第14話 噂の終わり、声の始まり

 王都の朝は、雨のあとみたいに澄んでいた。

 けれど、噂はまだ、細い糸のように街中に残っている。

 屋根の隙間を通る風が、灰色の幕を揺らしながらささやいた。

 ――泣くのは弱さだ。

 ――涙で救われるなんて、都合がよすぎる。


 けれど、その風を受ける布があった。

 庇護組が貼った、薄い手順紙だ。

 その最上段には、こう書かれている。


「涙は、湯。

 声は、針。

 どちらも、布を縫うための道具」


 人々は立ち止まり、声を出さずにその紙を読む。

 声を出せない人、出さない人――そして出したくない人。

 その誰もが、静かな場所で“読む”ことを選んだ。

 噂が終わり、声の時代が始まる。


 *


 庇護組の会議室。

 ノアが地図を広げている。

 「各区で“涙の式”をやるようになったのはいいけど、

  今度は“声を出せない人”たちが来てる。

  誓いの言葉が言えないから、参加できないって」

 ミレイが記録をめくり、数字を指さす。

 「王都だけで百二十七名。ほとんどが、もともと口を利けない人たち。

  でも、参加希望は増え続けてる」

 リアナは考え込んだ。

 「……“声を出せない”なら、“聞こえるもの”を増やせばいい」

 「聞こえるもの?」

 「布の音。指の音。

  “離さない”を、声じゃなくて、音で言えるようにするの」


 ノアが目を瞬かせた。

 「音……」

 「あなた、いつも親指で二度押すでしょ」

 リアナが笑う。

 「それ、音になるんじゃない?」

 ノアは親指を机に軽く二度打った。

 「コッ、コッ」

 ミレイが頷く。

 「単純で、誰でもできる。――手順に加えようか」

 リアナは立ち上がった。

 「“声の始まり”は、音から始まる。

  今日の記録に残して」


 *


 翌日。

 広場の中央に、庇護組の幕が張られた。

 今回は“声の出せない者たち”が主役だ。

 リアナは壇上に立ち、短く宣言した。

 「言葉を持たない人も、守る権利がある。

  声の代わりに、音で誓う」


 観衆の前に並んだのは、男も女も子どもも。

 誰も喋らない。けれど、息を吸い、

 親指の爪で机を二度叩いた。

 「コッ、コッ」

 ノアが返す。二度。

 「コッ、コッ」

 そしてリアナも返す。

 「コッ、コッ」

 会場の全員が、順番に二度ずつ。

 木の音、石の音、布の音、指輪の音――

 いくつもの“離さない”が、言葉より長く響いた。


 その中で、ノアが静かに笑った。

 「隊長、これ……詩ですね」

 リアナが頷く。

 「ええ、“詩を捨てない手順”の、完成形」


 風が音を運び、空の雲を割った。

 どこか遠くの区からも、同じリズムが返ってくる。

 コッ、コッ。

 離さない。

 コッ、コッ。

 離さない。


 ミレイが目を細めて呟く。

 「これなら、声のない人でも届く」

 アデルが腕を組んだまま頷いた。

「……噂、終わったわね」

 リアナが小さく笑う。

 「噂は終わっても、音は残る。

  “離さない”が、誰かの胸で鳴り続けるなら、それでいい」


 *


 夜。

 庇護組の宿舎。

 静かな部屋の中で、ノアが日誌をつけていた。

 > 今日、声を持たない人が“離さない”を言った。

 > 言葉がなくても、世界は縫える。

 > 音があれば、誰かに届く。

 ペンを置き、親指で机を二度叩く。

 「コッ、コッ」

 背後から、同じ音が返った。

 「コッ、コッ」

 リアナが立っていた。

 「声は、なくても伝わるわね」

 「はい。……でも、聞きたいです」

 「なにを?」

 ノアは微笑んだ。

 「あなたの声で、“離さない”を」


 リアナは一歩近づき、

 息の奥で、ゆっくりと――囁いた。

 「離さない」


 夜の風が、その声を抱いて運んでいった。

 王都のどこかで、木の音が二度響く。

 噂は消えた。

 その代わりに、誓いの音が残った。


《次回予告》

第15話「双糸」

リアナとノアの“離さない”が王都を越え、地方の庇護組にも広がる。

しかし、新しい派閥が現れ、“声を持たない者の代表”を名乗り始める。

理想と制度のはざまで――二人は、再び「縫う」ことを選ぶ。

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