18 確かめたいこと
放課後、すぐにでも寄宿舎の自室に戻って安静にしたいところなのだが、まだルカは放課後ミッションが残っている。サミュエルの部屋に制服のネクタイを取りに行かなくてはならないのだ。
真っ青な顔のルカを気遣い、アベルが代わりに受け取りに行ってくれると言ってくれたが、それは丁重にお断りしておいた。ネクタイは口実で、あの王子様は恐らくルカに用があるのだろう。それに、ルカも王子様に尋ねたいことがある。
放課後になるとすぐ、ルカは転移魔法でサミュエルの部屋に向かった。部屋の前の廊下に座標を合わせて転移する。ルカは軽く深呼吸をすると、サミュエルの部屋の扉をノックをした。
反応がない。
何も考えずに来てしまったが、早すぎてしまったようだ。
ルカがどうしようか思案していると、突如背後から苛ついた声が投げかけられた。
「お前、どうやってここへ入って来た?」
ルカがゆっくりと振り返ると、背後にエリオットと呼ばれていた眼鏡の怖い人が立っていた。腕を組んだままのその佇まいは威圧的で、冷たい印象を受ける。攻撃的な雰囲気を醸し出していた。
「……サミュエル殿下に、ネクタイを取りに来るよう言われたので」
ルカが淡々と答えると、エリオットの眉根が僅かに寄せられた。
「……質問の意図が理解できないのか?どうやって単身でここへ入ってきたのかと問うているのだが。ここは特別棟だ。生徒会役員や監督生など一部の生徒しか立ち入る許可は下りていない。通常は警備兵に入口で止められる」
ルカは転移魔法のことを話すかどうか迷ったが、面倒なのでやめた。どうやって言い訳をしようと思案する。
「私が呼んだんだから、問題ない。早かったな、ルカ」
緊迫した空気の中、ルカとエリオットの間に颯爽と現れたのはサミュエルである。金色の髪を揺らし優雅に微笑む姿は、王子様オーラ全開で実に心臓に悪い。
「顔色が悪いな、ルカ。おいで。先に『治癒』を施そう」
ふらついているルカの様子に気が付いたのか、サミュエルがルカに手を差し伸べてきた。ルカの腕を引いて当然のように部屋へ招き入れようとする。それを寸でのところでエリオットが止めた。
「殿下、お戯れも程々にしてくださいとお伝えしたはずです。素性の怪しい者を簡単に部屋に入れないでください」
エリオットがピリッとした声音で苦言を呈すと、サミュエルは肩を竦めた。
「……君の言いたいことは分かるが、部屋の中くらい気楽にさせてくれ。それに、ルカは私の友人だ。友人が部屋を訪ねてきて何が悪い?」
「殿下、立場を弁えてください。この者の身分は、殿下のご友人とおっしゃるには些か……」
「エリオット」
サミュエルが静かに名を呼んだ。その声音は冷たくて抑揚がなく、有無を言わせぬ響きがあった。思わずルカもビクリと身体を震わせる。エリオットもまた一瞬言葉に詰まった後、「……失礼いたしました」と言って引き下がった。
エリオットは唇を固く結び不機嫌さを隠そうともしなかった。
「……あの、僕はネクタイを取りに来ただけなので、用事が終わりましたら直ぐに戻ります……」
立ち入る隙のない2人の様子を目にして、ルカは遠慮がちに口を開いた。体調悪いし早く帰りたい。だがルカの腕はしっかりとサミュエルに掴まれていた。
「ルカ、私に少しだけ時間をもらえるか?君には少し確かめたいことがあるんだ。ネクタイもきちんと返すから」
有無を言わせぬ雰囲気のサミュエルに圧倒されて、ルカはおずおずと頷く。
「少し、2人だけで話がしたい。エリオット、悪いが席を外してくれるか」
サミュエルはエリオットに向かって淡々と告げた。エリオットは一瞬躊躇う様子を見せたが、すぐに「……かしこまりました」と恭しく一礼し、踵を返した。
エリオットが立ち去るのを見届けた後、サミュエルはルカの腕を引いて自分の部屋の中に招き入れた。
やはり王子様はルカに用事があったようだ。
サミュエルの部屋に押し込まれる形で2人きりとなり、ルカの身体に緊張が走る。
「不愉快な思いをさせてすまない。エリオットは悪い奴ではないんだが、融通が利かなくてね」
「……はい」
ルカの緊張を察してなのか、サミュエルは苦笑交じりに謝罪してきた。
「あの、確かめたいことって…」
とりあえず先に王子様の用件を尋ねようとしたルカの身体がふらりと傾いた。目眩で平衡感覚が危うくなり上手く踏ん張れない。前のめりに倒れる身体をサミュエルの腕が素早く抱き止める。突然の至近距離の接触であるにも関わらず、躊躇のない腕の動きと自然な動作に、ルカは抵抗する暇もなかった。
サミュエルの腕に抱きとめられたまま、ルカの身体は硬直する。
「……顔色が本当に悪いな。やはり眠れてないのか?大丈夫か?」
サミュエルは心配そうな表情でルカの顔を覗き込んだ。抱き締められたまま、ソファに座らされる。至近距離から見る王子の美貌は破壊力抜群である。しかし今はその美しさを堪能するような余裕はない。
「……だ……大丈夫です」
(ち……近い近い近い近い近い。顔近い)
思わず声が上擦るがそれどころではないのだ。なんでこの王子様は距離感がバグってるんだ。王族はみだりに他者との接触はしないはずであるが、彼に限っていえば、そういうのは全く無視らしい。
「先に『治癒』するから、こっち向いて」
「いえ。遠慮します」
有無を言わせない強制的な提案に慌てて断りを入れて、顔を背けたまま身体を離そうともがくも、ぎゅっと強く抱き締められていて、力が入らなかった。王子様のくせに飛んだ馬鹿力である。
密着して身体がほとんど固定されているので抜け出せないし、なんだかさっきから良い匂いまでしてくる。柑橘系のようなさっぱりとした爽やかで甘やかな香りである。居心地悪すぎて落ち着かない。一刻も早く脱出したい。
「遠慮しなくていいから、じっとしてて」
(遠慮じゃないのだが!)
ルカは心の中で叫んだが、抵抗も虚しく、顔を両手で固定されて強制的にサミュエルと真正面から向き合う形を取らされた。そのままソファに押し倒されてしまう。またこの体制だ。何なんだ、コレ。
(近い近い!!)
もう鼻先がくっつく距離である。
「口開けて」
美形のどアップは眼福どころか、いっそ暴力的である。羞恥で人に優しくなれないレベルだ。王子様の圧力と顔の良さに動揺して言葉も出ず固まっているうちに、ゆっくりとサミュエルの整った顔が近づいてきた。命令には従わなければ、と変に律儀なルカは機械的に薄く口を開く。
「……少し我慢してくれ」
申し訳なさそうに囁かれた後、そのまま重ねられた唇から流し込まれた『力』はとても美味で上品かつ温かみがあった。爽やかな甘みとコクが極上のチョコレートを口いっぱい頬張ったかのような幸福な気分になる。反射的に嚥下した途端、体内のもやもやしていた嫌なものが抜けていき身体が軽くなるのを感じた。それはもう見る見るうちに体調が改善していき、懐かしい安堵感に満たされる。
だがしかし、一方で頭の中は大混乱だった。
(……は?)
ルカの頭の中が疑問符で埋め尽くされた。
今、何が起こったのだろう。いや、少し冷静になれば分かるのだが理解が追いつかない。
「うん、少し魔力の流れが良くなったね」
そう言って微笑むサミュエルは実に満足そうだ。その微笑みに思わず見惚れてしまうほど綺麗な顔である。だがしかし今はそれどころではないのだ。
(魔力、を、流し込まれた?)
慣れ親しんだご主人様以外の魔力の波長を体内に感じたのは実に久し振りだった。恐らく王子様は親切心からなのだろうが、ここまで直接、物理的に接触して流し込む必要があったのだろうか?しかしおかげで体調が良くなったことも確かで、さらに相手の身分を考慮すれば、文句は言えない。決して言えないのだが。
だが、しかし。
これは大問題である。
『ルカ。この先俺以外の奴の魔力、絶対に受け入れるなよ』
ルカはご主人様の命令を思い出し、さっと血の気が引いた。今度こそ完全な命令違反である。この事実がご主人様にバレたら、間違いなくお仕置きコースだ。
(いやでも、これは不可抗力だ)
そう自分に言い聞かせるがしかし、ご主人様にバレたらと思うと恐怖で震えが止まらない。
「……震えてるな。まだ体調が優れない?もう一度しようか?」
ルカの異変に気付いたサミュエルが、心配そうに顔を覗き込んでくる。
ルカは無表情のまま首をプルプルと横に振った。何とか抵抗しなければ。これ以上の接触は無理だ。別の意味で気絶してしまう。ご主人様に知られたらどんな恐ろしいお仕置きが待っているのか……、考えただけでガクガクブルブルである。
「大丈夫だ。誰にもバレないよ」
思考を読んだかのようなタイミングでニコリと微笑みかけるサミュエルを見て、ルカの頬は引きつった。この王子様は人の心が読めるのではないだろうか?怖い。
「そんなに怯えないでくれ。傷付くから」
全く傷付いた風もなく、サミュエルはのんびりとした様子で告げるとルカの髪をそっと撫でた。そのまま顔を上に向かされて、目の前に現れる整った相貌。
「まだ正気みたいだから、もう少し我慢して」
笑顔でそう囁かれ、唇をまた重ねられた。今度は先程よりも深く口付けられ、ルカの口内をサミュエルの舌が蹂躙する。
(やば、……い)
ルカの脳内に警告音が鳴り響いた。これは非常にまずい。
濃厚で濃密な力を直接注ぎ込まれて、身体と心が徐々に侵食されていく。先ほどとは比較にならないくらい美味で上質な魔力が染み渡る。
「んっ……」
思わず鼻から抜けるような声が出た。懐かしい波長に身体が反応してしまう。ルカはぎゅっと目を瞑ったが、身体の奥から湧き上がる甘い熱を無視することはできなかった。快感と幸福感で身体が蕩けそうだ。
ルカはほとんど無意識にサミュエルの首に両腕を回してしがみつき、夢中でその甘美な口付けを味わっていた。
頭がふわふわして何も考えられなくなる。ルカの全身は快感で震え、身体の中心に熱が溜まっていく。
「……気持ちよくなった?」
身悶えるルカに、サミュエルが喉の奥で笑って甘く囁いた。ルカは熱に浮かされたまま、微かに頷く。身体の芯が蕩けそうなくらい気持ちが良かった。こんなの麻薬の一種だ。
この感覚を自分が忘れるはずが、ない。
ほんの少しだけ違和感を感じるけど、多分間違いない。
「……じゃあ、そろそろ質問に答えてもらおうかな。君がこの学園に編入してきたのは、何が目的?」
とろけるような顔で熱い息を吐いているルカに、サミュエルはスッキリとした顔で天使のように綺麗に微笑み、首を傾げながら容赦なく尋ねてきた。
ああ、なるほど。これが王子様の『確かめたいこと』か。
そして、違和感の正体も予想がついてしまう。
口を引き結んだまま、ぼんやりとした頭でルカは納得した。
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