幸せにしかせぇへんから

つなしあらた

第1話 リアルガチ

今の会社を選んだのは徒歩で通勤できるから。

歩いて十五分、以前勤めていた会社よりずっと気分が楽。

通勤時間は短い方がいいに決まっている。

だって朝バタバタしなくて済むし夜だってすぐ家に帰れる。

以前はバス通勤だった。

毎朝混んでいて座れず立ちっぱなしなんて当たり前にあったし、夜は時間が合わず待つ事も。

それらが重なる度に今度転職するなら絶対近場の職場にすると決めていた。

今の職場は服飾関係。

仕入れた服やアクセサリーを取引先に卸す会社。

それだけを言えば華やかな職場だと思われがちだけど、あたしは業務をサポートする事務員。

キラキラした服に触れるより絶賛納品書と戯れる事が多い。

徒歩通勤と同じくらいに重視したのは服装の自由さ。

だって好きな服や好きなネイル、化粧や髪色で働く事ってモチベーションが上がるから。


午前八時、家を出る。

頭上には曇り空が広がっているけれど天気予報はちゃんと見ている。

今日は雨が降らない予報を信じて傘を持たずに出勤。

歩く度に少し長いブラウンのカーディガンの裾が揺れる。

黒いシャツと白いデニム、ヒールの高いパンプス。

前日の夜に服を選ぶけれどなかなかお気に入りのコーデ。

耳たぶにはゴールドのピアス。

これもきっと歩く度に揺れている。

肩にかけたバッグを気にしながら目の前は見慣れた風景。

住宅街を抜ければすぐ大通りが広がっている。

コンビニやスーパーが近くにあるし、比較的に静かだし立地は最高。

場所がいいけどワンルームの家は結構狭い。

物が多いからというより料理をする時に狭いといつも感じる。

ご飯を作る事は苦じゃなくて寧ろ好き。

だからいつもお弁当を作るし夕飯だってしっかり自分で作る。

何せ食べる事に関しての手間は惜しまない。

もちろん掃除や洗濯も嫌いじゃないし、結構家庭的。

見た目に反して。意外。

その一言は結構言われる。

確かに何度自分の顔を見てもヤンキー顔。

茶色のストレートロングの髪。

前髪を作ったら可愛いかも?

ぱっつんとか?

ちょっと横に流すとか?

そう考えて試した時もあったけど、恐ろしいほど似合わなくて結局分けたまま。

だからこそ余計強い顔面が強調されているような…。

黙って仕事をしているだけなのに

「越智さん、機嫌悪い?」

窺うように恐る恐る聞かれる時もある。

いやいや、普通にパソコン見てるだけやん。

内心思いながらもニコッと微笑むけど。


振り返れば学生時代からそうだった。

ガラが悪い。

強い。

目立つ。

鋭い眼光…ってそれは言い過ぎやろと思う事まで言われ続けた。

特別目立った行動はしてなかったはず、多分。

ただのギャルだった。

楽しい事だけしていたい。

やばい!とバカ笑いしながら友達と過ごす日々がいつまでも続くと思ってた。

当然そんな日常は刹那で二十歳を超えれば周りは続々と結婚、妊娠、子持ち。

結果、あたし一人が取り残されてもう三十歳。

一番早くに結婚、妊娠、離婚を経験した友達からは

「ひよ、あんた相手おらんの?」

ちょっとマジな雰囲気で心配される始末。

あたしだって結婚したい。

子供はいらないけど結婚はしたい。

いや…もう多くは望まない、できなくていい。

誰か一緒に生きて。

そんな事を思う日なんていくらでもある。

一人で作ったご飯を食べている時なんて最高に寂しくなる。

あと寝る時も最強に寂しくなる。

そんな瞬間はあるけどいないものはいない。

これまでの彼氏なんて浮気、DV、ヒモ…クズばっか。

もう男は無理!って思うけどあたしはまた懲りもせず恋愛をするんだと思う。

でも今度こそ見つける、あたしだけのスパダリ。


ワンルームに住む三十歳の独女。

それがあたし、越智ひより。

これで自己紹介が完結するとかマジで笑えん、クソすぎる。

あ、今思ったけど口が悪いから顔面の強さも際立つ。

お淑やかにいこう。

清楚でいこう。

誰に話しかけられても口元に手を添えてふふっと笑おう。


バカみたいな事を決心しながら辿り着く職場のビル。

腕時計を見れば八時十五分、いい時間。

エントランスからエレベーター。

押せばすぐ一階に降りてきた。

中に入ってボタンに触れた所で

「待って!」

カツカツとヒールの音色を響き渡らせながら走って来る姿が見えた。

誰か確認した瞬間条件反射で思う、閉めろ閉めろ。

あたしの中で緊急サイレンが朝から鳴り響く。

注意、危険、警告。

カチカチカチカチッと閉めるボタンを連打していると

「なんでやねん!」

ガッと閉まりそうなエレベーターのドアを掴んで無理矢理こじ開けられた。

その隙間に体をするりと滑り込ませて入ってくるチビ。

あたしよりも明るい金髪ロングの髪。

耳にはシルバーのピアス。

ガッツリのメイクにカジュアルスーツ。

あたしにとって要注意人物、降矢莉兎。

りと、なんてうさぎの漢字が入って可愛い名前とは裏腹に偉そうで口が悪い。

チビのくせに自信過剰。

でも誰一人何も言えない。

莉兎はこの会社の営業成績ナンバーワンだから。

誰もが難しいだろうと思っていた企業との取引を成功させたり、とにかく信頼が厚い。

そして周りを引っ張ったり引き込む力がある。

決して悪い人間じゃない。

去年、入社してきた若い男性社員がいた。

その子は同じようなアパレル会社で働いていた経験があったからなのか莉兎の傍若無人ぶりに楯突いた時

「莉兎の成績抜かしてから物言えやクソガキ!」

堂々と叫ばれてぐうの音も出なかった。

莉兎の態度はライオン並に大きい。

結局その男性社員は未だ莉兎の成績を抜かす事など一度もできていない。

でも何故か今は莉兎と仲が良い。

まぁ客観的に見れば王様と家来みたいな仲だけどその男性社員は文句一つ言わない。

そこが本当に不思議だけど全ては莉兎の魅力。


あたしが要注意人物に指定したのは数日前の事。

それまで莉兎とは普通に話すくらい仲が良かったけど数日前の飲み会の時、同僚のさえちゃんに彼氏ができないと嘆いていたら

「んじゃ莉兎でええやん」

斜め前で飲んでいた莉兎からぽんっと言われた一言で居酒屋の空気全体がストップした。

話を聞いてくれていた同僚もガヤガヤしていた周りも勿論あたしもフリーズ。

莉兎だけが焼き鳥を頬張りながらレモンサワーを飲んでいた。

一瞬ストップした空気が今度は熱気に変わって周りだけキャーキャー。

「え、いつから!?」

「好きやったん!?」

こういう話、ほんま好きよな。

女性社員たちははしゃいでからかって莉兎に聞く。

あたしはあたしで混乱の後、おもんない冗談言いやがってと白けてしまった。

みんなが盛り上がるようなお酒の席でバカにしやがって。

白けた後に沸き起こるのは腹立たしさ。

冗談や嘘でも言っていい事と悪い事がある。

それになんやねん、あの言い方。

男がいない、彼氏ができない、それなら莉兎でいっか。

そんな簡単なもんちゃうわ、ドアホ。

結局莉兎は周りに聞かれても華麗にスルーであたしだってその件に関しては無言を貫いた。


あの一言からあたしと莉兎の関係性に亀裂が入ったのは言うまでもなく。

仕事関連で話す事はあっても休憩中は話さない。

極力莉兎を避けていたのにこんな朝から二人きりになるなんて。

今朝の星座占いは何位だったっけ。

ぼんやり思いながら無言でオフィスがある七階のボタンを押した。

「なぁ、今夜空いてる?」

「空いてません」

「なに朝から怒ってんねん」

「ご自身の発言を顧みてはいかがですか?」

「飲み会の日の事やろ」

このクソエレベーター遅すぎんねん。

イライラしながらハッと気付く。

お淑やかに清楚にと思ってたのにその決意はどこへやら。

はぁぁ…全部このチビのせい。

余計にイライラしながら頭上の点灯していく数字を見つめる。

莉兎は壁に寄りかかってあたしを見つめながら腕を組む。

溜め息を零すけど、それ全部こっちがやりたい事やねん。

腕組むのも溜め息零すのもお前じゃないねん、クソチビが。

あぁぁあ、口の悪さだけは絶好調。

莉兎よりももっと大きい溜め息を吐いて

「冗談って周りを楽しませる事ですよ」

あたしはあなたと距離を取ってます。

それが伝わるような敬語を貫きながら言ったらタイミング良く七階に到着。

出ようとしたら莉兎が先に一歩踏み出した。

そしてあたしに振り向いたと思えば

「冗談ちゃう。本気や」

莉兎は真剣な顔をして言い放った後、歩き出した。

「・・ほ、本気?」

エレベーターの中で情けない声がぽつり。

本気ってなに?

ぐわんぐわんとそればかりが胸の中で広がってしまう。

そのままエレベーターを出て歩きながらも響く莉兎の声。

『本気や』

え、ちょっと待て。

は?意味分からん。

エコーのように響き続ける莉兎の声に合わせて心臓がリズムを刻む。

それに対してもさっぱり意味が分からず今日一日無事に仕事を終えられるのか不安になってしまった。




本気ってどういう事?

疑問符が浮かび続けて消えてくれずに仕事ではミス。

隣のデスクにいる同僚、さえちゃんに心配されてしまう。

「ひよちゃん、どうしたん?」

あたしより背が高い上にマシュマロボディの穏やかで優しい子。

心の中でいつも思う、男はこういう子に弱いと。

昔で言う「癒し系」のオーラたっぷりであたしとは真反対。

男性社員を見ていて感じるあたしとさえちゃんの違い。

仕事を頼む時あたしに対しては顔色を窺う所からスタートする。

でもさえちゃんにはみんな気さくに話しかけてお願いしていて。

あたしはそこまで恐れられる存在じゃないのに。

そう感じながらもさえちゃんに対して嫉妬や妬みはない。

寧ろ本当は忙しいくせに頼まれたら引き受けてしまうさえちゃんを守りたい気持ち。

何せ優しい上に可愛いんだから。

ちょっと性格はのんびりしているけど一緒にいると包み込まれているような安心感。

いつも仕事の愚痴を言うあたしを宥めてくれる。

まぁさえちゃんが入社してしばらくの間は恐れられていたけれど。

ビクビクしながらも必死に仕事を覚えようとしていたさえちゃんが懐かしい。


そんなさえちゃんが心配そうに問いかけてくれたけど

「大丈夫…何もないよ」

笑って仕事を進めていく。

パソコンにデータの入力をしながら時折鳴り響く電話に出る。

とりあえず午前中に納品書の整理を終わらせなければと思う反面、浮かぶのはさっきの莉兎。

真面目な顔をして言われた「本気」に戸惑いを隠せない。

本気ってよく分からないけど、それならどうしてあんな酒の席で言ったのか。

更にはその後の周りの声を華麗にスルーしたのか。

本気と言いながら本気じゃない?

まさかからかわれてるだけ?

でもそう思えないほどあの時の莉兎の顔は真剣だった。

本気というのは置いておいてあたしはどうすればいいのか。

自分の答えが一番分からない。

女の子と付き合った事などないし想像ができない。

何より相手がチビの莉兎。

あの偉そうな態度だけライオン級の莉兎。

ふわんと名前を思い浮かべた瞬間

「ひよ、これお願い」

後ろから莉兎に名前を呼ばれて体がびくんっと跳ね上がった。

振り向いて急いだ様子で書類を受け取る。

「なんやねん」

「やかましい」

「なんやねんしか言うてないんやけど」

「存在がやかましい」

「はぁ?」

「あっち行け」

顔を見ずに手の平でシッシッと追い払う。

これ以上あたしの脳内をかき乱すな。

頭の中でお前うるさいねん。

チビのくせに存在感でかいねん。

・・あれ?あたしの中で莉兎の存在が大きいって事?

「あー、もー!」

騒がしい脳内に対してイライラしたせいで叫んだらさえちゃんが頭を撫でてくれた。

莉兎は莉兎で何も言わない。

きっと踵を返して去っていったんだと思う。

「さえちゃん…」

「大丈夫。落ち着いて」

あたしを宥めてくれる癒し系。

今すぐさえちゃんのマシュマロボディを抱きしめたい。

抱えている事を吐き出したい。

でもそれは昼休憩まで我慢我慢。

気持ちを切り替えてまずは仕事を片付けよう。

奮起してさえちゃんに感謝をしながらもう一度パソコンに向き合った。



十二時過ぎ。

書類をダブルクリップでまとめて一旦区切りをつける。

「さえちゃん、先にお昼行ってて」

「大丈夫。待ってるから」

「ほんま優しいなぁ…悪い男に騙されるで」

心配やわ、なんて言いながら笑っていると

「ひよ、お昼行くで」

穏やかな雰囲気の中に割り込んできたのは莉兎だった。

「さえちゃんと食べるから無理」

「さえ、ひよもらうわ」

即答したのに即答返し。

唖然としながら書類を手放すあたしと莉兎を交互に見たさえちゃんは

「…私、今日は別の子と食べるわ」

空気を読んで立ち去るようにお弁当を持った。

あたしの背後を通る際、肩をポンっと叩いたさえちゃん。

その意図はなんなのか…まるで頑張れっていうエールのような。

「さえちゃん…!」

伸ばした手を掴んだのは莉兎でぐいっと引っ張られてしまう。

「行くで」

「莉兎とは行かん。ていうかもらうって何なん?あたしは猫か」

「猫やなくてひよこやろ」

何を当たり前の事言うとんねん。

そんな顔で莉兎はあたしを見る。

いや、あたしの名前はひよりやけどひよこじゃない。

むかつく奴、と悪態をつく前にぐいぐい手を引っ張られてしまう。

諦めるしか選択肢はなくて慌てながら鞄を持った。

オフィスを出てエレベーターで一階まで。

その間も手は掴まれたまま。

捕獲されたみたいで嫌気がさして振り解こうとしても全然無理だった。

どれだけ力あんねん。

チビのくせに恐ろしいと思いつつ外に出たら漸く手は解放された。

どんどん歩いていく莉兎の少し後ろを歩きながら居心地が悪い。

あんな形でオフィスを出てしまったし。

普通にみんな見てたし。

飲み会の一件は忘れてないだろうし。

変に勘繰られるような気がして昼休憩明けにオフィスへ戻る事を考えたら既に憂鬱だった。


辿り着いたのは会社近くの公園。

ベンチに座って莉兎は早速鞄からビニール袋を出してコンビニのおにぎりを食べ始めた。

もぐもぐと頬張る莉兎の横であたしも仕方なくお弁当を取り出す。

ハンカチで包んだお弁当箱の蓋を開けて小さく「いただきます」と呟くと食べ始める。

ミートボールに赤ウインナーと甘いたまご焼き。

そして昨日の残りのきんぴらごぼうにピーマンと鰹節を醤油で炒めたもの。

更には鮭フレークを混ぜたご飯…全部素朴だけど美味しい。

黙って食べ進めるあたしに莉兎は

「夜空いてないって言うから昼誘った」

おにぎりを口内に放り込んだ後ペットボトルのキャップを開けながら呟く。

「ふーん」

「今朝の話やけど」

「何」

「ひよの事本気で好きや」

「…その本気の度合いが分からんって」

ドストレートに言われるとは思わなかった。

横を向けば莉兎はまた今朝と同じ真剣な顔。

視線が絡まり合う、逸らしたいのに何故か逸らせない。


曇り空は朝よりも少し暗く。

遥か遠くの雲は心なしか黒いような。

まさか雨が降るんじゃ…天気予報の嘘つき。

帰る時に雨が降っていたら最悪だと天気を気にしている場合じゃないのに。

天気以外は穏やかな昼下がり。

小さい公園というわけじゃないから普段だとウォーキングをする人や犬の散歩をする人などがいるはずなのに今日はあまり見かけない。

やっぱり天気が影響してるのかなんて思っていたら

「本気は本気やん。芸人みたいにリアルガチ言うたらええんか?」

真剣な顔だった莉兎が笑う。

「リアルガチなん?」

「莉兎は嘘つかん」

「でもあの時みんなに何も言わんかったやん」

あの日の飲み会。

莉兎の放った一言で周りが騒いで質問責めされてたくせに。

「一番分かってほしい人に分かってもらえんのに何で周りの質問にいちいち答えなあかんの?めんどくさ」

「あんなとこで言うからやろ」

「全部ひよのせい」

なんでやねん。

納得いかない気持ちで混ぜご飯とミートボールを食べていると莉兎が赤ウインナーを奪っていった。

コイツに何度赤ウインナーを奪われてきたんだろう。

あたしがさえちゃんと仲良くお弁当を食べているといつもやってきて赤ウインナー泥棒をする。

最初は怒ってたけど、もう慣れてしまった。

だっていくら怒ってもコイツは盗人猛々しい。

もぐもぐと赤ウインナーを食べながら

「しつこいくらいさえに男できんって愚痴ってたやん。我慢できんようになって言うただけ」

莉兎はまるで文句を言うようにぼやく。

「しつこいって何やねん。ただあたしの願望を言うてただけやし」

「だから莉兎なら叶えられるて」

「…あたしのどこがええん?」

心の中で感じる。

莉兎は仕事面だけじゃなく恋愛面でも自信過剰だと。

確かあの時さえちゃんに言ってた願望は「優しくて甘やかしてくれるスパダリ」みたいな感じだったと思う。

今思い返すとどれだけ愛に飢えているのかよく分かって恥ずかしい。

でも莉兎とあたしは仕事上の付き合いしかない。

電話やメッセージのやり取りなんてほとんどしないしプライベートも不透明。

そんな仲なのにあたしのどこに惹かれたのか分からなかった。


足を組んだ莉兎は体をあたしに向けながら

「見た目と違って真面目」

ニッと笑う。

まぁ、確かにそうだと思う。

ちゃんとしてないと嫌。

不真面目な事はしたくない。


続けて莉兎は言う。

「見た目と違って繊細で脆い」

まぁ、確かにそうだと思う。

口が悪いくせにあの瞬間言い過ぎたかなとか寝る前に反省する。

傷つける事も傷つけられる事も怖い。


更に莉兎は

「あと、見た目と違って家庭的」

最後にそう言った後あたしのお弁当箱からたまご焼きを奪ってもぐもぐ。


うん、せやな。

莉兎って観察眼あるんやな。

それはあたしをちゃんと見てくれてるって事やんな。


全部間違ってない。

間違ってないけど

「見た目と違ってって一言が余計やねん」

思わず突っ込んでしまう。

いや、これは突っ込むべき。

仮にも好きな相手やろ。

その相手に対して失礼すぎる。

舌打ちしながら睨めば莉兎は

「つよつよの顔も好きやで」

笑って言うけどやかましい。

「付け足しみたいに言うな」

「うそ。ほんまはひよの顔めっちゃ好き」

「…そ、そんなん言われた事ない。みんな強いとかガラ悪いとか言うもん」

「ひよの初めてゲットー」

子供みたいにはしゃぎながら莉兎はあたしのお弁当箱から…ってもうええわ。

食べたらいいよ、好きなだけ。

あたしは食べる気が失せてしまった。

それよりも気恥ずかしい。

逆に莉兎は喜びながらお弁当のおかずを食べていく。

「恥ずかしいとかないん?」

「もうそのレベルは超えた」

「何それ」

「恥ずかしいより言いたくてたまらんし、それに」

「それに?」

きんぴらごぼうを食べた莉兎は嬉しそうに体を揺らす。

どうやら好みの味らしい。

多分美味しいの表現だと思うけど子供か。

溜め息を零すあたしをよそに

「莉兎はこんなんやから欲しいって思ったもんは絶対手に入れる。絶対なんかこの世にないって言うけど莉兎の中で絶対はあんねん。だから」

きんぴらごぼうを摘んだ指をぺろっと舐めた後で

「ひよの事も絶対手に入れる」

ニッと笑う莉兎の自信過剰さに呆れてしまった。

「何でそんな自信あんの?」

「莉兎をなめんな。そこら辺の男なんか見たくなくなるくらいにしたるわ」

「なぁ、何でそんな自信あんのって聞いてんねん」

「よかったな、スパダリ見つかったやん」

「お前、人の話聞けよ」

あたしは何も言ってない。

莉兎と付き合うとか何一つ言ってないのに。

その自信はどこから湧いてくるのか全く分からないけどご満悦な莉兎を見て笑えてきた。

そして潔く認めよう。

本当はちょっと、ドキドキしてる。

こんなにもストレートに言葉をぶつけられる事なんてないからドキドキしてる。

このチビ相手にドキドキなんて、と思うから本人には言うわけないけど。


腕時計を確認したらもう戻らないと。

帰って喫煙室で二人揃って一服の後、仕事再開。

莉兎は午後から営業に出かけるのだろう。

あたしはまた書類とパソコンとにらめっこ。

この先どうなるのか、なんて分からない。

考えても答えがあるわけじゃないしあたしは莉兎を観察する所から始めよう。

莉兎があたしをちゃんと見ていてくれたように。


「そろそろ戻らなあかんねんけど」

「うん、行こ」

「ピーマン残すなよ」

「莉兎の嫌いなもん入れるなよ」

「あーぁ、莉兎のためにピーマン炒めたのに」

「ひよ、そんなずるい事言うな。ピーマン嫌いなの知らんかったくせに」

「あぁーあ、莉兎が美味しいって言うてくれるかなって思ったのに」

「た、た、食べる…っ!いただきますっ!」

「チョロうさぎ」






仕事を片付けながらさえちゃんと交わす手紙。

莉兎の事を相談したらさえちゃんの文字は踊っていた。

『やっぱり莉兎ちゃんほんまに好きやったんやん!ひよちゃんどうするん?』

『どうしたらいいんやろう…びっくりしすぎて分からん』

隣同士の机、メモ用紙を渡せばさらさらと書いて返ってくる。

あんなにストレートに言われるとからかう事も威張る事もできない。

戸惑うばかりでバカみたい。

会社に戻ってから喫煙室で二人、煙草を吸った。

時代に追いつけず未だあたしは紙煙草。

対する莉兎は加熱式煙草。

「煙草、変えへんの?」

「これが一番吸いやすいから」

加熱式に変えようと思った事はあった。

挑戦もしたけどニオイや味が気に入らず、結局紙煙草に戻ってしまった。

何故煙草を吸うのかと問われても分からない。

ただの依存症かも。

ご飯を食べ終えた時、朝起きた時や夜寝る前。

まるで生活の一部のように吸ってしまう。

あとはイライラした時に本数が増えるのは若い頃から変わっていない。


それにしても莉兎と二人きりの喫煙室はいつもと違う雰囲気。

煙を吸って吐く、灰を落とす。

その動作一つ一つ、莉兎にジッと見られている感覚。

チラッと横を見ればやっぱり目が合った。

「…何?」

言いながら煙草を咥えて眉間に皺を寄せるあたしに

「別に何もないけど…見てたいねん、ひよのこと」

煙を吐く莉兎は柔らかく笑う。

「…見らんといて」

「照れる?」

「やかましい。調子に乗んな」

煙草の火をもみ消して喫煙室を出たあたしの耳が心なしか赤かった事、莉兎は気付いているかもしれない。


『とりあえず莉兎をちゃんと見ようと思う』

『それがいいよ。莉兎ちゃんも見てくれたんやから』

さえちゃんとの手紙でそう言いつつも莉兎は営業へ出かけている。

少し仕事が落ち着いた頃、莉兎のデスクへ行くと呆れた。

こんなにも汚くできるとはある種の才能。

書類は雑にまとめられ、デスクのあちこちに色とりどりの付箋が貼られている。

ダブルクリップやペンなどの文房具は出しっ放しの上に空いたままのグミ。

呆れていると横にフラッと来たのは莉兎と仲の良いマリコ。

背がすらっと高く、髪はショートで頼れる綺麗なお姉さん的存在。

「莉兎に用事?」

「そうじゃないけど…これは何とかならんの?汚すぎやろ」

「注意してもコレ。本人曰くこれが使いやすいらしい」

「絶対無理」

グミの袋の口を閉じる。

文房具はデスクの引き出し。

でも書類には触れない、本人が把握しているだろうから。

付箋は書き殴ったような文字の羅列。

莉兎の予定や会社にかかってきた電話の内容。

「片付けたらあいつ怒るかもよ?」

「怒ってきたら怒鳴り返したるからいい」

あたしの言葉にマリコは笑った。

熱心に片付けているあたしを見ながらマリコがぼやく。

「まぁ、ひよが片付けたって知ったら文句言わんと思うけど」

「それどういう意味?」

「そのままの意味」

きっとマリコは莉兎の気持ちを知っている。

莉兎本人が言ったのかそれとも感じ取ったのか分からないけど。

あたしは表面的な莉兎しか知らないのかも。

マリコの方が莉兎の事を知ってるんだと思う。


ある程度片付けたあたしは目立つ蛍光色の黄色い付箋にマジックで書いた。

『出したら片付ける事!』

机の真ん中にぺん!と思い切り貼ってやったら少しスッキリ。

「ひよって書いとき」

面白がるマリコに言われて仕方なく名前も書いておいた。

そのまま立ち去るあたしにマリコは楽しそうで

「莉兎早く帰ってこんかなー」

わくわくしている。

これに対する莉兎の反応は分からないけど、そこまで楽しみにしなくても。

昼休憩から帰った時の事務所の雰囲気を思い出す。

何となくみんなが注目しているようで居心地が悪くて。

でも莉兎はそれに対して素知らぬ顔をしつつ

「昼からもがんばろー!」

テンション高く意気揚々と営業へ出かける準備をしていた。


自分の机に戻ったあたしが横を見るとさえちゃんは温かい眼差し。

「さえちゃん、なに?」

「莉兎ちゃんのデスク片付けてるひよちゃん…何か愛やわ」

「いやいやいや、ちゃうから!」

勘違いして見守らんといて。

愛なんかじゃないのに。

ただ気になってフラッと見に行っただけなのに。


その後、営業から帰ってきた莉兎は

「勝手に触ったん誰やねん!」

一瞬吠えたけど付箋に気付いた途端、何も言わなくなった。

チラッと莉兎を見ればちょっと口元が緩んでいる。

「降矢さん、ニヤニヤして何すか」

男性社員に言われた瞬間、頭をばしん!と叩いて

「やかましいわ!」

怒っていたけど心なしか嬉しそう。

それを見つめていたら目が合った。

「ありがと…」

「余計な仕事増やさんといて」

素っ気なく言いながら俯く。

何か、ちょっと、くすぐったい。

莉兎の照れた「ありがと」がくすぐったく感じてこっちも口元が緩んでしまった。

変だと分かってるのに。



長い一日が終わった、と思ったら雨。

天気予報は見事に外れて最低な気分。

さえちゃんは車通勤だから送ってあげるよと言ってくれたけど断った。

何せさえちゃんの家とは反対方向だから面倒だろうし。

でもどうするかと思って雨雲レーダーを見てもなかなか止まないらしい。

仕方なく濡れて帰るしかないかも。

諦めながら外に出た所で手を引っ張られた。

振り返ったら莉兎。

「濡れて帰るつもり?」

「傘持ってきてないから」

「乗れや」

グッと引っ張られ続けて莉兎の車に乗せられた。

その「乗れや」っていう命令も有無を言わさぬ掴まれた力強い手も莉兎らしい。

小さな体のくせにどうしてこんなにも力が強いんだか。

そして更には小さな体のくせにどうしてこんなにも大きな真っ黒の四駆を乗っているんだか。

四駆は乗る時、上るような感覚。

本革のシートに広い視界と車内。

初めてこれが莉兎の愛車だと知った時呆れた。

他のどの社員よりも大きく存在感のあるゴツゴツした日本製の四駆。

車の事はさっぱり分からないけどホイールなどをカスタムしているのは見て分かる。


雨音が聞こえる車内、運転席に乗った莉兎がエンジンをかければ真っ白いライトがついて前方を照らす。

そして車内に流れるアップテンポな音楽。

「ほんまに送ってくれるん?」

「近くやろ。通り道やしええよ」

「ありがとう」

雨の中、走り出す車。

運転している莉兎を見る。

モンスターみたいな車を軽々と慣れた様子で運転する姿。

歌を口ずさむ余裕もあって。

「なに?ガン見やん」

あたしの視線に気付いて赤信号で止まった莉兎と目が合う。

「…別に。何でこんな大きい車乗ってんの」

「好きやから」

「ふーん」

「カッコイイやろ」

「まぁ確かに」

「莉兎がカッコイイって?」

「言ってない」

即答しながら笑えば莉兎も笑う。

この様子だとすぐに家へ着く。

でも何だかもう少し。

そんな事願ってしまうなんて。


窓を見れば無数の雨粒。

光が反射してキラキラ、美しい。

雨の日の車内って不思議。

晴れの日の車内よりももっと閉鎖的であたしと莉兎だけの世界にいるみたい。


次の信号を右に曲がったらもうすぐ家だ。

この世界からのさよならだ。

お互い黙ったまま車は右折する。

そして住宅街へ入って…

「家、知ってたんやな」

「うん。前に聞いてたもん」

「そうやったっけ」

あたしが自分で言って忘れてる事、莉兎はしっかり覚えているとは。

驚きながらも車はスピードを落としてゆっくり。

「この辺?」

「そう、そこのアパート」

「ん、」

アパートの横に停車した車。

シートベルトを外し、鞄を持ってあとはお礼と共にドアを開けるだけ。

でも手が動かないし心も帰ろうと鳴かない。

逆にもう少し、このまま、あと少しと鳴いている。


黙ったまま莉兎を見つめると莉兎も見つめ返す。

視線が絡んで沈黙は続いて俯いた。

思う事をそのまま言えたら。

莉兎にぶつけられたら。

でも勇気が出ない。

もう少し、いさせて。

たったそれだけの事なのに。


仕事上の莉兎はいくらでも見ているけどプライベートの莉兎は知らなくて。

一緒にいたいのは知りたいと思っているからこそなのかもしれない。

莉兎の方に体を向けて。

俯いていた目線を上げて。

視線を絡ませて呟いた。

「もうちょっと、一緒におりたい…」

言葉の尻尾が震えてとんでもなく情けない。

思わず横を向いて耳たぶのピアスに触れる。

莉兎はこんなあたしの言葉と態度に笑うのかと思ったら

「シートベルトして」

何も言わずに車を発進させようとしていた。

慌ててもう一度シートベルトをすれば車が走り始める。

居心地が悪い。

何も言わないまま?と思ってたら

「莉兎も帰したくなかった。ひよともっと一緒におりたいから」

またストレートな言葉にめまいがしそう。

「な、んでそういう事普通に言えるん」

「言うたらあかんの?」

「いや…ええけど」

「どこ行く?」

「どこでもええよ」

無邪気にわくわくしている莉兎は上機嫌でアクセルを踏む。

安全運転!と言ったら分かってるよ任せとけ、ってほんまかよ。


呆れながら流れる景色を見る。

天気予報は外れたけど莉兎との時間が増えたからおおきに神様かも。

そう思ったら何となく雨も嫌じゃなくなってきた。

「湿気のせいで髪うねるの嫌じゃない?」

「ひよストレートかけてないん?」

「かけてるけどもう結構前やからなぁ」

「雨の日は仕方ないよな」

「ほんでどこ行ってんの?」

「決めてないけどラブホでも行く?」

「お前ほんまええ加減にせぇよ」






初めて二人で行く先。

夜の雨が降る中、車で向かう先。

おしゃれなカフェでまったり。

カラオケでストレス発散。

様々な場所が浮かんだけれど結局コーヒーチェーン店でテイクアウトをした後、ドライブ。

アイスカフェラテを頼んだあたしとアイスキャラメルラテを頼んだ莉兎。

飲みながら話しながらお互い笑って仕事の時と違う雰囲気。


あたしが感じている事。

プライベートの莉兎は思っていたより柔らかい。

仕事の時のトゲトゲしさや肩肘を張っている感じがない。

喋り続けているイメージとは違って意外に黙っている事も多い。

でも何か話したいのだろう、タイミングを見計らっている気がする。

それに勘づきながらあたしも何を言われるのか分からないからドキドキしてどうでもいい話ばかりを喋っていた。

最近ハマっている海外ドラマの話。

ネットで見た春色ワンピースを買おうか迷っている話。

そして今はお風呂上がりのスキンケアの話。

何を無駄に話しているんだろうと自分で思う。

でもそれらの話が終わると沈黙。

莉兎が何か話し始めるのかと思いきや無言のまま。


車は南へ向かっていた。

標識や道を見れば分かる、この先にあるサンセットビーチ。

雨だから海を見る事は叶わないだろう。

何せ夜だし波打ち際までは行けないし。

それでも行き先に関しては何も言わず、ただ乗っているだけ。


海に行くなんて久々だった。

海なんて特別見なくても生きていける。

潮風を感じなくても同じだけど、ただ時折無性にあの広大な景色を見たくなる。

何かに躓いた時なんか特に沁みてしまう。

繰り返す波、無数の足跡がある砂浜、陽が沈んだり星空が浮かぶ中変わらず穏やかな海そのもの。

ありきたりだけど自分の悩みが小さきものだと思い知らされる。

自然のパワーを感じて明日を頑張ろうとか乗り越えようと感じさせてくれる。


車はサンセットビーチの駐車場に着いた。

夏になれば海水浴の為に訪れる人達でいっぱいになる。

個室のシャワーやトイレなども完備されているおかげで人気のスポット。

この駐車場から海は見えない。

堤防があって砂浜、そしてその先に広がる海。

停まった車の中で莉兎はアイスキャラメルラテを飲む。

ストローをガジガジと噛んでいて子供っぽいと感じる。

車内に流れるラブソングがバックミュージック。

「…ひよ」

「なに?」

「何でもうちょっと一緒におりたいって思ってくれたん?」

ドリンクホルダーに置きながら莉兎は聞く。

ふっと窓の外を見ても誰もいない。

街灯に照らされた水溜まりに雨が降り注ぐだけ。

雨の中こんな所へ駐車する車なんているわけないと思いながら

「変よな。自分でもおかしいって分かってる」

少し笑いつつ答えると莉兎も一瞬笑った。

「何やそれ。期待させんな」

「期待したん?」

「そりゃ…するやん」

見つめたら唇を尖らせながら外を見る莉兎は少し拗ねた様子。

子供のような幼さに笑えてくる。

「意識はしてるけどな」

それは素直に認めよう。

女性同士、付き合った事などない。

分からない事だらけでも莉兎という人間を意識している。

その事実だけは本物。

でも思う。

何でこの子供みたいなチビ相手なのかと。

理想のスパダリとは程遠い気がしてならない。

見た目じゃないと分かってる。

だって見た目で判断して痛い目に遭い続けてきたのだから。

優しそうな線の細い男はヒモだったし。

頼れそうな筋肉質の男はあたしを殴ってばっかだったし。

どちらでもある包容力のある男は浮気ばかりで泣かされたし。

莉兎はどのタイプなのか、それともどのタイプでもないのか分からないけれど。


そんな過去を振り返りながらアイスカフェラテに手を伸ばした時、その手を掴んで引っ張られた。

そのまま上半身が運転席に傾くあたしを抱きしめた莉兎は

「もっと意識して」

ポツリと呟いた。

細くて小さな莉兎の腕の中。

やめろと暴れたら逃げられる。

何すんねんと離れようとすればいくらでも距離を保てる。

でもそうしようとせず、ジッと動かないまま。

車内のニオイと違う莉兎のニオイ、熱、感触。

心拍数の上昇、高鳴る胸、何だか熱い体。

「ち、チビやから包み込めてないやん」

「やかましいな。もっとくっついたら包み込めるわ」

「ほんまかよ」

「もっとこっち」

莉兎があたしの方を向いてぎゅうっとする。

ドキドキしている事実をかき消したくて悪態ついたのに。

もっとぎゅうっとされるのは想定外。

「どう?」

「…まぁ、悪くないけど」

少し震えながら言うあたしの髪を撫でる莉兎の手。

それをすんなりと受け入れていて自分で驚く。

例えばこんな微妙な距離の男性にいきなり髪を撫でられたら嫌だと感じるだろう。

それくらい髪に触れられるのはハードルが高い。

一応自分なりに大切にしているつもりだけど莉兎の手はあまりにも優しかったから。

昼間、男性社員の頭をばしん!と叩いていたあの手とは全く違う。


すっかり大人しくなってしまったあたしと莉兎は言葉を交わさずそのまま。

ぎゅうっとされたまま髪を撫でられ続け、車内に流れるラブソング。

何これ、ロマンチックってやつ?

雨の中、サンセットビーチの駐車場で抱きしめられて。

心の中で状況を整理整頓したら背中がくすぐったい。

少し動いて間近で見つめた先には莉兎。

「ロマンチックすぎん?」

「それな」

「やばいやん」

「意識せんひよが悪い」

「だって相手が」

「まだ言うんか?」

ドキドキしたり笑ったり忙しい。

でも莉兎は意外と本気だったらしくてあたしの顔を覗き込んできた。

さっきよりも至近距離、ドキドキするあたしに

「ちゅーしたらガチ意識する?」

ニッと笑って言う。

「アホ」

「冗談やよ」

パッと離れた莉兎はイタズラをした子供みたいな笑い方。

…車内が暗くてよかった。

多分、赤かったかも。

だって顔が熱かったもん。

離れて莉兎から視線を外し、窓の外を見ながら

「帰ろ」

溜め息混じりに言う。

「行こっか」

「うん」

「今度は晴れた日に来よな」

「…そやな」

次があるんやと思う。

自然に言われたその言葉が何故だか嬉しくて。

笑いながらラブソングを口ずさむ。

それは懐かしくて当時流行ったものだった。

家に帰ってから寝るまで。

どれほどの時間があるのか分からないけど、今日一日の出来事をずっと思い出しそう。

ドキドキした事も胸が高鳴った事も何ならちゅーされても怒らなかったなと感じた事も思い出すだろう。

でもそれは絶対莉兎に言わないけど。

無理矢理ちゅーするかと思ったのに…意外と紳士やん。

そんな些細な部分で大事にされてるのかと思ってしまう。


来た道を走り抜けていく。

大きな四駆に乗ってる割に運転は生真面目。

意外な一面を何度か見る事ができてよかったと思う。

まだ莉兎のニオイと熱が体に纏わりついている気がしたら心臓は勝手に震えた。






莉兎との距離感は相変わらずなまま日が過ぎる。

仕事で交わす言葉やそれ以外での言葉たち。

例えば喫煙室や昼休憩で話したりそういう何気ない積み重ね。

でも言葉で発しなくても莉兎の視線の熱さは感じる。

他の誰かには決して向けない視線の熱。

逆にあたしは自然と莉兎を目で追っている時がある。

それぞれの予定を書き込む為のホワイトボードを見て、莉兎がどこに営業へ行ったのか確認したり帰ってきた時は何故だか安心したり。


ちょっかいを出される時は鬱陶しいけれど。

今日もそんな一日であたしとさえちゃんが仲良く昼休憩を過ごしている時に莉兎はやってきた。

特別あたしとさえちゃんの話す中に入ってくる事はない。

逆に全く聞いてなくて別の人と話したりしながら莉兎はあたしのたまご焼きを奪う。

もう慣れてしまった事だけどふいに思う。

あたしは毎朝たまご焼きを一生懸命作るけれど全ては莉兎のために?

いやいや、勿論あたしだってたまご焼きを食べたいのに。

自分の為に作っているはずなのに。

でも既に諦めていてフラフラとやって来た莉兎に食べられていつも「またか」と思う。

今日はたまご焼きを食べながらスマートフォンを見る莉兎。

その上赤ウインナーまで食べられてしまった。

もう何も文句などぶつけないけれど。


「ひよちゃん、最近寝れてる?」

さえちゃんは心配しながらあたしを見た。

そういえば眠れないとさえちゃんには話していたんだっけ。

ふんわりとしか言っていないけれど。

眠れないのは子供の頃からだしそれこそ慣れているせいで無理に寝ようとはしない。

「んー…まぁまぁかな」

「そっか…アロマとかいいって言うけどなぁ」

「うん、試してみる」

そう返事をしながらもその気はなかった。

だってもう過去に試した事があるから。

でも寝れなかった、それが結果。

ショートスリーパーと言えば聞こえはいいけどなりたくてなったわけじゃない。

できればウトウトしてそのまま深い眠りにつきたい。

周りの当たり前が欲しいと思うけどいつまで経っても手に入らない現実。


そんな会話を少しした所で話題を変えようとさえちゃんがハマっているアイドルについて聞いてみる。

あたし達が話す間も莉兎は変わらずおかず泥棒をしていたけど、もうさえちゃんですら触れない。

それくらい当たり前の事になっているけれど唐揚げを一個奪われた時はさすがに手を叩いた。

「おい、唐揚げ泥棒」

「ええやん」

「なぁ、あたしおにぎりしか食べてないねんけど」

「唐揚げあと一個あるで」

「食べたらしばくからな」

唐揚げを死守するあたしと笑う莉兎、それを見守るさえちゃん。

莉兎の胃袋はどうなってるんだか。

さっきコンビニ弁当を食べていたはずなのに。

ぼんやり思い出しながらおにぎりを食べていたら手が伸びてくる、させるか盗人と手を叩いて怒る。

「おい」

「ひよ、今度唐揚げだけ詰めて持ってきて」

「何で莉兎に食べさせなあかんねん」

「唐揚げだけじゃなくてひよも食ったるから」

「あー、あー、やかましいふざけんなしばくぶっ殺す」

莉兎にとられないよう唐揚げをぱくっと食べながら睨めば心底楽しそうに笑っている莉兎が腹立たしい。

調子に乗るなチビ。

怒りながらお弁当タイムが終了。

さえちゃんに宥められつつあたしは喫煙室へ。

莉兎も来るのかと思ったけど来ない。

ちょっと拍子抜けしている自分に変だと思いつつ、火をつける。

煙草を吸って煙をふっと吐き出せばイライラも少しは和らいだ気がした。



定時に仕事を終え、帰宅。

今夜は何を作ろうと考えたけどあまりやる気がなくて。

献立が浮かばない日はいくらでもある。

でも良くも悪くも一人だから何を食べようが自由。

手抜きでカットして冷凍していた野菜を入れた具沢山の味噌汁とご飯、それから鮭を焼いて。

まだ何か一つ欲しいと思って冷凍庫を探せば見つけたお惣菜のコロッケ。

十分な夕飯だと思いながらさらっと食べた。

その後ゆっくりとお風呂に浸かる。

お風呂の時間は少し長めに、いつもの事。

それから髪を乾かしてスキンケアをしながらやっと自分のスマートフォンを見ると不在着信一件、莉兎からだった。

電話なんて初めてに近いかもと思いながらかけ直す。

「はい」

「何か用事?」

化粧水をつけながら言うと莉兎は

「何しとんの」

そう聞いた後、欠伸している。

「お風呂入ったとこ。莉兎は?」

「え、シャワー浴びてー」

「うん」

「お腹空いたからラーメン食べたとこ」

お互い家でまったりしている様子だけど

「ほんで?どしたん?」

要件が気になってしまう。

スキンケアを終えて煙草の箱から一本取り出している所で

「んー…気になったから」

その一言を聞いて逆にこっちが気になってしまう。

「何が?」

「寝れん言うてたやん」

「…聞いてたん?」

聞いてたし、とぼやく莉兎。

人って興味のない話は遮断するものなのに。

昼休憩のさえちゃんとの何気ない会話を聞いていてちゃんと覚えてくれているとは思いもしなかった。

「気にしてくれてありがとう。大丈夫やで」

柔らかく言いながらフィルターを咥えて火をつける。

せめて換気扇の下で吸わなきゃと思いつつ、いつもできない。

お気に入りのソファで吸う煙草が好きだから。

ダークグレーのソファは座面が広くて二人掛け。

これを主軸に考えたインテリア。

ソファに置いているクッションを少し淡いベージュにしたり、部屋が暗くならないようにとカーテンもベージュ。

その代わりベッドはシングル。

本当はセミダブルが欲しかったけど部屋の狭さ故に断念した。


お気に入りのソファに背中を預けて莉兎の声に耳をすませる。

それならええけど。

そうぼやいた後はくだらない話をダラダラと。

よく喋るチビ、と思いつつも笑いながら話す。

時間はすぐに過ぎていく。

こんなに誰かと長電話したのは久々かもしれない。

ソファから立ち上がってベッドに寝転んで話しながら

「莉兎、寝らんの?」

問いかけると

「ひよが寝たら寝るよ」

意外な言葉が返ってきた。

「あたしの睡魔待ってたらいつまで経っても寝れんで」

「ええよ。電話繋げて待ってる」

「…繋げといてくれるん?」

「繋げといたらひよは一人じゃないやろ」

何だか胸をグッと押し潰された感覚。

あたしの「寝れない」を見逃さず、そして寄り添うようなその言葉に。

黙るあたしに莉兎は適当な歌を口ずさんでいてこの空気を軽くしようとしている事に気付く。


「…子供の頃から寝るのが苦手やねん」

ポツリと言い始めた言葉に莉兎の歌がストップする。

「うん」

「寝つきも悪いし寝れても短時間やし…慣れてるけど」

「うん」

「しんどい時もある」

「うん」

「焦ったりするけどそうしたら余計寝れんから…辛い」

「うん」

「一人みたいな気になって泣く時もあるし…意外やろ」

茶化して笑うあたしに莉兎は少し黙った後

「意外じゃないよ。ひよは脆くて繊細やから」

ふっと笑いながら言われて今度はこっちが黙ってしまった。

「寝れるまでそばにおるから泣かんといて」

「…うん、」

「大丈夫」

莉兎の言葉がまた胸をグッと押し潰す。


電気を消して薄い布団を被って柔らかい枕に後頭部を預けて横を向く。

スマートフォンのディスプレイに表示される文字、降矢莉兎。

そっと指で撫でながら目を瞑って話す。

ポツポツと明日の仕事の事やお弁当の中身。

莉兎はもうとっくに眠いだろう。

何度か聞く「眠たくない?」

莉兎は言う「眠たくないよ」

でも欠伸を噛み殺している事は分かっている。

こんな事に付き合わせてごめん。

そう思いつつも嬉しさともう少し電波が繋がっていて欲しいと願う。


時間を見れば0時過ぎ。

気付けば莉兎と電話を繋いで数時間。

でももうこれ以上は

「莉兎ありがとう。もう寝れると思うから電話切っていい?」

「…莉兎を騙せるとでも思っとんのか」

「、だって」

「莉兎の事は気にせんでええから」

「それじゃ、会いに来てよ」

遠慮して電話を切ろうとしてたのに零れた言葉はこれだった。

これは本音、きっと。

声を聞き続けていたらたまらなくなって。

でも言ってしまった、という感覚だけが残る。

慌てながら

「う、嘘。今すっぴんやし無理!」

目を開けて言い繕うけど

「莉兎もすっぴんやし。今から行く」

それだけ返されて挙句の果てに電話を切られた。


起き上がって電気をつけて。

とりあえず部屋着を見る、まぁ大丈夫。

無難なTシャツにショートパンツだし…と頷きながら部屋を見渡す。

少し片付けておこうと動きながら変な気分。

こんな時間に慌ててるなんて相手は莉兎なのに。

いや、でも。

莉兎だからこそ慌ててる。

きっとそう。

ドキドキしたままで待つこの時間がもどかしい。

深い溜め息を漏らしながらとりあえず一服。

落ち着けあたし、と唱えながら。



インターフォンが鳴ってびくんとする。

ドアを開ければすっぴんの莉兎がいた。

同じようなTシャツにショートパンツ。

「意外と寒かった」

「当たり前やん」

部屋に招いてソファに座ると手渡されたのはホットミルクティ。

「温かい飲み物は体にええで」

「そう言いながら莉兎はコーラなん?」

「莉兎にはコーラ、これ鉄則」

「子供」

呆れながらホットミルクティを開けて飲む。

ほんのりあったかくて優しい味。

手に持つだけでじわじわと温かさが伝わってくる。


二人並んでこのソファに座るのは久々だと思っていたら

「その子供に会いたかったんやろ」

頭を寄りかからせてニヤニヤ笑う莉兎が腹立たしい。

「本気で言ったんじゃないもん」

「ふーん」

莉兎は何も言わずに笑ったまま。

悔しさを滲ませながらも寄り添って二人。

元カレしか座った事がないこのソファ。

莉兎と座ったらコンパクトに収まっている気がする。


ホットミルクティをテーブルに置いて足を抱えながら自然と莉兎に寄りかかる。

莉兎はあたしに右手を出してくれた。

何も言わずその手を重ねてぎゅっと握る。

触れ合っている部分だけが熱い。

「…眠たいやろ、莉兎」

「正直言うたら普通に寝れそう」

「やっぱり。あたしの事なんか気にせんでいいのに」

「寝れんよりひよが一人で辛い思いしてる方が嫌やもん」

「どんだけ好きなん」

「夜中すっぴん部屋着で走ってくるくらい好きなん」

まっすぐな表現にお互い笑う。

嬉しくて仕方なかった。

横を向いたら莉兎と目が合う。

「あかん、」

顔をプイッと逸らす、恥ずかしい。

離れてベッドに寝転がる、勿論背中を向けて。

そんなあたしに莉兎は不満そうに

「何があかんねん」

すぐ追いかけてきて一緒に寝転がる。

「せ、まいから!」

「莉兎チビやから大丈夫やもん」

「そういう時だけ自分をチビって言うな」

寝返りを打てば向かい合わせ。

莉兎は笑いながら布団を肩までかけてくれる。

そして髪を撫でて頬に触れた。

何だか莉兎のやる事全てが手慣れている気がする。

「…女の子と付き合った事あるみたいやん」

「ないんやけど」

ぐっと近づいてきた莉兎に抱きしめられて背中をトントン叩く。

まるで寝かしつけようとしてるみたい。

その上、枕を取り上げられてあたしに渡されたのは莉兎の右腕だった。

「…何これ」

「腕枕」

「莉兎がすんの?あたしがするんじゃないん?」

「は?何言うてんの」

まさか莉兎に腕枕をされるとは。

そう思いながらも譲らないみたいで仕方なく…。

変な感じがするけど莉兎の細い腕が心配。

「大丈夫?」

「全然大丈夫。これで」

「え?」

「もっと近づける」

今ままで以上にぐっと近づいた莉兎から感じ取れる。

もう逃がさん、と。


「電気、消して」

「どこ?」

「その頭の上にあるリモコン」

「ん、」

パッと電気が消される。

真っ暗な中、深夜一時は過ぎている頃。

至近距離で見つめ合って

「先、寝てしもたらごめん」

莉兎は申し訳なさそうに呟くけど首を振る。

あたしの背中をトントンと再びリズム良く叩く優しい手。

見つめる瞳は互いに濡れていて。

莉兎のすっぴんはさほど変わらない。

少し幼いかなと思うくらい。


あたしは莉兎の長い金色の髪を撫でる。

でもその内、頬に触れた所で莉兎はあたしの頭を掴んだ。

驚くと共に莉兎の雰囲気が変わった事に息を呑む。

まるで獣の瞳。

ライオンのように強く、逃がさないと訴える瞳。

引き寄せられて触れる唇。

重ねた唇の柔らかさにまた一つ驚いた。

これまでキスした男性のガサガサした硬い唇とは全然違う。


一度触れただけで離れた莉兎は溜め息を漏らす。

あの獣の瞳が一瞬で消え失せて滲むのは後悔の色。

「ごめん、我慢できんかった」

そう零す莉兎に対してたまらなくなったのはあたしの方。

自分から莉兎の唇に触れた。

離れて見つめる先の莉兎は瞬きを繰り返している。

「…我慢せんでいいのに」

「ひ、ひよ…?」

「莉兎に負けた」

「負けた?」

莉兎の言葉を思い出す。


この世に絶対はないけど莉兎の中で絶対はある。

だから、ひよの事も絶対手に入れる。


なんやねん、それ。

そう思ってたけど莉兎の気持ちに負けた。

いつも強気で周りを引っ張って口が悪くて態度が大きくて。

でもあたしの前では優しくて柔らかくて、そして時に大胆で。


「莉兎が好き」

気持ちを伝える時はちゃんと。

目を合わせて莉兎に告げればぽかんとしていた顔が段々と笑顔になっていく。

その後ニヤニヤ、ニタニタ、ニヨニヨって

「うざいねん、その反応」

呆れて言いながらもくっついたまま。

「莉兎も好き」

「そんな甘い顔すんの初めて見た」

「ひよにしか見せん顔やもん」

「それじゃ黙って見とく」

「ちゅ、は?ちゅーしよ」

「もうした」

「違う。本気のちゅー」

ぐいっと引き寄せられて重ねる唇。

触れるだけのキスから啄むような濃厚さまで。

呼吸ができなくなって苦しいけどもっと欲しいと心も体も訴えている。

差し込まれた舌を受け入れて絡め合い、お互いに吸ったり噛んだり愛おしむ。

莉兎はあたしの頭を掴んだまま逃さないスタイルを貫いていて、それがまた高鳴ってしまう。

唇の音色、息遣い、全てで部屋中に音楽を奏でながら名残惜しく離れると二人で必死に呼吸を整える。

「…は、げしすぎ」

「我慢せんで、ええって言うたやん」

「もう、今日ガチで寝れん」

こんなにも浮ついた心と体で眠気なんてくるわけない。

文句を言いながらもくっついて。

莉兎は何もかもを噛み締めるようにニッと笑いながらあたしを抱きしめる。

「ほんまにあたしでいいん?」

「ひよがええねん」

「重いしたまにメンヘラになるで」

「ええよ。ひよを不安にさせへん」

「ほんま?」

「信じて。莉兎はひよを幸せにしかせぇへんから」

真面目に言われたフレーズに驚いた。

こんなにもスケールの大きい事を飄々と言ってのけるなんて。

でも降矢莉兎だからこそ言えるのかもしれない。

そして莉兎だからこそ信じられる。


笑うあたしに莉兎は背中を撫でる。

「とりあえず寝れんでも目ぇ閉じて」

「ん、」

「大丈夫。ちゃんと莉兎おるから」

「莉兎」

「ん?」

「おやすみ」

「おやすみ、ひよ」

きっと莉兎はその内眠る。

でもあたしは取り残されても怖くない。

莉兎のニオイや熱が包み込んでくれているから。

あとは寝顔をじっと見つめる事だってできるかも。

そんな事を思いながら莉兎のTシャツを握ったら

「あいしてる」

初めて言われた愛の言葉に胸がぎゅうっとなった。

口元を緩ませながらあたしも舌で転がすように囁く。

「あたしもあいしてる」

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