第12話 半泣き

ピンポーン——。

玄関のチャイムが鳴った。

12月の冷たい空気が窓の隙間から入り込み、家の中に微かな緊張をもたらす。

哲郎はリビングでスマホを見ていたが、チャイムの音に顔を上げた。

敦子はキッチンからインターホンのモニターに駆け寄る。

画面に映った人物を見た瞬間、彼女の表情が凍りついた。

「え……なんで……?」

画面には、三重県で出会ったあの女性——新藤弥生が立っていた。

コートの襟を立て、寒風にさらされながらも、どこか落ち着かない様子で玄関前に佇んでいる。


「どうしたの?誰が来たの?」

インターホンの前から動かない敦子に、哲郎が声をかける。

敦子は振り返り、少し震えた声で答えた。

「三重県に行ったとき、哲郎のこと追いかけてきた女の人いたよね……」

「ああ、なんかよくわかんない人ね」

「その人が、家の前にいるの」

哲郎は一瞬言葉を失った。

!?

状況が飲み込めないまま、彼は立ち上がる。

「敦子は下がってて。僕が対応するよ」


外では、弥生がインターホンの前で落ち着かない様子で立っていた。

冷たい風が頬を刺し、指先はかじかんでいる。

彼女はもう一度、チャイムを押した。

ピンポーン——。

「……あの?どちら様ですか?」

哲郎はインターホン越しに、あえて知らないふりをして声をかけた。

弥生は少し驚いたように画面を見つめる。

「あ〜いたいた。すみません、急に。三重県でお会いした新藤という者です」

「すみません。どなたか存じませんが、どういったご用件でしょうか?」

その言葉に、弥生の顔がわずかに曇った。

名乗ったはずなのに——知らないって言われるなんて。

胸の奥がじんわりと痛む。

「本当に怪しい者じゃないんです。少しだけ、中でお話を聞いてもらえませんか?」

言えば言うほど、怪しく聞こえる。

自分でもわかっている。

でも、ここで引くわけにはいかない。

「申し訳ありませんが、お話を聞く義務もありませんので、お引き取りを」

哲郎は丁寧に、しかしはっきりと断った。

弥生は焦る。

「あ〜本当に……ちょっとだけでいいんです。ほんの5分だけでも……」

彼女の目には、涙が滲み始めていた。

これ以上失敗はできない。

山本の冷たい視線が脳裏に浮かぶ。

報告の場で、またあの圧を受けるのかと思うと、足が震える。

「……あんまりしつこいと、警察呼びますよ」

敦子が哲郎の後ろから声を張った。

その声は鋭く、冷たい。

弥生はもう、半泣きだった。


「いや……そんな……お願いですから、話を聞いてもらえませんか……」

インターホンのカメラに映る弥生の姿を見て、哲郎は胸が痛んだ。

袖で涙を拭いながら、必死に訴える彼女の姿は、どこか痛々しかった。

敦子も、まるでいじめているような気分になり、心がざわついた。

二人は顔を見合わせ、無言のまま小さく頷き合った。

しょうがない——そう思うしかなかった。


ガチャ——。

玄関の扉が開く。

冷たい夜風が一瞬、家の中に流れ込む。

「これ以上は近隣の方の迷惑になりますので……しょうがないので、中にどうぞ」

哲郎の声は、冷静さを保ちながらも、どこか優しさが滲んでいた。

「本当ですか!」

弥生の顔がぱっと明るくなる。

涙で濡れた頬が、街灯の光に照らされてきらめいた。

「ですが、5分だけですよ」

「はい!ありがとうございます!」

「さすがに玄関先というわけにもいかないので、どうぞ」

哲郎が身を引き、弥生を家の中へと招き入れる。

弥生は深々と頭を下げながら、田辺家のリビングへと向かった。

足取りは慎重で、緊張が全身に伝わっているのがわかる。

リビングの暖かさが、彼女の凍えた心を少しだけ溶かしていく。

この訪問が、彼女にとってどれほどの覚悟だったのか——

その空気が、部屋の中に静かに広がっていた。

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