キラメキはスーパースターを追って(旧名:ライオンを抱えて)
たけすみ
作曲家、妖精を拾う。
1
月路太陽37歳は、酔いの覚めきらない頭で困惑していた。
秋の深まった雨上がりの午後8時50分、彼が大家として保有するアパートの前のゴミ回収用ボックスを普段の大家の見回りとして開けた。
するとそこには一人の半裸とも思えるほどのショートパンツにワイシャツ一枚という姿の、夕焼けのような赤毛に長い睫毛と切れ長の目をした、肌つやの感じからして年の頃で20かそこいら、といった見た目の、鼻筋の通った美しく若い青年がすーぴーと寝息を立てて寝ていた。
眉も髪と同じ色をしているから、おそらく地毛だろう。口元に髭や剃った気配はなく、つるりとしている。むき出しの足も同様で、子供のような肌をしていた。
いや、肌つやの感じで若いとはわかるが、はっきりいって青年かどうかもわからない。中性的な美女と言われればそれはそれで納得する美貌であるのは間違いない。
話を戻そう……とにかく、見ず知らずの人が、蓋付きのアパート共用のゴミ箱の中で寝ているのである。
むろん、アパートの入居者ではない。
警察に通報すべきか、叩き起こして出ていってもらうべきか……。
念の為、呼吸の他に、脈は安定しているか、体は過剰に冷えていないかを確かめるために、手首を取った。脈は分間80回程度、手は水に浸したように冷え切っているが、シャツの袖口の内側はほのかに体温を感じる程度に温かい。
どうやら無事である。
太陽はひとまずこの人をゴミ箱から出そうと、背中と膝裏に手を回し、えいやと担ぎ上げようとした。存外軽く、ふわりと持ち上がった。
その拍子、その鮮やかな前髪の間から、2つのアーモンド型の目が見開かれた。瞳の色は薄暗い外灯の下でもはっきりわかるほど鮮やかな磨き上げられた翡翠色をしていた。大きくて、魅力的な目だった。
その目と目があい、見つめられて太陽は一瞬どきりとした。
仕事柄、見目麗しい人というのはいくらか見てきた。それこそレコード会社主催のスタジアムライブで無数のペンライトやサイリウムの光の中を可動式のお立ち台の上に立って、歌いながら手を振りかえすような人々だ。
男女を問わず、そんな人々と視線を合わせても、一度として感じたことのない感覚だった。
実をいえば、太陽はこの年になっても恋愛経験や性的欲情といった感覚をもったことがなかった。もはや本人としては自分はそういう人だと思って、両親にも孫や結婚を諦めてもらうように20代の頃から話していたほどだった。
それが、このどう見ても雨除けにゴミ箱に入ったホームレスか、飲酒の時間配分を間違えた学生の泥酔者のような美貌の持ち主に対してだけ、初めて胸の高鳴りを感じた。
その人の髪からは、パン屋の店先のようなバターの香りがしていた。そして、その口元からは酒の匂いではなく、メイプルシロップに似た豊潤で深くて甘い香りがした。
その目が、唇が、ほのかに高い体温を感じさせながら迫ってくる。
気がつくと、その人は両腕を太陽の首に回し、そして顔と顔を、唇と唇を引き寄せていた。
唇が当たる。
柔らかい、まるで人肌に温もったマシュマロのようだった。
人の唇というのはこんなにも柔らかいものかと太陽は思った。
そして、ほんのりとコーヒーの香りのするほのかに甘い唾液が口の中に流れ込んできた。
(え? コーヒー?)
戸惑っていると、その人は抱き上げた腕の中でこういった。
「愛してる」
と。
そして、再び気絶するように眠りに落ちた。
太陽は今自分の身に起きたことに唖然としながら、しかし不快感もなく、ただ驚きと胸の高鳴りだけを感じたまま、しばらく半ば中腰の姿勢でその人を抱き上げたまま固まった。
一秒、いや何秒か何十秒か、そうして静止してからはたとして、ゴミ箱の外に担ぎ出して路面に下ろし、上着を脱いで薄着のその体に掛けた。
そして、冷静に上着のポケットからスマホを引き抜いて、警察と救急車を呼んだ。
「こちら、妖精さんですね――」
通報から10分と経たず、警察官が2人連れでワゴンタイプのミニパトに乗ってやってきた。そしてアルコール検知器と体質検査キットで眠ったままのワイシャツのその人の息と唾液を検査した。その検査キットをケースに戻しながら、年配の制服警官ははっきりと言った。
「――この感じからすると、カフェインかアルコールでも摂取して酔っ払ったんでしょう。意識が戻ったタイミングでなにか言っていませんでしたか?」
太陽は言葉に詰まった。何を言われたかは覚えている。だが、初対面であまりにも非常識な言葉にも思えた。
「……ええと、ちょっとよく覚えてません」
まるで奇妙な高揚感のある夢でも見た寝覚めのような、あるいは不整脈の発作が出始めたような胸の奇妙な高鳴りを感じた。後者については一応経験がある。太陽は『妖精さん』にかけた自分の上着の内ポケットからピルケースを出して、頓服錠剤を1錠ごくんと生唾で飲んだ。
「……持病ですか?」
「ええ、不整脈です。ちょっと……飲みすぎたのかもしれません」
時刻は午後9時に差し掛かっている。20分前まで、近くの駅前のプロレス居酒屋で地元の友人と酒盛りをしていた。その帰りだった。本来ならばゴミ箱の明日の回収物でないものが捨てられていないかだけチェックして、保護犬2匹の待つ自宅兼仕事場の築30年の戸建てに帰っているはずだった。
「もしかして、なにか好意的なことを言われませんでしたか? 例えば、探してたとか、好きだとか」
若い方の警官が、調書と思しきタブレットに入力をしながら、さらりとそんなことをきいてきた。
「……言われ、ました」
それをきいて、年配警官は「あー」と何かを納得したような相槌を打った。
「ビンゴですなあ……申し訳ないんですが、こちらさん、我々では引き取りかねます」
「はあ……あっ、えっ?」
一瞬納得しかけて、慌てて聞き直した。
「あなた、この妖精さんに見込まれちゃったんですよ、いわゆる俗に言う魔法少女ってやつです。法的にはあなたが引き取って保護してもらう形になります」
その言葉を聞いて、太陽は呆然とした。頭の中は銀河系の彼方まで飛んでいる。
「魔法、少女……引き、取る?」
「ええ、一般的には10代女性の確認事例が多いので、一般通称として魔法少女と呼ばれていますが、公的には『魔力放射量基準値を満たし、妖精に任意選別された適合者』を指します。ですから、レアなケースですけど、成人男性であるあなたがその適合者として該当してしまうというケースも、まったく無い話じゃないんです」
「え、そう、なんですか……わたしはただ、ゴミ箱の中に知らない人がいると思って……」
太陽は動揺とアルコールの抜けかけの寒気と喉の渇きで、めまいがしはじめていた。あるいはまだ不整脈の薬が効いてこないのかもしれない。
太陽は知らなかった。無理もない、経験がないのだ。これがいわゆる恋の最初の胸の高鳴りと呼ばれるものでもあるということを。そして、それに対して不整脈の動悸を抑える薬など効くはずもないということを。
「あなた、ここの大家だとおっしゃいましたよね? そして、毎晩このぐらいの時間にこのゴミ箱チェックしてると」
「はい……」
「それを感知して、ここで待ってたんでしょうね。で、待ってる間になんらかの形でカフェインを接種してしまった、と。どうします? 必要でしたら入居者にこの妖精さんと接触してお茶とかコーヒーでも飲ませた人が居ないか、確認取りますけど」
「ああ……それなら、賃貸仲介の会社通してください。入居状況や入居者のトラブルに関する管理業務はそっちに任せてるので」
「お取次、願えますか」
そう言われて、太陽はスマホから管理会社の24時間対応ダイヤルを呼び出し、事情を話して警官と代わった。
その間も、胸を抑えながら、太陽は動悸が引くのを待った。だが、自然と目は眠っている妖精さんの顔や唇を見つめてしまうし、それだけで普段の不整脈の発作とは明らかに異なるのぼせるような胸から上が熱くなる感覚があった。
そうしている間に、ランプだけをともしてサイレンを切った救急車がアパートの駐車エリアに入ってくる。
ストレッチャーとともに、ゴーグルつきヘルメットに青いジャケット姿の救急隊員が出てくる。
それを若い警官が静止するように両手を広げて、事情説明へと走る。
「……ちょっと、飲み物買ってきていいですか。私も、アルコールがまだ抜けてないみたいでして」
実際、酒を飲んでるときに出る不整脈の動悸は心臓が痛く感じるほどに強い。今も耳元で心臓が脈打っているかのように自分の鼓動が異様に切迫感を醸しているのを感じる。
……だが、奇妙なことに、心臓の痛みはなく、不快でもない。いうまでもない、恋愛感情としての初めての胸の高鳴りであって、心臓の異常の動悸ではないからである。
ともかく本物の不整脈だった場合にそなえて、持病の薬は飲んだが、アルコールの分解を促すためになにか飲むものが必要なのは間違いなかった。
年配の警官が電話口をおさえて、
「ええ、どうぞ、こっちで話はしておきますんで」
と言ってくれた。これを聞いて、向かいの通りの自販機まで太陽はよろよろと歩き出した。
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