第28話 身体の記憶と支配の連鎖
目覚めた時、篠塚 翔はまず、身体を巡る倦怠感と、手首に残る微かな痛みを強く感じた。それは熱病の後の疲労に似ていて、その熱源が数時間前まで隣にいた川村 美保であることは明白だった。
彼は昨夜、美保の強引な愛と策略の前に、なすすべもなく敗北した。拘束を解かれた後も美保の純粋で衝動的な愛は続き、その若さに任せた支配的な行為に、翔の理性は完全に焼き尽くされた。美保の言う通り、彼は教え子である彼女の「お兄ちゃん」という立場から、「旦那さま」という肉体的な所有者へと、無理矢理引き上げられたのだ。その事実は、翔の心に倫理的な罪悪感と、満たされた欲望の甘美さを、同時に突きつける。
隣の布団では、美保がシーツを抱きしめ、深い眠りについている。
彼女の華奢に見える身体は、若さ特有の弾力と、母親である志保に瓜二つの引き締まったラインを持っていた。白い肌には、昨夜の愛の痕跡が、淡い赤色となって刻み込まれている。その肌を視線でなぞりながら、翔は不意に、数日前に志保と交わした一夜の契りを強烈に思い出す。
美保の熱を帯びた肌、結合時の熱い密着感、そして快感の絶頂で漏らした悲鳴にも似た吐息が、志保の記憶と驚くほど重なるのだ。彼は美保を、志保の愛する娘として、そして愛する女性の若い写し鏡として見ている。二人の女性の身体の記憶が、行為を通じて感じる肉体の感覚という、最も原始的なレベルで、こんなにも似通うものなのだろうかという、底知れない戸惑いが彼の心を占めた。美保の快感への順応性の高さ、行為そのものを主導しようとする強引なまでの情熱。それは学生時代の志保が一時的に見せた、感情の奔流そのものであった。ただ、美保の方が、より計画的で冷静に、その情熱を実行に移したという点で異なっている。
「……おはよう、旦那さま」
美保が目を覚まし、勝利の優越感に満ちた笑顔を翔に向けた。彼女の瞳は、母親が土壇場で見せる策略的な輝きをそのまま継承している。
「美保、昨夜言ったことは本気なのか」翔は問いかけた。
「もちろんよ」美保は布団から這い出し、白い肌を露わにしたまま翔の胸に頬を寄せた。「旦那さまのお嫁さんになるって、小学校の時に約束したでしょ? これで晴れて、約束を果たしたことになるわ」
美保はすでに、この家に自分の荷物を運び込み始めていた。小さなトランクと、大学の参考書が、翔の殺風景な部屋の片隅に置かれている。彼女は昨夜の強引な行為を、すでに「新しい生活の始まり」として受け入れている。
翔は、美保の頭越しに窓の外を見た。彼は、美保が背負う過去の支配による深い傷の重さを感じていた。美保が教え子という立場を超えて彼を独占しようとするのは、その傷の源泉、つまり亡き父の影から逃れたい一念であることも理解していた。
「……美保ちゃん。お前の、その過去の傷を、俺は本当に引き受けていいのか」
翔は、美保が抱えるトラウマの源泉、つまり亡き父の影を間接的に示す、覚悟の言葉を選んだ。
「あの人は私にトラウマしか残さなかった。女性としての私の人生を壊そうとした罪人よ。でも、心配しないで」
美保は翔の不安を打ち消すように、冷たい声でそう言った。
「私が家を出てきた理由を教えてあげる。お母さんはね、私がお兄ちゃんと結婚したいと言ったら、反対したの。私とあなたを引き離そうとした」
美保の瞳が、策略的な輝きを増した。
「でもね、お兄ちゃん。お母さんが反対する理由は、何も言わないの。お母さんがお兄ちゃんと再婚したいからとでも言うならまだわかるけれど、それすら言わない。だから、話にならなくて私が家を出てきた。お母さんのお兄ちゃんへの未練を断ち切るために、あなたが私を愛するしかないように。だから、私が勝つのよ」
美保は冷徹だった。彼女の結婚の動機は、愛と支配、そして母親への勝利という、複雑な感情で編み上げられている。彼女の言葉は、二人の女性の間に横たわる愛憎の歴史を、翔に容赦なく突きつける。
「大丈夫よ、旦那さま。私はね、ずっと知ってたの。お兄ちゃんは、私のものになる運命だって」
その言葉は、美保の純粋な愛と、母親を凌駕した策略の証明だった。翔は、自分の献身が、ついに代用品の呪いを超え、二代にわたる愛の鎖へと繋がってしまったことを悟った。彼は、美保への責任を、否応なく背負う覚悟を決めた。美保は勝利の笑みを浮かべたまま、彼の首筋に顔を埋めた。彼女は、翔が愛という名の責任を、決して拒絶できないことを知っている。
川村美保という名の若い津波が、翔の人生に住み着いた。
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