第21話 真打登場!?

■エルド


 俺は書斎で、ヒルトの昔の写真を見ていた。


 いや、正確には絵だ。まだ小さかった頃のヒルトを描いた肖像画。


 妻が生きていた頃、ヒルトはよく着飾らせてくれた。可愛らしいドレスを着て、アクセサリーを身につけて、まるで小さな王女様のように。


 それをふわりと抱え上げるあの幸せな瞬間。

 最高だったな。

 あの笑顔の可愛らしさ。


 今のヒルトも、あの頃のように着飾ってくれないだろうか……。


 そんな妄想に浸っていると、書斎のドアが開いた。


「失礼します」


 ヒルトが執務室に入ってきた。

 俺がヒルトの昔の絵を眺めている姿をばっちりみられてしまい、彼女の目は、明らかに疑念の色を帯びていた。軽蔑ではないことを祈りたいが……。


「……何をしているの、お父さん?」


「い、いや、その……」


 昔の絵を見ていたことを言い訳するのは難しい。

 今のヒルトを着飾りたいとか妄想していたとか言えるわけがない。


 どうする……と止まっていると、ヒルトは呆れたようにため息をついた。


「……まぁ、いいわ。実は、ヴィクトール殿下からお誘いをいただいたの」

「……はぁ?」


 ヴィクトール殿下?

 王子殿下のことか?


「王子様から、お出かけに誘われたのよ」

「……はぁ?」


 ついに来てしまったか……。

 悪役令嬢ムーブ、ここに極まれり。

 こんなにあっさりと王子が登場するのかよ?


 前世の記憶が蘇る。


 婚約者がいるはずの好色王子が真実の愛とかいう世迷い言を繰り出し、貴賤の別なく愛する人を妃にするんだと言い張り、愛人を囲い、高位貴族の婚約者を冷たく扱う物語。


 そんな話が美談となって平和に国が治まるはずはなく、高位貴族家は離反し、家臣たちも猜疑心にまみれる。結果、王子は周囲を巻き込んで不幸になり、その婚約者はスパダリという優秀な伴侶を得たり、自らの力で成上って幸せになる。


 婚約破棄ざまぁ。


 破滅の未来。


 ヒルトが王子に近づいたら、前世の記憶のように「王子を奪う悪役令嬢」として破滅する未来が待っているのでは?


 立太子前の王子殿下だが、表には出ていないが婚約者候補がいることくらいは俺は知っている。


 そんな婚約者候補は総じて高位貴族だし、それを蹴落としてヒルトが妃候補になるのはまずい。


 単純に恨まれるだろうし、子爵家の復興はなくなる。

 他の高位貴族家から攻撃されるかもしれない。


 どうやって断るか考える。


 これはもしかしたら俺の人生の分岐点かもしれない。

 なぜそんなことをヒルトの幼少期の絵を持って考えなくてはならないのかわからないが、俺自身、家族であるヒルト、そしてこの家のものたち全ての将来を左右してしまう局面が突然訪れたことを神に嘆きたいんだが。


 だが、考え込んでいる俺にヒルトが言った。


「……お父様、新しいドレスとアクセサリーが欲しいのよ。王子様とお出かけするから」

「……はぁ?」

「……お父様、聞こえなかったの? 新しいドレスとアクセサリーが欲しいのよ」

「……あ、あぁ……」


 ヒルトが着飾る姿を想像する。


 可愛らしいドレスを着て、アクセサリーを身につけて、まるで小さな王女様のように……。


 いや、今のヒルトはもう小さな王女様じゃない。立派な女性だ。

 それも絶世の美女と呼んでも差し支えないほど美しい娘だ。


 そんなヒルトが、新しいドレスとアクセサリーを身につける。もしかしたら微笑みくらいはくれるかもしれない……。


「……わかった。買ってやる」

「……ありがとう、お父様」


 ヒルトは満足そうに微笑んで、書斎を出ていった。


 俺は全てを忘れて許可してしまった。


 王子様とのお出かけのこと、悪役令嬢ムーブのこと、破滅の未来のこと、全てを忘れて……。


「……旦那様」


 執事長がジト目で入ってきた。


「旦那様、今の会話を聞いていましたが、ヒルトローゼン様が王子殿下とお出かけするというのはさすがにまずいのでは?」

「……あぁ、そうだ。でも仕方がないだろう? お誘いされてしまっているのだから。新しいドレスとアクセサリーを買ってやることにした」

「旦那様? それは新しいドレスやアクセサリーをまとった子爵様を見たいだけではありませんか?」

「そんなことはない」

「本当ですか?」

「ありがとうと、笑顔で感謝の言葉を述べるヒルトを抱きしめてやるくらいはしたいと思っている」

「そんな未来が訪れるとは思えませんが?」

「とにかく新しいドレスとアクセサリーを買ってやることにした」

「……」


 何も言うな執事長。

 俺だって後悔してるんだが、あの笑顔で迫られたら無理だ。


「どうされるおつもりですか?」

「どうしよう……」

「旦那様……」


 ジト目なんかいらないんだ。特におっさんのジト目なんか。

 欲しいのはどうにかして王子殿下がヒルトを気に入るという悪役令嬢ムーブ前回の未来を阻止する提案だ。


 だが、俺は全てを忘れて許可してしまった。

 あの笑顔に負けたんだ。


 ドレスとアクセサリーを買ってやることにして、喜んで出て行くヒルトを見送ってしまったんだ。


「……旦那様、大丈夫ですか?」

「……あ、あぁ……」


 だが、もう遅い。


 ヒルトは既に出て行った。


 どうすればいいんだ……。

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