第2話「氷の仮面と、星詠みのオルゴール」
フィオの店の評判は、まるで淹れたてのハーブティーがふわりと香るように、じんわりと、だが確実に街に広まっていった。
「どんなガラクタも、思い出ごと蘇らせてくれる魔法使いがいるらしい」
「料金は高くなくて、品物への愛情があるかどうかを一番大事にしてくれるそうだ」
そんな噂が人々の間で囁かれるようになったある日の午後。店のドアに取り付けられた古い真鍮のベルが、ちりん、とこれまでで一番澄んだ音を立てた。
フィオが作業台から顔を上げると、そこに立っていた人物に思わず息をのんだ。
陽の光を反射してきらめく、絹糸のような銀髪。磨き上げられたサファイアのように、全てを見透かすかのような深い青い瞳。寸分の隙もなく仕立てられた上質な黒い外套は、この埃っぽい路地裏にはあまりにも不釣り合いだった。何よりも印象的だったのは、その表情。まるで精巧に作られた氷の仮面を被っているかのように、一切の感情が読み取れない。
「いらっしゃいませ」
緊張を押し殺し、フィオが声をかける。青年はこくりとうなずくと、店の中へゆっくりと足を踏み入れた。そして、その青い瞳は、フィオが修理した古びた品々を、まるで美術館の至宝でも見るかのように、一つ一つ熱心に追いかけ始めた。フィオの予想に反し、青年は店の鄙びた雰囲気を嫌うどころか、懐かしむような、それでいて深い興味をたたえた眼差しを向けていた。
「…レオ、と申します。面白い品を扱っていると聞いて、足を運びました」
低く、落ち着いた声だった。彼は「レオ」と名乗ったが、その立ち居振る舞いから、ただ者ではないことが窺える。しかし、フィオは客の素性を詮索するつもりはなかった。この店に訪れるのは、品物に思いを寄せる「客」である。それ以上でも、それ以下でもない。
レオはしばらく店内を静かに見て回っていたが、やがて店の隅で、忘れられたように置かれていた一つの木箱に目を留めた。それはフィオが先日、ガラクタ市で見つけたもので、蓋は割れ、装飾は剥がれ落ち、およそ売り物には見えないほどひどく壊れたオルゴールだった。
レオがそれに手を伸ばそうとした瞬間、フィオは慌てて声をかけた。
「あ、お客様、そちらはまだ修理中でして…。いえ、修理できるかどうかすら…」
しかしレオは、まるでフィオの声が聞こえていないかのように、その木箱をそっと持ち上げた。そして、傷だらけの表面を、まるで壊れ物を扱うかのように優しく指でなぞる。その横顔は相変わらず無表情だったが、瞳の奥には、確かな愛情の光が宿っているようにフィオには見えた。
フィオは黙ってレオの隣に立ち、彼が見つめるオルゴールにそっと【神眼鑑定】の意識を向けた。すると、脳内に膨大な情報が流れ込んでくる。
――アイテム名:『星詠みのオルゴール』
――等級:【国宝級遺物・ロストテクノロジー】
――詳細:約三千年前、滅びた古代魔法文明によって作られたアーティファクト。内部に星の魔石が組み込まれており、正しい音色を奏でることで、失われた古代の星々の記憶を光の幻影として映し出す。長年の放置により、内部機構の七割が破損。星の魔石も魔力を失い、休眠状態にある。修復には、古代文明の知識と極めて高度な錬金術を要する――
「……とんでもない、お宝だ」
思わず、声が漏れた。国宝級? 古代魔法文明の遺物? ガラクタ市で銀貨一枚で買ったこの木箱が?
フィオの呟きに、レオが初めて反応した。彼はゆっくりとフィオに顔を向け、その青い瞳でまっすぐに見つめる。
「…今、お宝、と?」
「え、あ、いえ! その、とても古い時代のものなのかな、と。素晴らしい細工ですし、きっと作られた当時は宝物のように扱われていたんじゃないかと思いまして…」
慌てて取り繕うフィオだったが、レオは疑う様子もなく、再びオルゴールに視線を落とした。
「…そうか。君にも、これの価値が分かるのか」
その声には、微かな喜びが滲んでいるようにフィオには聞こえた。
「これを、直してほしい。どんな代償を払ってでも構わない」
氷の仮面の下から発せられた、真剣な依頼。フィオは迷った。鑑定結果によれば、修復は困難を極める。自分の手に負えるかどうかすら分からない。それに、もしこれが本当に国宝級のアイテムだとすれば、下手に手を出して完全に壊してしまったら、取り返しがつかない。
しかし、フィオはレオの瞳から目が離せなかった。そこにあるのは、権力者が持つような独占欲や、金銭的価値を求めるいやらしさではない。ただ純粋に、このオルゴールが奏でるであろう音色と、見せてくれるであろう光景を、心の底から渇望している瞳だった。そこにあるのは、道具への純粋で深い愛情だった。それは、フィオが最も大切にしているものだった。
この人の想いに、応えたい。
「…代償なんて、必要ありません」
気づけば、フィオはそう口にしていた。
「ただ、一つだけお約束してください。このオルゴールが蘇ったら、世界で一番、あなたがこれを大切にしてあげると」
フィオの言葉に、レオはわずかに目を見開き、その青い瞳がほんの少し揺らいだ。彼はしばらく黙っていたが、やがて、はっきりと頷いた。
「…ああ、約束しよう。これは、私の生涯の宝物になる」
その言葉に嘘はなかった。フィオは、採算を度外視してこの依頼を引き受けることを決意した。
「わかりました。お預かりします。ただ、少しお時間をいただくことになるかと…」
「構わない。いつまでも待つ」
レオはそう言うと、オルゴールを名残惜しそうにフィオに手渡し、店の住所と名前だけが書かれたシンプルなカードを差し出した。
「修理が完了したら、ここに連絡を」
そして彼は、来た時と同じように静かに店を出ていった。ベルの音が、ちりん、と余韻を残した。
一人残された店内で、フィオは腕の中の古いオルゴールを抱きしめた。ずっしりとした重み。それは、古代文明の遺物という価値だけでなく、レオという青年の、静かで熱い想いの重さのようにも感じられた。
いったい、彼は何者なのだろう。なぜ、これほどまでにこのオルゴールを求めるのだろう。
様々な疑問が浮かんだが、今は考えるのをやめた。やるべきことは一つ。このオルゴールを、最高の状態で彼の元へ返すことだ。
フィオは作業台に向かうと、愛用の工具を手に取った。その瞳には、困難な挑戦に立ち向かう職人の、静かな闘志が燃えていた。
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