クマキチの森のパイと、みんなの幸せの作り方
月影 流詩亜
第1話 活気あふれるニコニコ森
まだ森のほとんどが、夜の静けさに包まれている深い青色の時間。
東の空がほんのりと白み始める頃、大きなカシの木の根元にある丸太小屋で、一匹の若いクマがむっくりと体を起こしました。
彼の名前はクマキチ。
ニコニコ森で一番のパイ職人です。
「ふあぁ…さて、今日も一日頑張るぞ!」
クマキチは大きなあくびを一つすると、慣れた手つきでパイ窯に薪をくべ、火を起こしました。
パチパチと心地よい音を立てて燃え始める炎が、彼の優しい顔を暖かく照らします。
「今日のパイは、とびっきり特別なやつにしなくちゃな」
そう呟くと、クマキチは小さなカゴを手に、そっと小屋の外へ出ました。
ひんやりとした朝の空気が、眠たい頭をすっきりとさせてくれます。
彼が向かうのは、森の奥深く、せせらぎのほとりにだけ実をつける『朝露キラキラベリー』の茂みです。
その実は、太陽が昇りきる前の、朝露に濡れている短い時間だけ、宝石のようにキラキラと輝き、甘さと酸っぱさが一番濃くなるのです。
他の動物たちがまだ夢の中にいる薄暗い森を、クマキチは鼻をクンクンさせながら進みます。
大変な早起きですが、彼の心は期待で弾んでいました。
あのベリーを使えば、みんながきっと「おいしい!」と目を丸くしてくれるに違いありません。
その顔を思い浮かべるだけで、どんな苦労も楽しみになるのでした。
やがて陽が高く昇る頃、森の中央にある広い広場は、たくさんの動物たちでごった返していました。
ニコニコ森の市場の始まりです。
「ピョンタ急便だよ!急ぎのお届け物は任せておくれ!」
足の速いウサギのピョンタが、葉っぱの手紙を抱えて森中を駆け回ります。
「見て見て、きれいな首飾りができたわよ!ドングリの帽子と交換しない?」
手先の器用なリスのリンは、木の実の殻で作った可愛らしいアクセサリーを並べています。
広場では、あちらこちらで「交換」の話が弾んでいました。
力の強いイノシシが作った丈夫な木の橋と、カワウソたちが川で捕った新鮮な魚を交換したり、歌の上手な小鳥のさえずりと、畑仕事が得意なモグラが育てた美味しいお芋を交換したり。
ニコニコ森では、みんなが自分の得意なことを一生懸命に頑張り、そうして手に入れたものを他の誰かの素晴らしいものと交換することで、毎日を楽しく、豊かに暮らしていたのです。
中でも一番の賑わいを見せているのが、クマキチのパイ屋『クマさんの恵み亭』でした。
窯から立ち上る甘くて香ばしい匂いに誘われて、店の前には開店前から長い長い行列ができています。
「今日のパイはなんだろうね?」
「クマキチさんのことだから、きっと僕らを驚かせるすごいパイに違いないよ!」
動物たちの期待に満ちた声を聞きながら、クマキチは「お待たせしました!」と元気よく店の扉を開けました。
カウンターに並べられたのは、今朝摘んだばかりの朝露キラキラベリーがたっぷり乗った、ツヤツヤのパイです。
パイを一口頬張ったタヌキの子どもが、目をまん丸にして叫びました。
「おいしい!口の中でベリーがプチっとはじけて、夢みたいな味がするよ!」
その言葉に、周りの動物たちも次々と幸せそうな顔になります。
クマキチは、その笑顔の一つ一つを、自分の心の中に大切にしまい込みました。
これが見たくて、毎朝早起きしているのです。
動物たちは、お礼にキラキラ光る石や、珍しい形の木の枝、丈夫なツルなどをクマキチに渡していきます。
クマキチはその石で店を飾り付け、いつかはこの店をもっと大きく立派にしたいな、と夢見ていました。
頑張れば頑張るほど、みんなが喜んでくれて、自分の夢にも近づける。
それが、クマキチにとって何よりの幸せでした。
そんな活気あふれる市場の様子を、少し離れた場所から、二つの影が見つめていました。
一本の背の高い木の枝の上では、フクロウのホウタロウが、その大きな目でじっと広場を見下ろしています。
彼は、クマキチの店の長い行列と、お客さんのいない店との『 差 』を見て、何かを憂うように、そっと眉をひそめました。
そして、市場の隅の木陰では、キツネのコンタが腕を組み、その賑わいを冷静に値踏みするような目で眺めていました。
「ふん、今日も大繁盛か…」と小さく呟く彼の口元には、誰にも読めない笑みが浮かんでいます。
ニコニコ森の平和で活気のある一日に、やがて訪れる大きな変化の足音を、まだ誰も気づいてはいませんでした。
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