16 天敵その2 悪役令嬢

「お待ちなさい。そこの貴方」


 全く味のしなかった昼食を終えて、教室へ戻ろうとルカがアベルと2人で廊下を歩いていると、不意に背後から呼び止められた。


 アベルと揃って振り向くと、そこには豪奢な縦ロールに縁取られた金髪と、意志の強そうなヘーゼルの瞳が印象的な美少女が仁王立ちで立っていた。

 尊大な口調とうって変わって、容姿は愛らしい小動物を思わせる可憐さである

 彼女は腰に手を当ててルカを睨み付けていた。


「ひっ」

 ルカは思わず小さな悲鳴を漏らしてしまい、慌てて口を押さえた。


(イヤイヤ、今世では初対面だから。初対面、初対面)


 自分に言い聞かせるように胸中で何度も呟くが、目の前の美少女の怒りに震える表情を見てしまうと、どうしても前世での恐怖を感じてしまう。


「あああ、あの、僕に何か……?」

「この私を差し置いて、サミュエル殿下とお近づきになるとは!何様のつもりなんですの?!」


 ルカが、おずおずと口を開くと、美少女は美しい眉を吊り上げながら吠えた。その剣幕にアベルはおろおろと狼狽えている。


「えっと?お近づき?はしてませんが。……っていうか、どっ、どちら様でしょうか?」


 ルカは遠くから密かに王子様を観察するだけのつもりだったのだ。どちらかと言うと、勝手に近付いてきたのはサミュエルの方である。しかし、そんなルカの反論は美少女の耳には全く入っておらず、彼女は怒りに震えながら言葉を投げ続ける。


「んまあっ!私を知らないと!?何て常識のない人なんでしょう!」


 美少女は信じられない、とばかりに目を見開くと、両手を頰に当てオーバーリアクション気味に驚いてみせた。


「ファーレンホルスト公爵家が長女、カロリーナ・オルコットですわ。サミュエル殿下の婚約者ですのよ。私に無断で殿下に近付いた不埒者がいると聞き及んだので、わざわざ確かめに来てあげたのですわ!」

「……?」


 自信満々な表情で胸を張るカロリーナ嬢に対し、ルカは首を傾げる。


(今世では、既に婚約者なんだ……)


 前世では、カロリーナ嬢はまだサミュエルの婚約者候補の1人だったはずだ。彼女はサミュエルの熱狂的な信者で、婚約者候補の令嬢の中では一番彼に執着しているようだった。当然、サミュエルの周囲への牽制も半端なかったため、何故か敵認定されてしまったルカも、彼女の手下と思われる令嬢たちに散々嫌がらせを受けたものだ。なお、実行犯として彼女自身は証拠を一切残していなかったので、仕返しはできなかった。

 できれば今世では関わりたくなかったルカの『天敵その2』である。まさかここで彼女に捕まってしまうとは思わなかったので油断した。


 それにしても、突然現れていきなり言いがかりをつけられ、ルカは困っていた。……どうしたものか。いつの間にか、周囲の注目も集めているようだし。


「公爵令嬢たる私が自ら声をかけて差し上げたというのに、無視なさるの?不敬ですわね!オホホ、今すぐ謝罪なさいっ」


 カロリーナは艶のある金の巻き毛を指でくるくると弄びながら、高飛車にそう言い放った。

 ルカは彼女の言い分が理解できず、途方に暮れていた。

 


「……お嬢様、こんな場所で何を騒いでいるのですか?そろそろ戻りませんと午後の授業に遅れますよ」

 

 その時、背後から落ち着いた声で呼びかけられた。振り返るとそこには、濃紺の髪にターコイズブルーの瞳を持つ青年が静かに立っていた。

 学園の制服を身に着けた彼は、片手に砂糖菓子のようなものが山盛りになった皿を持ちながら、ルカとアベルに向かって一礼した。眉目秀麗な容姿を持つ彼からは、洗練された気品が漂っている。


 カロリーナの従者だろうか?この学園の制服を着用しているということは、彼は学生なのだろう。しかし彼の姿は前世では見たことがない。ルカは突然の第三者の登場に混乱していた。


「うるさいわね、シモン。今いいところだったのに……無粋ですわ」


 カロリーナが不満げな声を上げると、青年もといシモンは呆れたようにため息を吐いた。


「また『悪役令嬢』の真似事ですか。そんなことより、お嬢様は目立ちすぎます。皆さん見てますからおやめください」 


「何を言っていますの?やっと『ヒロイン』が現れましたのよ?こんな機会を逃してなるもんですかっ!!」

 鼻息荒くまくし立てるカロリーナに、シモンは面倒くさそうに頭を搔いている。


「それに、仮にも『悪役令嬢』なら自らが悪事を働いて高飛車に振る舞い、周りから顰めっ面をされるのが定石でしょう?違う展開など許されませんわ」

「……はあ。どうでもいいですから、ちょっと黙ってください」


 カロリーナの訳が分からない理論を聞き流しながら、シモンは皿の上に乗っていた砂糖菓子をつまみ食いしている。


「……アベル、あの人たちが何のことを言ってるかわかる?」

「いや……わからないけど、『悪役令嬢』モノは今貴婦人達に流行りの小説ジャンルだったような」

「……しょうせつ?」

 ルカは眉を顰めた。理解不能な苦手分野だ。


 ルカはご主人様に拾われてから、魔術書に加えていろんな分野の学術書や論文は毎日読み漁ってきたので、人並み以上の知識はあるつもりだ。


 だが、情緒や感性といった部分は全く育っていない。それ故、どう対応していいか判断がつかない。


「気になるなら、今度本屋で調べてみたらいいよ」

 アベルはルカの心情を察したのか、苦笑しながら提案してくれた。

 

「……そうする」

 アベルの親切に、ルカは無表情のまま頷き返した。




 不意に、シモンがルカの方を見て、ふっと笑みを浮かべた。そして「お嬢様」とカロリーナに声をかける。


「……よく見てください。お嬢様。彼は見目麗しいお顔立ちをしておりますが、男性ですよ。どうやら『ヒロイン』ではないようです」

「え……!?」


 シモンの言葉に、カロリーナはルカの顔を驚愕の表情で凝視した。ルカも目をぱちくりさせながら、控えめに頷く。するとカロリーナはたちまち顔を真っ赤にして狼狽えだした。


「や、やっぱり、あの噂は本当だったのね?!サミュエル殿下はソッチに目覚めたって!!……殿下と、かつて四六時中一緒にいた護衛は中性的な金髪美少年だったという話だし……。ということは……」


 カロリーナは混乱した様子でぶつぶつと呟いている。何だかおかしな方向へと勘違いしているようだ。


 暫くすると、何かに気が付いたのか、彼女は目を剥いて叫んだ。


「分かったわっ!!貴方はサミュエル殿下の今の愛人ね!?殿下が夜な夜な寄宿舎を抜け出して、密会しているという噂の相手は貴方だったのね!」

「……は?」


 今度はルカの方が呆気に取られる番だった。アベルも隣であんぐりと口を開けて呆然としている。シモンだけがやれやれといった表情で頭を振っていた。


(……なんかまた変な方向に話が進んでいる……。『洗脳』とか『幻術』とかかけてる訳でもないのに、相変わらず凄い妄想力だなあ)

 


「……とぼけても無駄よ!!貴方が先ほど庶民の食堂でサミュエル殿下と熱烈な口付けを交わして、共寝の約束をしていたという情報が既に私の耳にも入っておりますのよ!?既に殿下を誑かし、そのお身体で誘惑するだなんて、なんて破廉恥なっ!!」


 カロリーナは身振り手振りを大袈裟に、息もつかずに捲し立てた。彼女の中では『ルカ=サミュエルの愛人』という図式が出来上がっているらしい。


「口付け……?え?まさか本当に」


 シモンが微妙な表情でルカの顔を見つめ、視線で問いかけた。その隣のアベルは、「ああ、アレか」と納得したように遠い目をしている。


「……一応。されたと言えばされましたが」


 ルカは無表情で淡々と正直に答える。熱烈かどうかは判断できない。それに唇などではなく、左耳に、だが。


「……へぇ、お嬢様の思い込みかと思ってたんだが、あの王子様、マジなんだ。隣国の第二王子もそうだし、最近の王族は寛容なんだなあ」

 シモンはルカの返答を聞くと、感心したように呟いた。素になったのか、口調が砕けている。

 


「っきゃ〜〜〜!いや〜〜!!学生の身分でなんてふしだらなっ!!貴方が殿下を堕落させてるのね!?殿下の目を醒まさせねばっ!!私、必ず貴方から殿下を救い出して見せますわ!!」


 カロリーナは顔を真っ赤に染めてそう宣言すると、そのまま脱兎のごとく走り去っていった。

「……」

 ルカは茫然自失で彼女の背中を見送るしかなかった。一体彼女は何をしたかったのだろう?




「お騒がせして申し訳ございません。うちのお嬢様は思い込みの激しい方で」


 砂糖菓子の載った皿は離さず、シモンは流暢な仕草でルカに向かって頭を下げた。


「申し遅れました。私、ファーレンホルスト公爵家に仕えております、シモン・アルムガルトと申します。以後、お見知りおきを」

 

 シモンは顔を上げると、ルカに向き直り、丁寧に自己紹介をした。


「えと、ルカ・クラルヴァインです」

 

 戸惑いながらも、ルカも一応自己紹介を返した。

 ルカが名乗ると、シモンは一瞬だけ驚いた表情をみせた。そしてすぐにルカに向かって柔らかく微笑んだ。


「……そうか、貴方が。あの方が推薦された方ですね。ますます興味がでてきましたよ」


 独り言のように呟いたシモンは、皿の中に残った砂糖菓子を一つ摘んでルカの口元に押し付けた。ルカが反応に困って思わず口を結ぶと、シモンはクスクスと笑った。


「こちら、商品開発中の試作品ですが、お近付きになった印に、どうぞ。召し上がっていただけませんか?」

「……」


 ルカは混乱していた。世間一般の常識がわからない。挨拶代わりにこうやってお菓子を相手の口に放り込むのは普通のことなのだろうか?


 釈然としない思いで、それでも拒むことも失礼なのかと考え、仕方なくルカはその砂糖菓子を口に含む。嚙み砕くと口内に果物の瑞々しい風味が広がった。

 

 その甘さに、一瞬だけ油断した。 


 次の瞬間、シモンから口内に指先を突っ込まれた。そのまま歯列をなぞられ、上顎をくすぐるように弄られる。その指先の動きに驚いて、ルカは硬直した。


「んんっ……!?」


 予想外の出来事にルカが目を見開くと、シモンは何事もなかったかのように、ルカの口から指を引き抜いた。そのままルカの唾液がついた自分の指先をペロリと舐める。


「は……?」

 突然のシモンの奇行にルカが呆然としていると、彼は口元に拳を当てて悪戯っぽく微笑んだ。先程の穏やかな微笑みとは違い、どこか蠱惑的だ。




「……甘いですね」




 シモンがそう呟いた瞬間、甲高い女性の悲鳴が響き渡った。カロリーナである。どうやら走り去った後校舎内を一周し、再び戻ってきらしい。


「なななななななにしてんのよ!?シモン!ははははは破廉恥だわ!!信じられないっ!!?はっ、ままままさかシモンもこの偽ヒロインに落ちたの!?シモンも攻略対象だったのね……!?」


 カロリーナが絶叫しながらシモンの胸ぐらを摑んでガクガク揺さぶっている。しかしシモンは揺さぶられながらも、平然としている。


「お嬢様、落ち着いてください。また理由のわからない妄言ですか。……まあ、彼のことは個人的に大変興味があるので、いろいろと知りたいと思っていますけど」

 

 シモンののんびりとした様子とは対称的にカロリーナはさらに沸騰した。


「イカれてんじゃないわよっっ!!シモン!!キイイイィィー!!貴方、殿下だけでなく、シモンまで誑すなんて、やっぱり転生ヒロインね!?男のくせにっ!私より可愛いのがムカつくわ!憎い!!貴方なんか殿下にもシモンにも相応しくないわ!!!」


「あ、あの、えと、すみません。ちょっと早口で何言ってるか分からないんですけど」

 

 真っ赤な顔で意味不明な罵詈雑言を並べ立てるカロリーナに、ルカは戸惑うばかりである。発言の意味が理解できない。

 しかし、ルカの発言にカロリーナはとうとうブチ切れた。


 手に嵌めていた繊細なレースの刺繍が施された豪奢なグローブを乱暴に外し、ルカに向かっていきなり投げつけてきた。


 


「決闘よ!!」


 

 

 周囲に響き渡る大声で、カロリーナが高らかに宣言した。

 

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