暴走魔法使い「精霊の愛し子」×解析賢者「理の聖女」が魔法と世界を改革する

lilylibrary

第1部・双葉の章(黎明編)

第1話 悪戯者と優等生

王立中央魔法学院の講堂は、厳粛という名の空気に満たされていた。


魔獣と精霊に満ちた黒森に程近く、王国での位置で言えば、むしろ辺境にあるにも関わらず、学院が「中央」を名乗るのは、4つある魔法学院の中で最古であること、他の学院はすべて、この学院の卒業生が築いたという自負からだろうか。

この場所にある理由は、豊富な精霊資源を求めたとも、古代魔法遺跡に寄り添って作られたとも、追放された大魔導士が流刑地にて最初の基礎を築いたとも、伝えられる。


一千年を生きるという賢者の木から切り出された梁は、歳月を経て深い飴色に艶めき、歴代の学院長が費やしたであろう幾万もの魔術的防護、その残り香を馥郁と漂わせている。床に敷き詰められた黒曜石は、磨き抜かれ、天窓から射し込む光を吸い込んでは、自らが星なき夜空であるかのように静かな光沢を放っていた。それは完璧な調和。計算され尽くした幾何学的な美の結晶であり、無秩序な自然を人間の知性が切り取り、再構成した理想の世界の縮図そのものだった。


ネリネは、そうした世界の住人であることを自認していた。

襟足で切りそろえられた黒髪、背筋を糸で吊られたかのように真っ直ぐに伸ばし、真新しい黒の式典用ローブに身を包んだ彼女は、巨大なステンドグラスから降り注ぐ七色の光の粒子が、講堂の荘厳な静寂の中を舞う様を、ただ無感動に眺めていた。

ネリネにとって、この入学式という儀式は、世界という書物の、予測可能な目次をなぞる最初の頁に過ぎない。首席合格。それも彼女にとって驚きではなく、当然の帰結。努力と才能を正しい手順で掛け合わせれば、導き出される答えは常に一つ。彼女の世界は、そのような明晰な法則(ルール)で構成されていた。


彼女の隣の席は、空いていた。

首席たる彼女の隣は、次席の生徒が座るはずだった。しかし、その生徒は病欠だと聞いている。結果として生まれたその空白は、ネリネの心を微かに苛立たせた。完璧な数列に一つだけ生まれた、ささやかだが許容し難い欠番。その不均衡が、まるで自分の内面を映す鏡であるかのように感じられ、彼女は小さく息を吐いた。


その時だった。

講堂の重厚な扉が、ぎぃ、と軋む音を立てた。式典の開始を告げる鐘が鳴り響く、まさにその刹那。全ての視線が音の源へと注がれる。そこに立っていたのは、一陣の旋風だった。

亜麻色の髪は太陽の光を吸い込みすぎて色素が抜け落ちたかのように白っぽく、あちこちにはねて鳥の巣のようになっている。着ている式典用ローブは、なぜか片方の肩が大きくはだけ、まるでマントのように風をはらんでいた。そして、その足元は、儀礼用の革靴ではなく、泥の跳ねた丈夫な革のブーツ。

何より印象的だったのは、彼女が全身から放つ匂いだった。それは講堂に満ちる古書のインクと乾燥した薬草の匂いとは全く異質な、雨上がりの土と、名も知らぬ野の花々の蜜の匂い。

混沌という名の嵐が、秩序の神殿に迷い込んだかのようだった。


少女――ミラは、悪びれる様子もなくへらりと笑うと、講堂内を見渡し、唯一空いていた席、すなわちネリネの隣へと、少しばかり大きな足音を立てて歩いてきたのだ。どかり、と音を立てて席に座ったミラは、その衝撃でネリネの椅子まで微かに揺らした。ネリネは、自らの領域に投じられた小石が起こした波紋のように、眉根をわずかに寄せた。


「ふぅ、間に合ったー! えっと、ここ、空いてるよね?」


太陽を凝縮したような声だった。ネリネは視線を壇上に固定したまま、唇の端だけで答える。


「……ええ。本来は、次席の方が座るべき席でしたが」

「じせき? ああ、二番の人か! 病気なんだって? そりゃ災難だ。ま、そのおかげであたしが座れたんだけどね。ラッキー!」


あっけらかんと言い放つミラに、ネリネは返す言葉を失った。この少女の思考回路は、どのような構造になっているのだろう。他者への配慮という基本的な公式が、まるごと欠落しているように思える。

ネリネは内心で、目の前の存在を「観測対象:カテゴリー分け不能」というラベルを貼ったファイルに格納し、意識を閉ざそうと試みた。しかし、無駄な努力だった。

隣から伝わってくる温かな体温、微かに聞こえる楽しげな鼻歌、そして落ち着きなく揺れる足が立てる微かな振動。

その全てが、ネリネの築き上げた静謐な世界に、不協和音を奏で続けていた。


やがて、白金の杖を携えた学院長が壇上に立ち、厳かに口上を述べ始めた。学院の歴史、魔法が持つべき威厳、そして若き才能たちへの期待。ネリネにとっては耳に心地よい、予定調和の旋律だった。

学院長は、式のクライマックスとして、新入生たちに学院が司る魔法の深淵、その一端を示すためのデモンストレーションを始めた。

彼が杖を静かに掲げると、講堂の中央に、何もない空間から水が生まれ、渦を巻き、やがて巨大な水の球体となった。球体の中では、光の粒子が魚のように群れをなして泳ぎ、幻想的な光景を織りなしている。緻密な魔力制御。寸分の狂いもない、完璧な芸術。ネリネは、その術式の美しさに、ほう、と知らず識らずのうちに感嘆の息を漏らした。


だが、隣のミラは違った。

彼女は、術式そのものには何の興味も示さなかった。ただ、水の球体の中で明滅する、一つの光の粒を、じっと見つめていた。まるで、旧い友人に語りかけるかのように。その瞳は、好奇心という名の星々を宿してきらきらと輝いている。

「ねえ、君。そんなところに閉じ込められて、窮屈じゃないの?」

ミラは、誰に聞かせるともなく、そう囁いた。それは問いかけというよりは、呼びかけに近かった。世界を構成する要素、そのものへの。


その瞬間、事件は起きた。

学院長の制御下にあったはずの光の魚の一匹が、ミラの呼びかけに呼応するかのように、ぴくん、と大きく跳ねたのだ。それは、完璧に統率された楽団の中から、一人の奏者が突然、即興のアドリブを始めたようなものだった。

光の魚は、仲間たちの輪舞を離れ、水の球体の内側から、壁を激しく打ち始めた。一度生まれた不協和音は、瞬く間に他の光の魚たちにも伝染していく。統制を失った光の群れは、球体の中で暴れ狂い、学院長の作り出した小さな水の牢獄は、内側からの反乱によって今にも決壊しそうに激しく揺れ動いた。


講堂が、どよめきと低い悲鳴に包まれる。学院長は、眉間に深い皺を刻み、杖を握る手に力を込めて、必死に制御を取り戻そうとしていた。


「……貴方、何をしましたか」

隣の少女に向けたネリネの声は、氷のように冷たく、そして静かだった。怒りというよりも、目の前で起きた理解不能な事象への、純粋な問い。

「あたし? 何もしてないよ。ただ、ちょっとだけ『こんにちは』って言っただけ」

「『こんにちは』ですって? 魔法の根源たる純粋なマナ粒子に、馴れ馴れしく話しかけるなど……正気の沙汰ではありません!」

「えー、だって、つまらなそうだったんだもん。……だから、あたしと遊びたいかなって」

ミラの言葉は、悪戯が成功した子供のように、無邪気さに満ちていた。その無邪気さこそが、この秩序の神殿においては、最も危険な禁忌であるという自覚は、彼女には一片も無いようだった。

魔法は、驚異と神秘の世界から汲み上げられる奇跡だ。だからこそ理性と秩序という手綱をつけなければ、容易に人の手を離れてしまうというのに。


水の球体は、ついに限界を迎えた。ガラスにひびが入るような鋭い音と共に、表面に亀裂が走り、制御を失った膨大な魔力と水が、講堂内に向かって迸ろうとしていた。学生たちの間から、短い悲鳴が上がる。


「危ない!」

「――避けなさい!」


ネリネは叫びよりも早く、行動していた。パニックは、無駄な変数。彼女の思考は、既に解決策の算出を終えている。この暴走した魔力を、より強力な魔力で相殺するのは下策。エネルギーの衝突は、さらなる被害を生む。ならば正解は、相殺ではなく、誘導。暴走する流れに、新しい流路を与えてやること。

彼女はローブの袖から、一本の銀の指ぬきを嵌めた指を覗かせると、まるで指揮者のように、繊細に空を切った。


「奔流よ、秩序を識れ。汝の道は、天にあり」


彼女が紡いだのは、攻撃魔術でもなければ、防御魔術でもない。ネリネが最も得意とする、事象の定義を書き換えるための、極小の『注釈』のような魔術だった。

ネリネの指先から放たれた銀色の魔力の糸が、決壊した水の奔流に触れる。すると、激流は暴力的な性質を失い、まるで意思を持ったかのように、その進路を上方、講堂の高い天井へと変えた。

水は天井に到達すると、霧散し、無数の小さな雫となった。そして、暴れ回っていた光の魚たちは、その雫の一つ一つに宿り、講堂全体に、まるでダイヤモンドダストのような、きらきらと輝く幻想的な光の雨を降らせたのだ。


あっけにとられていた学生たちは、やがて、そのあまりの美しさに、感嘆の声を漏らし始める。悲鳴は歓声へと変わり、大惨事になるはずだった事故は、入学式を彩る最高のサプライズ演出として、その場にいた全ての者の記憶に刻まれることとなった。


全てが収まった後、ネリネは、魔力を使ったことによる微かな疲労を感じながら、深く息を吐いた。そして、全ての元凶である隣の席の少女を、初めて真正面から見た。

そのオリーブ色の瞳には、恐怖も反省の色もない。ただ、今ネリネが成した魔術の軌跡をうっとりと見つめ、そして、子供のような、一点の曇りもない称賛の光をたたえていた。


「……すごい。今の、なに? 喧嘩してた魚たちに、『みんなで一緒に遊ぼうよ』って、新しい遊びを教えてあげたみたいだった!」


最悪だ、とネリネは思った。

自分の完璧であるはずだった世界の始まりの日に、これ以上ないほどの混沌が、すぐ隣の席で産声を上げてしまった。それは事故であり、厄災であり、そして何よりも――理解不能な、美しい現象だった。


ネリネは何も答えず、ただ黙って前を向いた。だが、彼女の整然たる心の内側で、今まで感じたことのない、未知の数式が生まれようとしている予感までは否定することができなかった。

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