第4話 ダラン

灰色の瞳が僕を射抜いたまま、唇がゆっくりと開いた。


「──昨夜は言葉も交わせず、無礼なことをしました。

 さぞ気分を害されたことでしょう」


低く、深く、岩壁に染み入るような声だった。

その響きに背筋がぶるりと震える。恐怖ではない。鳥肌が立つほどの、ぞくりとした衝撃だった。


「我ら“地の民”には、陽の光は強すぎるのです。

 太陽は肌を爛れさせ、目を焼き、次の瞬間には何も見えなくしてしまう。

 だからこそ、あの黒いヴェールを纏わねば、地上に立つことすら叶わぬのです」


淡々と語られる言葉。けれど、その声音には一片の偽りもない──信じざるを得なかった。


「今の若い者たちは、日の光を全く受け付けない身体で生まれることが多い。

 婚礼の場で指先ひとつ出せなかったのも、参列者がいなかったのも、布の隙間から光が忍び込めば命に関わるからです。

 皆を驚かせたのは分かっていた。本当は話もしたかった。……あの時間が限界で、どうにもならなかったのです」


(……そんな危険を冒してまで、わざわざ地上に……カミュラ姉の前に現れてくれたのか……)


ダランは静かに膝をつき、頭を下げる。無造作に編まれた髪がパサ、と小さな音を立て、伏せられた長いまつ毛が揺れた。


──本当に、美しい。


「地上のように、何不自由なく、とはいかないでしょうが、少しでもあなたが快適に過ごせるよう、皆で準備をしております」


その言葉に胸が熱くなる。

恐怖で縮こまっていたはずなのに、胸の奥がじんわりと震えていた。


(──彼はただの影なんかじゃない。僕のために光の下へ降り立った勇気ある人だ)


褐色の男は、静かに一歩進み出る。灰色の瞳が揺らぎ、名を告げた。


「……ダラン・アヴェールだ。地の国にお迎えできて光栄だ、知の国ナランサスの姫君」


名を口にしたその瞬間、白い手袋の指が恭しく持ち上がる。

戸惑いながら差し出した右手を取られ──唇がそっと触れた。


「──っ!」


胸が早鐘を打つ。これまでの婚礼で見たどんな王たちの振る舞いよりも、鮮烈で胸を焼いた。


(………これは、本当ならカミュラ姉に向けられるはずなのに……)


どうしていいか分からずに、そっと視線を上げた先、白い手袋の下から伸びる褐色の肌に、見慣れぬ模様が浮かんでいるのが見えた。


初めて見る肌に浮かぶ幾何学な模様。

でも、それが地の国の者特有のものなのか、何なのかが分からなかった。


僕の視線に気付いたのか、ダランが教えてくれたのだ。

 

「これは、十歳を迎えた子に、両親が願いを込めて挿れる刺青です。

 痛みを知り、それに耐え、大人へと近づいていく……。

 毎年誕生日に模様を増やし、その人がどれだけ生きてきたかを知る。

そして、全身が模様で埋まったとき──ようやく“死ぬことが許される”」


 灰色の瞳がすっと細められた。


「だから俺たちは死ねない。死ぬまで模様を刻み続けなければならない。

それが“地の民ドルナーグ”に生まれた者の誇りであり、呪いでもある」


「そんな痛みを……毎年、ですか?」


「ええ。ですが、案外と慣れるものです」

 灰色の瞳がすっと細められ、誇らしげに光った。


「それは……私も、いずれは?」

 恐る恐る問いかけた。

 ──もし姉の身代わりとして模様を刻まれてしまったら。

 国に戻ったとき、すべて露見してしまうかもしれない。


「もし望むのなら、止めはしません。ですが──」

 ダランは微かに微笑み、白い手袋の指先でソレルの手をなぞった。


「あなたの白い肌には、きっと似合わない」


「──っ」


 頬がかっと熱くなる。

 違う、これは僕にではなく、カミュラ姉に向けられた言葉なのだ。

 そう分かっているのに……どうして胸がこんなに高鳴るのか。


「我ら地の民ドルナーグにとっては、これがあることが誇りであり、親からの愛だけど、それをあなたに強要するつもりはありません。

 ──あなたが生きてきた国にはない文化でしょうから。

 受け入れられなくても、いつかは慣れてもらえたら嬉しいですが…。」


「……どうして、ナランサスの国のことまで……?」


 問いかけると、ダランの口もとがわずかに緩んだ。


「大事に育てられた花嫁をいただくのですから──

 その人が育ってきた国のことくらい、知るのは当然のことではありませんか?」


 胸の奥が、ちくりと痛んだ。

 僕は何一つ調べられなかったのに。

 ダランは、僕らのことを知っている。

 そのことが、少しだけ悔しかった。


 四百年前、僕らの国には遺恨があった。

 ドルナーグの民が僕らを見捨てた。

 だけど──もう少し知ってもいいんじゃないだろうか。

 そう思えたんだ。

 

「……もっと、この国のことを教えていただけませんか?」


 勇気を振り絞って口にした問いかけに、灰色の瞳が柔らかく細められた。


「──もちろん」


 その一言だけで、胸の奥に小さな熱が灯る。


「きっと知らないことばかりで戸惑うことも多いと思います。

 だけど──、俺が嫌なことからあなたを守ります。

 だから、全部教えてくれないだろうか。」


 低く囁かれた声が、洞窟の岩壁に染み込んで耳に届く。

 その響きに、胸がきゅ、と鳴った。

 本来なら、姉に告げられるはずの言葉。

 けれど今、その視線も、声音も、僕に向けられている。


(……優しい人だ……)


 喉の奥がつまって、呼吸が苦しいほどだった。

 その瞬間だけ、僕は自分が「身代わり」だということを、すっかり忘れてしまいそうになった。

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