第37話 悪意

──少し前の話だ。

「あなたは、不慮の事故で亡くなりました。ここで進化のルーレットを回し、新たな力を得て、新しい人生を歩んでください」


ブルミシアは、今日も同じ言葉を繰り返していた。

彼女の声は澄んでいて、どこか機械的だった。

進化のルーレットを回しに来る人間たちに、彼女は感情を込めずに対応していた。

だが、心の奥では、疑問が膨らみ続けていた。

──なぜ神は地球の生物に進化を与えるのだろう?

ブルミシアは人間という存在を理解しようと、日々学び続けていた。


人間は驚くほどの適応力を持っている。

だが、かつての猿人は知能が足りず、進化の階段を登ることができなかった。

だからこそ、進化を促し原人を生み出した。

それでも足りず、旧人へ、そして新人へと進化を重ねてきた。

新人となった人類は、自ら技術を生み出し、進化を繰り返してきた。

もはや、我々が進化を与える必要はないのではないか──

ブルミシアはそう考えるようになっていた。


「自分の欲望だけで自然を破壊し、同じ人間を見下すような人類に、今後の進化は必要ないのではないか」

「地球の環境がどれだけ悪化しても、人類は適応してしまう。ならば、進化など不要なのでは?」

学べば学ぶほど、ブルミシアの中に人類への嫌悪が芽生えていった。

それは静かに、しかし確実に、彼女の心を蝕んでいった。

やがて、ブルミシアは体調を崩すようになった。

進化のルーレットの管理業務を休みがちになり、代わりにエルネミアがアルバイトとして代理を務めるようになった。


「人間って面白い」

エルネミアは、ルーレットを回すたびに人間の驚いた表情を見て楽しんでいた。

「力を渡してるだけなのに、あんなに喜ぶなんて。見てるだけでも飽きないわ」

彼女は仕事をゲームのように捉えていた。

「人間だってホワイトカラーなんだから、私もホワイトカラーで働かないとね」

「でも時間中はまじめにやりますよ~♪」

エルネミアの楽しみは、仕事後の呑み会と、人間が手にした力をどう使うかを観察することだった。

もちろん、彼女が人間界に影響を与えることはない。

あくまで“観察者”でしかなかった。


──そして、ある日。

久しぶりに体調が良くなったブルミシアは、業務に復帰した。

その日、彼女の前に現れたのは、東雲宗次郎だった。

東雲は、手に入れた能力を使い、ブルミシアを自分の目の前に呼び出した。

その能力は「指定した存在を、指定した場所に移動させる」というものだった。

本来、ブルミシアもエルネミアも人間の前に姿を現すことはない。

彼女たちは別次元──“違う部屋”から声だけで対応している。

だが、東雲の能力はその常識を破った。

突然の転移。

ブルミシアは、東雲の前に立っていた。

「あなたが神ですか?」

東雲の声は冷静で、冷たかった。

「なぜ……?」

ブルミシアは状況を把握しようとするが、混乱していた。

「どこにあなたがいたのかは知りませんが、私が今、あなたより手に入れた能力で、あなたをここに移動させたのです」

ブルミシアは驚愕した。

本来なら、すぐに人間界へ戻すはずだった。

だが、一瞬の隙を突かれ、戻すより先に呼び出されてしまった。

「もう一度聞きますが、あなたが神ですか?」

「私は神ではない」

「なるほど。確かに神ではないようですね。この状況なら、もっと冷静かもしれない」

「失礼な!」

ブルミシアは、馬鹿にされたと感じて怒りをあらわにした。

「失礼しました。そういうつもりではありません」

「せっかくなので、少し話をしませんか?」

「人間と話すことなどない!」

「まぁ、そう言わず。あなたの態度から、人間をあまり好きではないようですね」

──なんなんだ、こいつは?

ブルミシアは不快に思った。


「あなたのようにお綺麗であれば、この世のものとは思えないので、神なのかな?と思って聞いたのです」

「ですが、私が想像する神とは違い、あなたの驚いた表情が神々しく、私自身が冷静でいられなかったという意味での言葉でした」

「言葉足らずで、勘違いさせてしまい申し訳ありません」

ブルミシアは、褒められていると感じた。

悪い気はしなかった。

──この人間となら、少し話してもいいかもしれない。

そう、東雲の本職は“詐欺師”だった。

ブルミシアは、褒められること自体が稀だった。

そのため、気分が良くなり、東雲との会話を続けた。

そして──

その結果、ブルミシアは「進化した人間を滅ぼし、進化をなかったことにしよう」という考えに至った。

東雲が何を考えているかはわからない。

だが、彼は「協力する」と言っている。

この人間をうまく利用すれば、自分の考えを実現できる。

ブルミシアの人間に対する悪意は、坂を転がる石のように加速していた。

止まることなく、深く、暗く、冷たく──

そして、世界はその悪意の影に、静かに覆われ始めていた。

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