまけにアクセルを踏み込む足にも力が入らなくなってどんどん減速。

「言い方悪いな、お前。そうじゃなくて、ただ…」

「なに?」

「そのプロポーズはいや」

「何やねん、プロポーズに夢見てる系女子なん?」

「当たり前やろ」

ちゃんと目見て言われたいし。


流れる景色、窓の外を見ながらひよは呟く。

思ってる以上に女の子すぎてかわよ。

とりあえず莉兎と結婚するのは嫌というわけじゃなくてよかった。


法的にちゃんとできるわけがないのは分かってるけど、ええやん。

夢見てもええやん。

それに二人が了承して結婚したって言うたら結婚でええやん。

男と女でも紙切れ一枚やのに。

もちろん結婚にこだわってるわけじゃないけど、やっぱり憧れはある。


「いつかちゃんと言うから」

「…いつかとか言うてたら知らんで」

「なにが?」

何やその反応。

他にもひよに求婚しそうな奴がいるような言葉。


もしもそういう奴がいるなら?

とりあえず静かに抹殺しようと思う。

うん、それがいいと思う。

なんて物騒な考えを巡らせていたら


「先にあたしがするかも」


ひよの言葉にまた二度見。

あかん、運転中やのに。

慌てて前を向き直したけどニヤニヤ。

「何やそれ…」

「ニヤニヤしすぎ」

「ひよのせいや」

莉兎はほっぺたが緩み放しでひよは照れ臭いのか音楽のボリュームを上げた。

車内に流れるアップテンポな洋楽が雰囲気をかき消す。


いちいち可愛いねん、くそ。

運転中にドキドキさせんなよ、くそ。

莉兎かひよ、プロポーズするのはどっち?

分からんけどどっちだとしても幸せ。

二人の歩む道の先には幸せしかないと確信。

それはまさに最高の幸せだと思いながらアクセルを踏み直して少しスピードを出した。






行きたい所あるんやけど。

どこ?

莉兎の家。


その会話をしてから数十分後、久々自宅に到着。

ひよ曰く「物が多いって言うてたけどどれくらいあるんか見てみたい」らしい。

別にいいけど怒られるか呆れられるか…反応は両方やろうなと思いながら上る階段、三階まで。

「どうぞ」

鍵を開けて中に入っていく。

当たり前に何も変わってないなと思いながら振り返ればひよは玄関のドアを背に立ち止まっている。


「どしたん?」

「どう入れと?」

「飛び越えたらええねん」

「家の中でそんなアクションが必要なん?」

「アスレチック感覚やろ」

「ふざけた事言うな、笑えんわ」

莉兎の中では普通でもひよにとっては異常。

そりゃ確かにそう。

玄関は大量の靴が散らばっている。

言うとくけど大家族じゃないからな。

下駄箱の上はポストに入れられてた広告がバサっと積まれている。

それに出かける前につけた香水の瓶やアクセサリー。

いつ置いたかなんて聞かれても全く覚えがない。


フローリングは袋にまとめたプラスチックのゴミ袋の数々。

キッチンは一切使ってないから綺麗だけど、ただの物置きと化している。

小さな冷蔵庫の上に重ねたレンジ。

そこにも小物やたたまれずに置かれたタオルが山積み。


ある程度見つめたひよはひょいっとゴミ袋を飛び越えて入ってきた。

そのまままっすぐ数歩進めばリビングだけど、真ん中にダブルベッドという光景に後ろから溜め息が聞こえてきた。


「ベッド大きすぎ」

「欲しかったんやもん。これリクライニングできるんやで」

「え、マジで?」

「うん。でもリモコンなくしたから今はできんけど」

笑ったらもう一度、今度は深い溜め息を吐かれてしまった。

実はすごい機能のベッド。

角度調節ができる機械がマットレスの下についていて足元は電気もついたはず。

でもそのリモコンはこの部屋のどこかにあると思う。

どっかいった、と気付いた時に探せばよかったのにめんどくさくて放棄した。

マットレスも一番柔らかいものにして莉兎の安眠を守ってくれるベッド。

その時の貯金とボーナスで奮発して買ったくせに莉兎一人しか寝た事がない。

「チビのくせにこの大きさはいらんやろ」

「うっさい。寝る時は広い方がええねん」

「あーそー。もうあたしのベッドで寝るなよ」

「寝る!しがみついて寝る!」

「やかましい」






ベッドの周辺は服や漫画、ゲーム、メイク道具…溢れかえっている状態。

収納ボックスもあるけど服がパンパンで入りきらず飛び出しているし、何なら

「この段ボールなに?二箱も」

「あ、それ買ったけど放置してる服」

何せおしゃれは好きなもんで最早服しかないレベル。

「はぁ!?何で買ったのに放置?」

「開けるんめんどかったし、よぉ考えたら仕事の時ってウチのブランドの服着る事多いし機会なかったんよな…週末とか死んでたし」


こんなにも服があるのに結局着ずにあるものばかり。

タグさえも切ってない服たちはいくつもある。

ネットで見たら仕事の時着ようと思って買うくせに。

週末は一日部屋着のダルダルで引きこもり生活。

結果、無駄遣いしてただけ。

でも何か物欲モンスターになる時って誰でもあるやん。

その時はぶわっと買うんやけど届く頃にはどうでもよくなってる。


「もったいなさすぎて怒る気にもなれんわ」

「ひよが着てや。サイズ変わらんやろ」

「まぁ…そやけど」

こんな買ったのにほんまもったいなさすぎ。

何なん、アホなん?

アホでしかないやんけ、このアホうさぎ。


…怒る気にもなれんと言った二秒後にはもう怒ってるやん。

アホばっか言うてるやん。

黙って聞きながらも、ごもっともです…すんません、と耐える。


ベッドの上でさえ多分使ったであろうバスタオルや部屋着が散乱してる。

それを避けてベッドに乗っかってあぐらをかいた状態でひよを見てると

「…あかん、無理やわ」

首を左右に振ればボキボキ鳴っている。

静かな部屋だからこそ普通にその音色は聞こえた。

「何が無理なん?」

「もうウズウズして仕方ない。片付けよ」

「は?」

きょとんとする莉兎に

「あの家に引っ越しするんやろ?絶対せなあかん事なんやから今日やろ」

ひよは平然と言う。

突然そんなやる気を出されても。

このゴミ屋敷状態を見てや。

見えてないんやったら細部まで見てや。

今日中に片付くわけないやん。


「いやいや、無理やって。こんなん」

「一緒にやればできる」

「できんて。自分で言うのもあれやけど相当な量やで」

消極的な莉兎とは正反対にやる気に満ち溢れたひよは既に行動している。

服を軽くたたんだりしていて…いやいやいや。

ベッドに座ったままの莉兎にひよは

「頑張ったらご褒美あげる」

服を次々たたみながら言う。

「なに?」

「夕飯のカレーにカツ」

「つまりは?」

「カツカレー。まぁお惣菜に頼る事になりそうやけど」

「か、カツカレー…」

やばい。

それはものすごくそそられる。

唾を飲み込みながら莉兎もウズウズしてきてしまう。


で、でも

「どうやって片付ければええんか分からんし」

そこが問題。

何を一体どうすればいいのか、どこから始めればいいのか。

さっぱり分からないから手がつけられない。

短く溜め息を吐く莉兎をひよは見つめる。


「一緒にやったら大丈夫」

「…ほんま?」

「あたしがおるから大丈夫やろ」

ふふんと笑うその姿に莉兎も笑えてきた。


確かに。

一人じゃないから大丈夫。

莉兎だけなら投げ出す事もひよがいてくれたら。

ベッドから下りて首を左右に振るけど、ひよみたいにボキボキとは鳴らなかった。


「やるか」

「いい子」

「カツカレー楽しみにしてるからな」

「目玉焼きも乗っけてあげる」

「最高すぎ」


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