13 天敵その1炎帝



 部屋を出れば、見知らぬ景色が広がっていた。

 どうやら、サミュエルの部屋はルカの部屋がある寄宿舎とはべつの棟のようだった。

 

 

 ルカは自分の右手を目の前にかざし、じっと眺めた。サミュエルに手を握られていた際、僅かながら彼の魔力を感じたが、属性までは分からなかった。

 それより違和感を感じてしまったことがある。手を握られるだけでなく、抱き上げられたり、あちこち触られたりと、それなりに王子様と接触は多かったのに。


「……全く、反発しなかったな」

 ルカはポツリと呟いた。

 

 子どもの頃、孤児院でサミュエルに触られれたときは、発熱したかのように身体が辛くなり気を失いそうになってしまったし、前世では魔力が反発して暴走してしまったのに。


 首を傾げながらも、ルカは周囲を警戒して気配を探った。誰もいないことを確認し、無言で魔術を発動させる。転移魔法だ。




 ルカは極度の方向オンチだ。地図は何とか読めるが、一度通った道が覚えられず、特に初めての場所では一人で目的地に辿り着くのは困難を極める。一人で外出すると迷子になって帰宅できなくなってしまうため、子どもの頃は魔力制御の問題もあり、ご主人様に一人での外出禁止を言い渡されていた。

 一度命令違反を犯して案の定迷子になってしまい、魔物の大群に襲われそうになっていたところを、ご主人様に回収されたこともある。お仕置きとして尻叩きの刑を食らってからは、苦肉の策として転移魔法を覚えた。


 魔術式を組み立て、その目的地の座標を知ることができればどこへでも一瞬で転移することが可能だ。ルカは計算や魔術式を構築するのは得意なので、比較的簡単に習得できたが、一般的には転移魔法は高度で扱いが難しいとされている。


 寄宿舎の自室の座標は覚えているが、いきなりルカが現れると同室のアベルが驚くかもしれないので、少し離れた居室近くの階段に座標をあわせて転移した。

 外への入口と反対側の階段だったので、それほど利用者がいなさそうだったからだ。



 しかし、誰もいないと思っていた寄宿舎の階段には先客がいた。


「ひっ」


 思わず小さな悲鳴を漏らしてしまったルカに、その人物の視線が向けられた。どうやら男子生徒のようだ。


 学園の制服を身に纏い、長い足を持て余すように階段に座り込んで、煙草をふかしていたようだった。ネクタイの色からサミュエルと同じ3年生だと分かる。

 燃え盛る炎を想起させる緋色の髪に、切れ長の瞳。その相貌は、まるで炎に焼き尽くされたような苛烈さを感じさせた。

 青年は、ルカの姿を認めると僅かに目を見開く。 


「あー、お前……誰だっけ?どこかで会ったよな?」

「い、いえ、新入生なので初対面かと」

「……いや、そうじゃなくて、昔会ったことがあるような」


 青年は頭を掻きながら、ルカを頭から足の先までジロジロ眺めている。ルカは心臓が口から飛び出しそうなほど緊張していた。

 


 ルカはこの青年のことを一方的に知っていたからだ。

 

 彼の名前はオスカー・ブルクハルト。オスカーは、後に剣聖と呼ばれて王国最強の剣士に成長する人物であり、前世では、勇者と一緒に旅をする仲間の一人になる。

 彼が何故魔術に特化したアストレア学園に在籍しているのかは謎だが、確か剣技だけでなく魔力量も膨大でそれなりに魔術も得意だったはずだ。


 なお、前世では、オスカーは入学するなり学園をシメて番長となり、その強さとカリスマ性で学園の頂点に君臨していた。

 そんな恐ろしい不良とコミュ障のルカに接点など微塵もないはずなのに、前世ではルカが入学するなりいきなり校舎裏へ呼び出されて、笑顔で「久しぶりだな、ルカ。また会えて嬉しいぜ」と肩を組まれて、恐怖のあまり失禁しそうになった。全く意味が分からない。

 その後も、オスカーはやたらとルカに絡んできたので、いつの間にかルカは彼の舎弟扱いされてしまい、地獄のような学園生活を送らされることに。


 このため、オスカーはルカの中で『天敵その1』と位置付けられていた。



 できれば一生関わりたくなかったのだが、入学早々アッサリ再会してしまうとは……


 ルカは内心滝のように冷や汗を流しながら、オスカーから視線を外して彼の横を通り過ぎようとした。しかし、それをオスカーが許してくれなかった。彼はあろうことか通り過ぎようとするルカの手首を掴み上げたのだ。


(ぎゃあっ!)と悲鳴を出さなかっただけ偉いと思う。


「な、なんでしょう……?」

 仕方なく振り返るが、青年の端正すぎる面差しには、威嚇するような表情が浮かんでいる。




「お前……ひょっとして、『ルカ』か?」

「ひょえぇっ」


 ルカの喉から変な声が出た。何故、今世では初対面であるはずのオスカーが、自分の名前を知っているのか?しかも呼び捨てだ。まさか、彼も前世を覚えているのだろうか。


「ああああの、しょしょ初対面、……でちゅっ……」

「は?」


 動揺のあまり、噛んでしまった。オスカーは一瞬だけ怪訝そうな顔をするが、すぐにまた怖い表情に戻る。


「あー、やっぱ俺のこと覚えてねえか。お前、レオ以外の奴には全く懐かなかったからなあ」


「レオ?」


 急に懐かしい名前が出てきて、ルカの心臓が大きく跳ねた。

 


「俺の今の名前はオスカー・ブルクハルトだ。昔はただのオスカーだった。お前と同じ孤児院にいたんだよ」

「は、え?ええええっ?」


 ルカは改めてオスカーの容姿をまじまじと眺める。確かに、顔の作りや髪の色などこんな子どもが居た、と言われれば居たかも、というレベルではあるが。

 ということは、もしや前世でもオスカーと学園入学当初から面識があったのだろうか。だから無理矢理舎弟にされてしまったのか?ルカは脳内の引き出しから記憶を呼び起こそうとしたが、全くこれっぽっちも思い出せなかった。特に前世はいろんな意味でルカは病んでいたので記憶が曖昧な部分が多すぎる。


 オスカーが階段から腰を上げると、その身長の高さが際立った。威圧感がすごい。正面から見ると、実に端整な顔立ちをしていることが分かる。切れ長の目は鋭い光を宿し、双眸から覗く双眸から覗く緋色の眼光に射抜かれると身動ぎさえできなかった。


「ルカ。お前、死んだかと思ってたわ。ちゃんと、生きてたんだな」


 どこか感慨深そうに名前を呼ばれ、ルカは少しだけ困惑した。彼には前世の記憶がないように見受けられるが、前世では彼が気を失っている間に、ルカは勇者に殺されてしまったからだ。当然、最期の別れの挨拶もしていない。


 今世のルカは魔獣に攫われて行方不明になってしまったことにされているので、野垂れ死しているものと思われていたのだろう。多分それだけの理由だとは思うが、オスカーの物言いがどこか寂しげに聞こえて、ルカは少しだけ罪悪感を覚えた。

 何故か彼の視線から逃げ出したくなる。


「えっと……すみません。人違いです」

「なんでだよ」


 オスカーは不服そうに眉を顰めると、ルカに一歩近付いた。


「お前、ちょっと俺の部屋に来い。聞きたいことが山ほどある」

「え、いや……あの……」

 

 不味い。このままではまた舎弟コースまっしぐらだ。何とか逃げなければ。

 

 ルカは無意識に転移魔法を発動するべく、脳内で座標の計算を始めた。しかし、その刹那、オスカーが素早くルカの手首を再び掴むと、乱暴に引き寄せた。


「逃げるなよ」


 ドスの利いた声で凄まれ、ルカは身を固くした。オスカーはルカの腕を掴んだまま、強引に階段を上り始めた。振りほどこうにも力が強すぎて、全く抵抗できない。ルカの意志は関係ないらしい。そういえば、この男は昔からこういう奴だった。


「レオのこと、聞きてえだろ?お前が行方不明になった後、あいつが貴族の養子になったことは知ってるか?まあ、俺も魔力量が多いことが分かって、孤児院から引き取られたクチだがな」


 オスカーは一方的に話し続け、そのままルカを引きずるようにしながら階段を上っていく。


「……養子に?」

「レオは俺と違って要領が良かったからな。暫くして、あの王子様の遊び相手兼従者として、王宮に召し上げられたのさ」


 オスカーの言葉にルカは息を呑んだ。

 

「あの、王子様ってまさか……」

 ルカは、オスカーに腕を掴まれた状態で、恐る恐る尋ねる。

 

「……今、レオはどこに?」 

「続きは、部屋に着いてから教えてやる」

 

 オスカーはルカの動揺を見抜いているようで、ニヤリと笑った。


「来い」

 強引に腕を引かれ、ルカは抵抗を諦めた。そのまま連れて行かれそうになったとき「ちょっと待ってください!!」という声が響く。


 オスカーとルカが同時に声のする方を見ると、階段を駆け上る少年の姿があった。ルカのルームメイトのアベルである。肩で息をしており、相当慌てて駆けつけた様子だった。    


「オスカー先輩!新入生を騙して何をするつもりですか?強引に迫るのはお止めください!貴方のような危険人物を、何も知らないルカ君に近付けるわけにはいきません!!」

「あ?」


 オスカーは鋭い眼光をアベルに向けた。それだけで、辺りの空気が震えるほどの殺気が放たれる。アベルは震えながらも、ルカの腕を掴んでいるオスカーの手を引き剥がした。


「ルカ君!!逃げるよ!!」

「え、いやでも」


 アベルはルカの腕を掴むと、そのまま駆けだした。オスカーが追ってくる気配はなかった。チラリと後を振り向くと、彼は新たな煙草を燻らせながら不敵に笑っていた。





  



 



「もう!なんで抵抗しないのさ?君はもっと危機感を持った方がいいよ!」


 寄宿舎の居室まで戻って来ると、アベルはようやく足を止めた。そしてルカに向き直ると、腰に手を当て説教するように、説明をはじめた。


「あの先輩は危険だから、近付いちゃ駄目なんだ」

「……そう……なの?」

「そう!あの人、『炎帝』って言われてる、怖い先輩だよ!!」

「炎帝……?」


 アベルによれば、『炎帝』とは、オスカーの二つ名だそうだ。彼の髪色から名付けられたらしい。彼は火属性魔術のエキスパートで、特に攻撃魔法が得意なんだそうだ。またその苛烈な戦闘スタイルと圧倒的な魔力で敵を容赦無く屠ることから、畏怖と尊敬を込めて『炎帝』という異名が付いたのだそうだ。番長ではないらしい。


 前世も含めてそれは知らなかった。本人からは一度も聞いたことがなかったが、なんだか恥ずかしい二つ名だな、とルカは少し気の毒に思った。

 

「学園の不良のトップで、まるで魔王みたいだって噂されてる。けど、あの外見だから、すごくモテるけど手も早い。さっきみたいに強引に迫られて、『ちょっと俺の部屋に来い』って言われた女子は数知れず!男も部屋に連れ込んでるって噂もあるし。ルカ君みたいな可愛い子は、騙されてすぐに食べられちゃうから」


 アベルが大袈裟に身震いして見せると、ルカは首を傾げた。


「僕なんか食べても美味しくないけど」

「……そういうとこだよなあ。何かルカ君って、無自覚に攫われやすそう」

 アベルは溜息をつきながら呟いた。


「……今日、朝起きたら部屋にいないし、入学式にも出席してなかったし、心配してたんだよ?入学式の最中に、学園に魔物の襲撃があったとかで大騒ぎだったんだ。なのに、ルカ君、医務室にも居なくて、寄宿舎の部屋にも戻って来なくて……先生に呼ばれて探してたら、炎帝に捕まってるし……」

「悪い……。ちょっと迷子になってしまって」


 ルカがもごもごと答えると、アベルは申し訳なさそうに眉根を寄せた。


「……ごめんね。僕がきちんと最初に案内して、いろいろと説明してあげていれば良かったね」

「いや、それは違う。僕の方向オンチのせいだから」


 ルカが首を振ると、アベルは複雑そうな表情を浮かべた。


「……ごめん。昨日、サミュエル殿下のことを尋ねられたときに、ちょっといろいろと言い過ぎちゃったかな、と思って気になってたんだ。ストーカーは良くないとは思うし、目立っちゃうと危険だけど、殿下に憧れるのは仕方ないもんね……」

 アベルは神妙な面持ちで謝罪の言葉を口にする。


「あ?いや、それはもういいんだ。なんか逆に悩ませてごめん」


 王子様にゲロをぶち撒けるという最悪の再会をしたので、サミュエルがルカの顔を忘れてしまうまで、ルカはもう関わらないつもりだ。こっそりと観察はしたいが。

 ルカがそう伝えると、アベルは納得しかねる表情を浮かべながらも頷いた。


「まあ、それならいいんだけど……。僕たちクラスも同じだから、改めてよろしくね。……ルームメイトとして、仲良くしてくれると嬉しいな」

「あ、うん。えっと、こちらこそ」

 ルカが慌てて頭を下げると、アベルはにっこり微笑んだ。


(あれ?もしかして、これってお友達として認められたってことなんだろうか?)


 ルカは心の中がじんわりと温かくなるのを感じた。前世では友達がいなかったので、純粋に嬉しい。



「あ、そうだ。忘れるところだった。先生がルカ君を探してて……。なんか、魔法省から来た人が、ルカ君に用事があるみたいなんだ」


 アベルの言葉に、せっかく温かくなった胸が、急速に冷えていくのをルカは感じた。


 

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