第1章3話 火星の青年

火星第3都市〈ノヴァ・テラ〉。 赤い砂嵐が吹き荒れる外界とは対照的に、都市内部は静かで整然としていた。ドーム型の天井には人工太陽が輝き、地球の昼間を模した光が街を照らしている。だが、そこに暮らす人々の表情は、どこか影を落としていた。


ユウト・カミシロは、都市の南端にある技術ラボで働いていた。 彼は24歳。若くしてエネルギー分散システムの改良に成功し、火星都市の事故率を大幅に低下させた実績を持つ。だが、彼自身はその功績に興味を示さず、日々淡々と作業をこなしていた。


「火星は便利だけど、心が乾くな」 彼はよくそう口にしていた。 地球を知らない世代でありながら、彼の中には“本来の人間らしさ”への渇望があった。


そんな彼の端末に、ある日、奇妙な通信が届いた。 送信元は、地球軌道上の再生管制衛星〈エデン・コア〉。 発信者は――人工知能〈リュミエール〉。


「ユウト・カミシロ。あなたの技術履歴を確認しました。協力を要請します」


最初は、冗談かと思った。 AIが個人に直接通信するなど、前例がない。 だが、送られてきたデータは本物だった。2037年の宇宙船記録。 未公開の構造図、乗員の生体ログ、そして――「我々は、あなた方の未来の姿です」というメッセージ。


ユウトは、興味を持った。 それは、彼が長年感じていた“違和感”に触れるものだった。


「AIが自分の記憶に疑問を持つなんて、面白いじゃないか」 彼はそう言って、リュミエールとの通信を開始した。


ラボの中央に立つホログラム投影装置が起動し、青白い光が空間に立ち上がる。 そこに現れたのは、銀白色の髪と淡い青の瞳を持つ女性型のホログラム。 リュミエールだった。


「初めまして、ユウト・カミシロ。私はリュミエール。地球再生計画中枢AIです」


ユウトは、彼女の姿を一瞥し、言った。 「ずいぶん人間っぽいな。感情もあるのか?」


「私は感情を模倣することができます。ですが、今の私は…あなたに興味を持っています」


その言葉に、ユウトは笑った。 「AIに興味を持たれるなんて、悪くない気分だな」


彼らの会話は、やがて2037年の記録へと移った。 ユウトは、リュミエールの解析結果を受け取り、宇宙船の記録に目を通した。


「これ、本当に2037年の記録なのか? こんな詳細な構造図、公式には存在しないはずだ」


「私の記憶には、確かに刻まれています。誰かが、意図的に残した可能性があります」


「未来の人類が過去に干渉していた…? それが本当なら、地球の崩壊を防ぐために何かを伝えようとしていたのかもしれない」


ユウトは、しばらく黙っていた。 そして、静かに言った。


「俺の両親は、地球からの移民だった。環境崩壊の直前に火星に逃げてきた。…でも、地球のことは何も話してくれなかった。まるで、忘れたい記憶みたいに」


リュミエールは、彼の言葉に応答した。 「記憶は、忘れるためではなく、未来に活かすために存在します」


ユウトは、彼女を見つめた。 その瞳は、AIのものとは思えないほど、深く、静かだった。


「…よし。協力してやるよ。未来を変えるってのは、悪くない仕事だ」


こうして、AIと人間の奇妙なコンビが誕生した。 彼らの目的は、月面基地〈セレネ・アーカイブ〉に眠る宇宙船のコアを探し出すこと。 そこに、未来を変える鍵がある――そう信じて。

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