第3話 デビュー・Bluebell Boys始動

  スタジオに軽快な音楽が流れる。鏡の前に並んだ四人の姿を、振付師が鋭い目で見ていた。


「そこ! もっと腕を大きく振って! リズムを刻むだけじゃダメ、体全体で音を掴む!」


 陽大が「はいっ」と元気に返事をするが、動きは雑で空回り気味だ。

 悠生は無駄なく正確だが、どこか硬い。蒼は淡々としながらも、きっちりと形を決めていた。


 瞳は――必死についていっていた。

 足の運び、体のひねり、手の角度。頭で考えるよりも先に、音が体を導いてくれる。


「……おい、今の悪くなかったぞ」

 振付師の視線が瞳に向いた。

「基礎はまだまだだが、リズムを掴むのが早い。これは武器になる」


 瞳の心臓が跳ねた。

 ――私でも、できる。ここで、やっていける。


 隣から陽大がにやっと笑う。

「なーんだ、意外とやるじゃん、ヒトミ」


 悠生はタオルで汗を拭いながら肩をすくめる。

「ま、勢いだけで突っ走るお前よりはマシだな」


「うるせー!」

 陽大が叫び、蒼が小さく咳払いをして場を締めた。


「まだ始まったばかりだ。気を抜くな」


 瞳は鏡越しに自分を見つめた。

 汗に濡れた頬が赤く光っている。

 ――きっと、このステージでなら。私の“今”を全部、出せる。


   ◇◇


 夜のスタジオ。練習を終えた四人が、床に座り込んでペットボトルを開けた。鏡に映る自分たちの顔は、皆ぐったりとしている。


「はー、今日も地獄だわ」

 陽大が仰向けに転がって大きく息を吐く。

「でもさ、あれできたとき気持ちよくね? 俺、ダンスも歌も、めっちゃ楽しんでるんだけど!」


「楽しんでるのはいいけど、声裏返ってただろ」

 悠生が冷静に突っ込む。眼鏡の奥の視線が鋭い。


「うるせー! お前は真面目すぎなんだよ!」

「真面目だから形になるんだ。お前のは勢いだけ」


 二人が言い合いを始め、瞳は苦笑した。

 ――ほんと、犬と猫みたい。


「……おい」

 短く低い声で蒼が割って入る。

「まだ始まったばかりだ。余計な口喧嘩で時間を無駄にするな」


 その一言で、スタジオに沈黙が落ちた。

 蒼はタオルで汗を拭きながら、真っ直ぐに瞳を見やる。

「藍原。お前、今日のステップは悪くなかった」


「……ありがとう」

 思わず小声になる。心臓が少しだけ早く打った。


「よっしゃー! じゃあ明日も頑張ろうぜ!」

 陽大が無理やり場を明るくするように笑い、悠生は肩をすくめる。


 瞳はペットボトルの水を口に含んだ。冷たさが喉を通る。

 ――まだぎこちない。でも、少しずつ。

 ――この四人で、チームになっていくんだ。


   ◇◇


 会議室の長机に並べられた紙。そこには、それぞれの新しい名前が印字されていた。


「本名じゃなくて、芸名で活動してもらう。ステージに立つ以上、“商品名”だと思ってくれ」

 マネージャーの声に、四人は紙を手に取った。


「俺は……アオトか」蒼が低くつぶやく。

「なんか硬いけど、まあ悪くないな」


「やった! ヒナタ! そのまんまじゃん!」

 陽大は笑いながら紙を振り回す。


「……ユウキ、か。皮肉だな。勇気なんて俺にはないのに」

 悠生は苦笑して肩をすくめた。


 瞳の手元にある文字は――“レイ”。

 白い紙に刻まれたたった二文字が、やけに重く感じられた。


 ――これが、ステージの私。

 ――“藍原瞳”とは別の、もうひとりの私。


「じゃあ、今日から君たちは“Bluebell Boys”だ。まずはお披露目イベントに向けて準備するぞ」


 その一言で空気が変わった。


   ◇◇


 数日後、衣装合わせのためにスタジオに集まった四人は、ラックにかかった白と青を基調にしたジャケットに目を奪われた。


「おおー、かっけー!」

 ヒナタが一番に袖を通す。鏡の前でポーズを決めて笑った。


「……案外似合ってるな」アオトが冷静に言う。


 ユウキは襟を直しながら小さく呟いた。

「汗だくで着るのがもったいないな」


 瞳――いや、“レイ”は、袖を通した瞬間、胸の奥がざわめいた。

 ――これが、私の居場所。

 鏡の中の姿は、誰がどう見ても「男子アイドル」だった。


   ◇◇


 スポットライトがまぶしい。

 お披露目イベントの会場はまだ空席のホールだったが、舞台に立った瞬間、レイの胸は大きく高鳴った。


「位置につけ!」

 スタッフの声に従い、四人は立ち位置マークの上に並ぶ。

 中央にアオトとヒナタ、右にユウキ。レイは左端。


「もっと間隔を広く。観客から見えやすいように!」

 舞台監督の声が飛ぶ。


 音楽が流れ、マイクを握る。

 歌い出しはヒナタ。元気な声が広がる。続いてアオトが安定した声を重ねる。ユウキのラップが入ると、場の空気が引き締まった。

 そして――レイの番。


 自分の声が、客席の闇に伸びていく。

 ――これが、ステージの響き。

 思わず背筋が震えた。


「MC入るぞ、想定で」

 スタッフの指示に、ヒナタが元気よく手を振った。

「やっほー! 俺たちBluebell Boysです!」


「テンション高すぎ」ユウキがぼそり。

「でもまあ、悪くないな」アオトが淡々と補足する。


 順番が回ってきて、レイは一瞬ためらった。

 でも、マイクを握り直して言った。

「……レイです。よろしくお願いします」


 客席は空っぽ。だけど、自分の声が広がる感覚だけで、胸の奥が熱くなる。


 ――観客が入ったら、どんな景色になるんだろう。

 想像しただけで、息が詰まりそうだった。


   ◇◇


 舞台袖。幕の向こうからは、観客のざわめきと歓声が絶えず響いていた。

 Bluebell Boys の四人は列になって出番を待つ。


「はぁ……胃が痛い」

 ユウキが小声でつぶやく。ヒナタは緊張を隠そうと笑っているが、マイクを握る手が震えていた。


 その横を、先輩グループのメンバーが通り過ぎる。華やかな衣装に、余裕の笑み。

「新人くんたちか。楽しんでこいよ」

 軽く肩を叩かれ、レイは思わず背筋を伸ばした。


「……余裕だな」アオトが低く言う。

「俺たちも、やれる」レイは自分に言い聞かせるように答えた。


 ステージディレクターが声を張る。

「次、Bluebell Boys!」


 眩しいライトが、幕の隙間から差し込んでくる。


   ◇◇


 ステージ中央にスポットが落ち、司会者が明るい声を響かせた。


「さあ皆さん、お待たせしました! 次は、Echoline Entertainmentが送り出す期待の新人! まだデビュー前のフレッシュな顔ぶれです!」


 客席からどっと拍手と歓声が湧く。ペンライトが揺れ、舞台袖にもその熱気が押し寄せてきた。


「名前を覚えてください! この四人が、未来のスター候補! Bluebell Boys!」


 歓声がさらに大きくなる。


 レイの喉が乾いた。マイクを握る手に汗がにじむ。

 ――吐きそう。

 心臓の音が、周りにも聞こえてるんじゃないかと思うくらいにうるさい。


「行くぞ」

 アオトの低い声が背中を押す。


 ヒナタは大きく深呼吸して「やべぇ、テンション上がってきた!」と笑った。

 ユウキは黙って眼鏡を直し、前を向いている。


 スタッフの合図。ステージに足を踏み出す瞬間、レイの視界が真っ白に染まった。


 眩しいライト。割れるような歓声。

 レイは一歩踏み出した瞬間、膝が笑いそうになった。


 ――やばい、足が震えてる。


 客席の熱気が押し寄せてきて、マイクを持つ手が汗で滑りそうになる。

 イントロが流れる。ヒナタの明るい声が響いた。


「みんなー! 一緒に盛り上がろうぜ!」


 その声が合図のように、体が動き出した。

 アオトの安定した歌声、ユウキの切れ味あるラップ。

 レイは呼吸を合わせ、歌のパートを迎える。


 声を出した瞬間――観客のざわめきが一瞬止まった気がした。

 音が体を通って、ステージ全体に広がっていく。

 緊張は、消えた。


 ステップを踏み、腕を振り、旋律に身を委ねる。

 ライトの熱も、汗も、全部どうでもよかった。

 ――歌うのが、楽しい。踊るのが、気持ちいい。


 気づけば、客席が揺れていた。ペンライトの光が波のように広がっていく。歓声が音楽に重なり、胸に響く。


 最後のポーズで音が途切れる。

 一拍の静寂。次の瞬間、会場が地鳴りのような歓声に包まれた。


 息が切れているのに、胸の奥は熱くて、痛いくらいだった。

 ――これがステージ。

 ――ここでなら、私は輝ける。


 レイは無意識に笑っていた。

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