27 緊急事態
ルカは一度寄宿舎の自室に転移した。室内は真っ暗で、しんと静まりかえっている。もう深夜を過ぎているし、ほとんどの者が眠っている時間だ。
ルカはアベルのベッドのカーテンをそっと開けた。穏やかな寝息を立てて眠るアベルの姿を目にしてほっと胸を撫で下ろす。恐らく、アベルは目を覚ましたら何も覚えてはいないだろう。犯人は、アベルを傷付けたりはしていないようだ。
ルカはアベルがきちんと自室で寝ていることを確認すると、再び転移魔法を発動させ、今度は第二王子の部屋に移動した。不法侵入だが、今は緊急時ということで許してもらおう。レオはまだ戻ってきていないようだ。まだ先ほどのお店にいるのかもしれないが、ルカはもうあの店に行きたくなかったので、このままこの部屋でレオが戻るのを待つことにした。
一応戻ってきたら、全部話してくれるって言ってたし。何故レオが王子様に成り代わっていたのか、やはりオスカーの言う通り、レオは第二王子の影武者なのかもしれない。どういった経緯でそうなったのかは分からないが。
それより気になるのは、レオが闇属性の魔力を持っているということだ。ルカの記憶では、前世のレオは闇属性の魔力は持っていなかったはずだ。今世ではその属性を持って生まれたのだろうか。それとも……。
(……前世の僕と同じで、魔の者と取引して、闇属性の魔力を手に入れた?)
ルカは部屋のベッドに腰掛けて考え込んだ。もしそうだとするなら、レオは対価を差し出して何かを手に入れたことになる。
「ううーん」
ルカは頭をかきむしった。考えれば考えるほど謎が深まるばかりだ。とりあえずレオが戻ってきたら全部説明してもらうことにし、ルカはふかふかのベッドに横になった。とはいえ、眠ると悪夢を視るので、レオに買って貰った本を寝っ転がったまま読んでみることにした。
結局その日、朝になってもレオは帰ってこなかった。
***
ルカは一睡もできず、ベッドの中で泣き崩れていた。レオが帰って来なかったからではない。いや、レオのことも勿論心配ではあるが。
「この犬とこの子、可哀想すぎる……っ」
ルカは、レオが買ってくれた児童書を読みながら号泣していた。
絵を描くのが得意な貧しい少年と老犬との心温まる絆のお話なのだが、兎に角可哀想で報われなくて切ないのだ。特に最期、憧れの画家の絵の前で、愛犬を固く抱きしめたまま共に凍死している少年を天使が迎えに来て、天上界へ共に昇っていくシーンは涙なくして読めない。もう少し早く気が付いていれば、彼らは幸せになれたかもしれないのに。世の中にこんな悲しい物語が存在するなんて。
もっとも、ルカの場合、死後迎えに来るのは天使ではなく、取引した魔族なのだが。
「ううう……っ。レオ、帰って来なかった」
ルカは泣きながら本を閉じた。情緒はぐちゃぐちゃで、ルカの心は悲しみに押し潰されて死んでしまいそうだが、このままのんびりする訳にもいかない。
ルカは泣き過ぎて重たくなった頭を手で支えながら、唯一今の自分の状況を共有できそうな人物の所へ行くことにした。
「オスカーさあんっ!!大変ですううっ!!」
ルカは泣きながら、オスカーの部屋に突撃し、扉を何度も叩いた。早朝なので申し訳ないが、緊急事態なので許してほしい。しかし、部屋から反応がない。オスカーはまだ寝てるのだろうか。
「オスカーさんっ!!起きてくださあいっ!!番長っ!!炎帝っ!!カムバ───ック!!」
ルカはムキになってガンガン扉を叩いた。やはり転移魔法で中に入り無理矢理叩き起こしてやろうかと思っていると、中から物凄い勢いで扉が開いた。
「うるせえっ!!お前、何時だと思ってんだよ!つか、そのフザけたあだ名で呼ぶんじゃねえ!!マジでブッ殺すぞ!!」
オスカーは寝起きとは思えない怒号でルカに叫んだ。不良なので相変わらず口が悪い。いつもならその剣幕にルカは怯えまくるところだが、ルカの情緒もやや興奮していておかしくなっていた。
「オスカーさんっ!僕もう無理です!!」
ルカは泣きながらオスカーに縋り付いた。ルカのあまりの憔悴っぷりに、流石のオスカーも怒りを忘れて心配そうな声音で聞いてきた。
「……どうした、なんかあったのか?」
「僕もう闇堕ちしそうです……っ!この本の内容が惨すぎて!」
ルカは泣きながらオスカーを見上げた。オスカーは一瞬だけ驚いた様子でルカを見下ろし、それからルカが大事に抱えている児童書を見て全てを察したのか、額を押さえて「あー」とシラケた目をして呻いた。
そして盛大に溜め息を吐き出してから、ルカの頭を撫でると「とりあえず中入れ」とルカを部屋の中に促したのだった。
「で?その本はとりあえず置いておいて、何があった?人を早朝から叩き起こした理由がその本だけなら、マジで殺すけど」
部屋の中に入ると、オスカーは自分に抱きついているルカをベリッと引き剥がして、ベッドに座らせた。ルカはオスカーの脅しにビクつきながらも大事に抱えていた本を置いた。なかなか涙がとまらない。
「……実は、レオが朝になっても帰って来ないんです……」
ルカはしくしく泣きながら話し始めた。オスカーはその言葉を聞いた途端、僅かに顔を顰めた。
「……お前、今まで何処にいた?」
「さ、サミュエル殿下の部屋のベッドに一晩中居たんですが、結局一睡も出来なくで……ううぅっ……。あ、その前はアベルに手錠をかけられて、監禁されてて!それで、何とか逃げてきてっ…」
「ああ?」
オスカーはルカの言葉の意味が分からず首を傾げた。その時である。
「……だいたい状況は把握しました」
突然静かな声がしたかと思うと、向かいのベッドのカーテンがシャっと開いた。中からゆらりと現れたのは、シモンである。そう言えばオスカーの同室者はシモンだった。
「あ、おはようございます、シモンさん。……すみません寝てらっしゃるところ……」
ルカは泣き腫らした目をこすりながら、シモンに挨拶した。どうやらオスカーとルカの話し声で起こしてしまったようだ。
「いえ、お気になさらず。それよりルカさん、いつの間にか同室のアベルさんまで毒牙にかけていたのですね。流石です」
シモンは寝起きとは思えない爽やかさで、ルカに微笑んだ。
「へ?ど、毒牙?」
ルカは困惑した。何だかとんでもない誤解をされている気がするが……。
「……いつか、ルカさんを巡って血で血を洗う争いが起きると思ってましたが……やはり。他の方に嫉妬したアベルさんに監禁され、何とか逃げ出し愛人であるサミュエル殿下に助けを求めたら、一晩中ベッドの中で熱烈な愛の交歓を求められた……と。しかし泣きながらオスカーの元に逃げてきたということは、サミュエル殿下の愛は、激し過ぎて受け入れきれなかったのでしょうか?それとも実はオスカーが本命ですか?かなり面白い展開になってきましたね」
シモンは凄まじい妄想力を発揮して、大真面目に語ってみせた。しかし言っていることは的外れで、全くもって訳がわからない。
「シモン、お前、ちょっと黙って寝てろ。話がややこしくなる」
オスカーは頭を抱えながら、ルカとシモンの間に割って入って止めた。
「……分かりました。二人きりで愛を育みたいのですね。お邪魔してしまい申し訳ございません。どうぞ、私のことはお気になさらず、睦み合い続けてください」
シモンは小声で意味深に呟くと、自分のベッドに潜り込みカーテンをシャっと閉めた。自由過ぎる人である。
「それで?」
オスカーは仕切り直すようにルカに問いかけた。ルカは迷ったが、結局入学式から昨夜までのことを全部オスカーに話した。
「……とりあえず今日の建国記念祭に、第二王子の暗殺計画があるようなのです。アベルはそれに無理矢理加担させられただけみたいで。……レオが第二王子に成り代わっているのなら、レオが、危ない。何とかしないと……」
ルカは、最後は泣きそうになりながらも何とか話し終えた。
「第二王子は、ほぼ公式行事には出席してないだろ?今回も建国記念祭に出席予定はないはずだ」
「だと、良いのですけど……。とりあえず、今日は休日ですし、昨日のお店にもう一度行ってみようと思います。レオのことが心配なので」
ルカは不安そうに唇を噛んだ。何故だろう。何故か不安が消えない。精霊たちからもレオは無事だと報告を受けたのに。しかし、それなら何故レオは帰ってこなかったのだろう。
「まあ、とりあえず俺も行くわ。お前だけじゃ不安すぎる。それに、犯人の狙いも気になるし。……しかし、状況からすると入学式の魔物の襲撃も同じ奴の仕業の可能性が高いな」
オスカーは顎に手を当てて考え込んでいる。
「犯人はズバリ、ポンコツです!」
ルカは、オスカーの言う犯人像を自信満々で告げた。しかしオスカーは「は?ポンコツ?」と白い目でルカを見ている。お前が言うか?と顔に書いてある。
「まず、犯人は、僕をサミュエル殿下の愛人と勘違いして、僕の同室者のアベルを使って、僕を人質にしようと誘拐したんです。このことから、犯人は学園の関係者で、早とちりで妄想グセのある思い込みの激しい人物だと思われます」
ルカが静かに自分の推理を語りだした。「それ、お前だろ」という言葉をオスカーは何とか飲み込んだ。
「……次に、僕を見張っていた犯人の仲間ですが、お金で雇われただけで魔術師でもないただの優しい脳筋おじさんでした。僕はおやつと情報をもらって、アッサリ逃げ出すことができました。本気で監禁するつもりがなかったのかもしれませんが、犯人は、碌な友だちがいないと推察できます」
ルカは淡々と自分の推理を続けた。オスカーは黙ってそれを聞いていたが、「いや、お前だろ」と、結局我慢出来ずに突っ込んでしまった。
「……つか、第二王子がレオなら、お前を人質にするのは、アリだと思うがな」
オスカーがポツリと漏らした呟きは、ルカの耳まで届かなかった。
ルカは深呼吸をすると、向かいのベッドにスタスタ歩いていき、シモンのベッドのカーテンをシャっ!と開けた。
「犯人は貴方ですね!シモンさん!!」
ルカは鬼気迫る表情でシモンに迫った。
「え?ルカさん、私が犯人なんですか?」
シモンはベッドからゆっくり起き上がると、全く驚いた様子もなく、それどころかのんびりした様子で聞き返してきた。どうやら話を聞いていたらしい。
「そうです。僕の推理した犯人像はズバリ貴方です」
ルカはきっぱりとシモンに告げた。自信満々の表情である。
「あー、シモンなら、入学式も昨夜も部屋に居たぞ。残念ながらアリバイがあるな」
オスカーが、渋々横から口を出してきたため、ルカの推理は即座に破られた。何ということだ。
「ええ。昨夜は、オスカーが『ちょっと付き合えよ』と言って、私を無理やりベッドに引き摺り込み、一晩中ベッドの中で愛を確かめ合ったので」
シモンは爽やかな笑顔で答えた。しかし内容は全く爽やかではない。
「え?そうなんですか?」
ルカは思わず聞き返した。二人の仲が良いなと前から感じてはいたが、まさかそこまでの関係だとは。すると、オスカーの額にピキっと青筋が浮かぶ。
「……おいこら待てやコラ!捏造すんな!!捏造を!!俺が、いつお前をベッドに引き摺り込んだよ!?」
「え?だって昨夜のお前は、私の上で激しく……」
「やめろっ!誤解を生むからそれ以上言うな!つかお前、もう黙れ!」
オスカーがドスの利いた声で叫ぶ。とても貴族令息とは思えない汚い言葉遣いである。所詮オスカーも不良である。
「……しかしまあ、犯人がポンコツの子どもという部分には同意しますね。私ならそんな生ぬるい計画ではなく、もっと確実に、第二王子の命を刈り取りにいきますから」
シモンが爽やかな笑顔で、しかし物騒なことを言い出した。ルカは何故か背筋が寒くなる。
「あと、入学式の魔物の襲撃については、カラクリに心当たりがございます。事前に準備しておけば、犯人はその場に居なくても第二王子をターゲットにすることが可能でしょう」
「え?どういうことですか?」
ルカが驚いてシモンに尋ねると、シモンは苦笑しながら、ルカに向き直った。
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