拷問と思索

 ゲオルネがヴィクトルと面会した、ちょうどそのころ。マスミルドは、薄暗い地下室に閉じ込められていた。部屋の澱んだ空気は、ひどく臭い。ごみ処理場の一室である。彼は、冷たいパイプ椅子にきつく縛り付けられていた。抵抗することは死期を早めるだけだとわかっていたから、大人しくされるがままに拘束された。すぐに殺されなかったのなら、まだしばらくは生き永らえられるだろうと思ったから。

 扉のすりガラスに、懐中電灯の灯りがさす。

「こいつですよ、例のFGS野郎は。あろうことか、仲間を国外に逃がしやがった」


「そうですか、逮捕と通報へのご協力感謝いたします」


「あなたの勇気は、きっと大勢を救うでしょう」


「それはそれは。今後とも、ごひいき願いますよ」


「ええ」


 張りつめた声と優しげな声、それにマスミルドを捕らえた地主の声がする。一つの足音が去って行き、残る二人が扉を乱暴に開けた。

「マスミルド・ンカリスクだな。連邦工科大学の奨学生、と。我が国の最高学府も落ちたものだな」


「……」


「無言、か。正しい選択だ。俺は『ユージス』と呼ばれている。お前はいろいろとやらかしてくれたからな、尋問してやる」


「わたしは『ヴァテリー』です」


 サングラスをかけ、口元をマスクでぴっちりと覆った男が、マスミルドを見下ろす。軍服が瘦せた体にぴっちりと張り付いていた。軍服は、ふつう尋問を担当する憲兵隊のものではなく、陸軍の下士官のものだった。もう一人は、やはりサングラスとマスクで顔を隠した、筋肉質な女性陸兵だ。

「ユージス(Eusiss)、か。スイス(Suisse)の簡単なアナグラムだな。ヴァテリー(Vatelhie)も、この国の古称『ヘルヴェティア(Helvetia)』のアナグラムだ」


「……ハ、それがどうした」


「俺もな、この国が大好きで。そんなハンドルネームを使ったこともある」


「……黙れ、この売国奴、劣等人種が!我々とお前とを一緒にするんじゃない」


「情報を引き出すためにも、罰を与えるためにも、拷問が必要ですね。それも、とびきり残酷なものが」


「さて、どんな拷問をしようか」


 ユージスが、マスミルドの頭をわしづかみに、顔を覗き込む。

「そうね、いい拷問が思いつくまで、しばらく腕立てをしておいてもらおうかしら」


「そうだな、それがいい」


 ヴァテリーがマスミルドに銃を突きつけ、ユージスが拘束の縄をほどく。冷たいコンクリートの上に這いつくばったマスミルドは、言われるがまま腕立てをはじめる。まだ、抵抗する時機ではない。

「腕立てが浅いよ、もっと深く!」


 ヴァテリーからはいつのまにか敬語が外れ、拷問を楽しむかのような口調になっていた。無言で従う。言葉では、暴力には逆らえない。

「そうだな、まずは……」


 ヴァテリーがユージスに耳打ちする。

「そりゃあいい。おい、お前。椅子に座れ。目隠しをする」


 目隠し、どころかマスミルドは、頭から麻袋を被せられた。呼吸するたび、布が口と鼻に張り付く。体温がこもった袋のなかは、すぐに耐えがたい暑さになった。息が詰まる、苦しさ。そして、自分を拷問しようとする敵の動きすら見られないもどかしさ。

 グオォッ。耳障りな機械音が響いた。

「これがなんの音か、わかるか?」


「チェーンソーだな」


「そうだ。このチェーンソーを椅子の脚にくくりつける。今から、お前は椅子のうえに片足で立つ。少しでもバランスを崩せば、お前の足は血みどろだ」


「それで、俺を拷問してどうするつもりだ」


「どうするつもりだ、とはなんだ。売国奴ごときが。どうなさるのですかヴァテリーさま、だろう」


 ヴァテリーが、マスミルドの向う脛を思い切り蹴りつける。

「……俺を拷問なさって、どうなさるのですかヴァテリーさま?」


「お前たちFGSの虫ケラどもが、いったいどのような手段をもってこの国を侵略しようとしているのか。その情報をすこしでも多く引き出すことが私たちの役目だ」


「それなら、俺を拷問しても時間の無駄ですよ。俺はそもそもFGSの信徒でもなんでもない。ただの大学生です」


「はじめはみんなそう言う。けれど、拷問してやればあら不思議。みんな本当のことを教えてくれるのさ」


「そうですか。しかし情報を引き出すだけなら、こんな暴力に頼るよりもっとよい方法がいくらでも……」


「ごちゃごちゃ五月蝿いな、このグズが」


 マスミルドが話し終えるのを待たずに、ユージスが吠えた。硬い握り拳が放たれる。一発、二発、三発。くしゃりという音が鳴った。肋骨が折れる音だ。

「痛い目に遭いたくないってんのが透けて見えるんだよ。いいから黙って、椅子のうえに片脚で立て!」


 チェーンソーの機械音が、狭い室内に反響する。

「最初は三分くらいで休ませてやろうと思ったが、頭にきた。十分間片足で立っていろ」


 マスミルドは、蹴られてまだ痛む全身を押さえて、椅子にのぼった。古いパイプ椅子は、思った以上にぐらついている。

 チェーンソーの振動が、椅子を揺らす。さすがのマスミルドも、恐怖に唾を呑んだ。

「よし、十分間はじめ」


 麻袋であたりがなにも見えない状況では、凶器の音は何十倍にも大きく、恐ろしく聞こえる。もう片足を下ろしたらどうなるだろう。ほんの数秒にも満たないあいだ、からだの重心は安定するだろう。しかし、そうしたら今度、彼らはどんな想像を絶するような暴行をはじめるか、わかったものではない。

 恐怖に呑み込まれないように、マスミルドはほかのことを考えようとした。この拷問室の外のことを。

 ゲオルネは無事にこの国から脱出しただろうか。無事にEFへ入国できたのだろうか。

 家族と暮らした家はどうなったのだろう。脱出してきたときのまま、両親の死体は朽ちるに任されて……

 暗い麻袋のなかでは、どうしてもネガティブな思いが大きくなってしまう。

 そう、こんなことが起きる前。ちょうど、ある公式を証明しようとコンピュータにかじりついていたっけ。まだあれから三日もたっていないというのに、まるで十年も二十年も経ったかのように感じる。

 あの証明を、少しでも進めておこうか。殺されるなら、心残りは少ない方がいい。

 マスミルドは、そう体力があるほうではない。ふだんなら、不安定な椅子の上での片足立ちなど一分も持たない。とくに、まる二日間ほとんど休むこともできなかった状態では。

 しかし、この時はあっという間だった。証明のピースが一つはまった。そう思ったとき、ほとんど意識から忘れかけていた声が鼓膜を殴りつけた。

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