生意気少年vsクールお姉さん ――俺と奈々さんの夏休み――
朝食付き
1話 俺の隠し事
「ちょっと待って、待って下さいッ!!」
時間は朝8時30分。それは唐突に始まった。1日の初めに朝礼と称してどこから手をつけるかを彼女は俺に告げる。普段ならお願いしますで済ますところだから、彼女も言うだけ言ってサッサと動き始める。
だから俺がこんな反応になったのはきっと想定外だったのだろう。
俺は急いでリビングの扉の前に立ち、彼女がリビングから出られないようにする。扉を出て階段を上った先が俺の部屋。絶対に、そこへ向かわせてはならないのだ。
「そこはいいので! 俺の部屋は大丈夫なので!! そこ以外の掃除でお願いします!!」
「そう言われてもね……。あのね、私は君のお母さんからこの家のことを任されているの。食事に洗濯、掃除をだよ。もちろん君の部屋だって含まれてる。だから例外はないよ。ほら、そこをどいて?」
そんなことは言われなくてもわかってる。でもわかっていても譲れないことがあるのだ。
「大丈夫なので! ほら、父さんの部屋とかまだ汚れていると思うので、そちらをお願いします!」
はぁとこれ見よがしなため息がつかれる。呆れられているのは重々承知だけれど、こればかりは譲れない。
「……分かった。見逃してあげる。でもそれは今日だけだよ。もう1階は概ね掃除し終わったから、次は二階をやる。もちろん、君の部屋もね」
彼女が白くて細い左手を挙げる。時計──スマートウォッチだ──で日付を見たのだろう、少しだけ考えるように口をつぐんでいる。
俺はゴクリと喉を鳴らす。部屋の掃除なら俺だってできる。10年以上住んでいるのだ、汚れる場所も埃がたまる場所もよく知っている。そこをちょちょいと拭けばいいのだから、わざわざ人に掃除してもらうまでもない。それをどうにか納得してもらう必要がある。
「よし。明後日、君の部屋に取りかかる。これは決定事項だ。君くらいの年頃なら……見られたくないものがあるだろうことも分かるよ。だから猶予を上げる。それまでにそういうものをどこかにしまい込むなり処分するなりすること。いいね?」
「よくありません! 俺の部屋に入るって言うなら、俺の許可が必要なはずです! たとえ母さんからの許可があったとしても、プライベートは守られるべきです!」
「プライバシーのことなら確かに一理あるね。でも私も仕事としてこの家の掃除をするんだ。何の理由もなく君の言うことを聞くわけにはいかないよ」
「なら! 理由を聞いて下さい。それで俺の言う理由にあなたが納得してくれたら、その時は俺の部屋を掃除しないでもらいたいです!」
「……面白いね。よし、いいよ。君の言う理由を聞いて、私がその理由に正当性があると思った場合。その時は君の部屋の掃除を免除しよう。でも逆に正当性が認められなかった場合には一切の遠慮なく掃除を始めるよ。それは受け入れてくれる?」
「受け入れます。必ず納得させて見せますから!」
彼女──近所に住む大学生、早川奈々さんは俺の言葉に柔らかく微笑み、そして頷いた。
気力満タン、意気揚々とした態度を崩さずに俺は部屋に戻り、そして頭を抱えてしゃがみこむ。だってそうだろう? 部屋の中に人を入れないことを納得させられるような理由なんてない! なのに明後日までにそれを考え出さないとならない。動物園の熊のように、部屋の中をうろうろしてみるが良い考えが生まれてくることはない。唸ってみても出るものはない。
ぐるぐると部屋をうろつきながら、ちらりと壁を見る。それこそが、早川さんを、いや、誰も俺の部屋に入れることのできない理由だ。これさえ片付ければと思うのだが、それは簡単ではない。だからこそ理由を……理由を考えないと。
でも一体、どんな理由があるっていうんだ?
***
──夏休み。
「じゃあ陽真くん、これから一か月よろしく」
「……よろしくお願いします」
俺の目の前には1人の女性が立っている。その人は艶やかな黒い髪を後ろで一つにまとめていて、きりっとしたアーモンド型の目がクールな印象を俺に抱かせた。
身長も女性にしては高い方だと思う。中学1年としてはやや平均くらいの俺より頭一つ分は背丈がある。服装は動きやすそうな黒のジーンズとTシャツ。上からエプロンをしているのに、すらっとした雰囲気が崩れない。やっぱり背が高いとそれだけで見栄えがするよな。俺もそれなりに成長してきているけど、この人を超えるにはまだ1、2年はかかるだろうな。
今日からの一か月、おれはこの人──早川奈々さん──に家のことをお願いすることになる。掃除や洗濯、料理をしてもらうのだ。つまり、俺の保護者兼お手伝いさんということになる。
休みだから俺は基本的には家にいる。だからそれなりに長い時間をこの人と過ごすことになる。初対面の時は母さんと一緒だったけど、夕方までの間とはいえ、二人だけで過ごすとなると少し気後れがする。
でも、なんとなく早川さんも初めての時と印象が違う。もしかしたら早川さんも俺と同じように緊張しているのかもしれない。まだ一日目で早川さんがどんな人かは全くよく分からない。……俺は、この人とうまくやっていけるだろうか。
そもそもの発端は両親の出張にある。父の海外出張に母がついていくと言いだしたのだ。
実際のところ、俺の父は生活能力が著しく低く、海外で一人にしたら間違いなく体を壊す。国内で1週間くらいの出張ですら風邪をひいている父なので、母が付いていくということは俺も賛成だった。
が、そうなると問題は一人残される俺である。今年中学生になったとはいえ、世間一般にはまだまだ子供だ。俺自身はできた子供だから、一人での留守番に問題はない。
掃除洗濯くらいなら何とかなる。使わない部屋は汚れないし、服は洗濯機に入れればきれいになるって知ってる。ただ、そんなおれでも食事についてはどうしようもない。そりゃあカップ麺とレトルト食品を駆使すれば何とかなるかもしれない。だけど育ち盛りの中学生にそんな生活をさせていいのか。母は親としてそんな生活をさせられないと言うし、俺としても栄養をたくさん取りたい理由があるから、しっかりとしたご飯を食べたい。
母は悩んだ。しかし、ある日明るい顔で全部解決する方法が見つかったというのだ。
そうして引き合わされたのが、早川さんだったと言うわけだ。
いきなりすべてを任せるわけにはいかないから、1週間ほど家に来てもらって、家事能力やら何やらを母さんは確認してたみたい。それでゴーサインが出た。
しかし母さんの厳しいチェックをクリアできるような、優秀な人がよくこんな仕事を引き受けてくれたものだと思う。せっかくの夏休みなのに。自分で言うのもなんだけど、お手伝いさんとして来て貰っても面白味のあることなんてないんだから。それに、母とどう知り合ったのかも謎である。母自身はただの専業主婦なので、大学生と接点があるとは思えないのだけれど。ただ、俺としてはこの夏休みを気楽に過ごせればいいなと思っていたのだ。
思っていたのだけれど、やっぱり人生そう都合よくはいかないらしい。
***
リビングで、俺の目の前に早川さんが立っている。腰に手を当てて仁王立ち。スリムな割に存在感と言うか、圧を感じる。もしかしたらそれは俺が勝手に感じているだけなのかもしれないけど。
「今日が約束の日だね。どうかな、私を部屋に入れてはいけない理由は見つかった?」
早川さんが不敵に微笑む。つまり早川さん相手に我を通すため、戦いが始まるのだ。強大な敵を前にしてちょっと気後れしている。でも俺だってここまで何にもしていなかったわけではない。人を部屋に入れないでいられる理由を考えてきた。図書館で参考になりそうな本を探したり、友達に一緒に考えてもらったり。……正直成果が怪しいことは認める。だって仕方ない。まともな理由なんてないのだ。駄目であってはならないけど、ダメ元で立ち向かうのみだ。
「ちなみにですけど、目隠しをしてもらえれば部屋に入っても良いんですけれど」
「それでどこまで掃除ができるか試してみた?」
まあ断られるのは承知の上だ。小手調べとしては十分。キッと目に力を込めて早川さんと目を合わせる。そして俺の考えてきた"理由"を矢継ぎ早に繰り出す。
「ええと、実は俺の部屋にはルンバがいるので掃除する必要がないんです」
「棚の上の埃は払えないし、拭き掃除も必要だと思うな」
「……夏休みの工作をしていて、部屋に他の人が入る隙間がないんです!」
「じゃあ君には外に出てもらおう。それで解決だ」
「か、完成する前に人に見られると完成度が落ちるというジンクスが……」
「それで埃まみれの部屋で作業し続けるの? よっぽどその方が完成度が落ちると思うよ」
どう考えても清潔で整頓された部屋で作業した方が良い。俺だってそう思うからぐうの音も出ない。だがまだ理由はある。繰り返しになるけど、このために図書館で色んな本を読んでみたし、友達へ協力してもらったのだから。
「部屋に人を入れないって願掛けをしてるんです。早川さんを入れたら叶わなくなる」
「それはどんな願いがあってのこと?」
「え? ……テストで100点を獲るとかですけど」
「少しくらいなら勉強見てあげても良いよ? 現役大学生が教える勉強と願掛け、どっちが信用できそう?」
ことごとくを上回られている。ならば違う方向から攻めるべきだ。女の人は汗臭かったりきつい匂いを嫌うらしい。又聞きだけど、クラスメイトのお兄さんは部屋が汗臭すぎて女の子に逃げられたと言う。なら俺の部屋がそうなっていてもおかしくない!
「俺の部屋はかなり汗臭いので、早川さんも入りたくないと思います!」
「なら余計掃除するべきでしょ。掃除しに来てるんだから、匂うならよっぽどね」
しまった、早川さんはそのために来ているんだった! 遊びに来ているのではない。逆効果だ。
頭を抱える俺に早川さんが近寄ってくる。早川さんの長い髪が俺の影にかかり、ふわりと良い香りがする。シャンプーとかそう言うのともまた少し違う、なんか落ち着かなくなる香りだ。動いてはいけない気がして固まる俺に対して、早川さんは何にも気にせず鼻を効かせている。
「ん、君は汗臭くないよ。石けんの良い香りがしてる」
「だ……」
「だ?」
「男子力が下がる気がします……」
ようやく離れてくれた早川さんがため息をついている。呆れられてしまっているが、距離が空いたので良しとする。
「男の子ってさぁ、そういう謎の数字持ってるよねぇ。それって大事なこと?」
「大事ですよ。男には外に出れば七人の敵がいるんです。戦うためには大事なことです」
「こしゃくな言い回しが嫌な感じ! じゃあ女子力の高い私から言うけれど、部屋に入られるのを嫌がるなんて、男らしくないね」
「う!!」
これは、いや、確かにそうかも知れない。でもあれを見られたくはない……。
「そろそろ言い訳は終わりかな? 約束通りに──」
もう思いつくものがない。やけくそで思い切り頭を下げる。いや、いっそ土下座だ。土下座をする。それくらいしかできることが思いつかない。
「お願いします! 中に入られるのは、恥ずかしくて……嫌なんです! 見逃して下さい……」
早川さんが俺をどんな目で見てるのかは分からない。だけど、頭を下げたままの俺に対して、何も言わない。だから俺もずっと地面に額を付けたままでいる。
「……参ったな。恥ずかしいから嫌かぁ。それは確かにそうかも知れないね。いきなり来た大して知らない人に、部屋の中見られるのは恥ずかしい。そりゃそうだよね」
俺の近くでスリッパのつま先がトントンと、床をリズムをとるように叩かれている。
「いいよ、陽真くん。君の部屋は掃除しない。私は立ち入らない。そういうことにしよう」
思わず頭を上げる。俺を見下ろす早川さんの表情は、なぜか覚えがある。柔らかで、微笑ましいものを見る目。なんだろうか、なぜか胸がざわざわする。
「掃除はしないけれど、代わりに君自身がちゃんと掃除をするんだよ? 君のお母さんにはうまいこと言っておくけれど、それはそれとして整理整頓と掃除は大事なことだからね」
人差し指を立てて掃除の重要さを説く早川さん。まだ俺は立ち上がれずにいる。頭がちりちりして、覚えのある何かを引っ張り出せそうだ。
「どうかしたの?」
──そうだ。これは、子供扱いだ。今まで早川さんは一貫して俺を対等に扱ってくれていた。アルバイト、仕事だからかも知れない。でも間違いなく俺を正面から離してくれていた。でも、今。完全に俺を子供と見なした。それが分かる。だって、そんなの当たり前だ。理屈で納得させてみせると言ったのに、最終的には嫌だから嫌。入れられない。そんなの約束も何もない。まともな大人のやることじゃない。一気に顔に熱が集まるのを感じる。多分真っ赤になってる。
「えっと、どうしたの? 顔が赤いけど……風邪でも──」
「訂正します! 部屋に入って掃除をして下さい! 顔が赤いのは、気にしないで良いです!」
「え? え、どういうこと?? いいの? 嫌じゃないの?」
早川さんが慌てている。そりゃ土下座までしたのに、逆のことを言い出したんだからそうなる。でも、俺は俺の目指すべき男は、そんなことで動揺しないはずなのだ。恥ずかしがっていたのも、泣き落としに頼ったのも、俺の弱さだ。だから、俺はそれを認めないといけない。
「約束は、納得させることでした。俺は卑怯にも泣き落としで早川さんに止めてと頼んでしまったんです。それはズルです。だから、今のは無しにして下さい。納得させられなかった俺の負けで、だから掃除をしてもらうべきなんです」
「……君は、あれだね。随分とめんどくさい性格してるんだね」
「駄目ですか?」
「いや、良いと思う。うん。今までで一番まっすぐだ。ふふ、かっこいいと思うよ」
顔が真っ赤になった理由は、もはや言うまでもないことで。
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