寒蝉鳴(ひぐらしなく)

 インテリタスが待つ空き地に赴くのも、すっかりマナブの日課になってしまっている。行けば退屈しないのだ。何もない一日を過ごすよりは、何か起こった方が楽しい。その点、人で非ざる少女と過ごすと、何かしらの事件が起こる。空が割れたり、海に沈んだり、特区の端まで散歩をしに行ったり……。災難と言えば災難であるが、冒険と言えば冒険だ。マナブが特区に不時着してから十年経つが、まだまだ特区には経験していない不思議な現象がある。インテリタスと過ごすとそれをわからせられるのだが、でも、嫌な感じはしない。


 怪異がでるか呪いがでるか、だなと思いながら、マナブは目的地へと歩いている。やたら蝉がうるさい。昼間だから大合唱で鳴いているようだ。その中心に近づいているらしい。


「ったく、うるせーな。これだから夏は…………っ!?」


 空き地には複数の巨大な蝉が蠢いていた。数は四匹。蝉はji-ririririという音を一斉に立てながら腹を震わせている。どうやら騒音の震源地はここらしい。頭を揺さぶるような音。その振動に合わせてマナブの身体も波打つ感覚を覚える。小さな蝉の鳴き声ならば影響を受けないだろうが、こうも大きな蝉の鳴き声はマナブの身体を震わせるらしい。


 人間よりも大きな蝉の姿にマナブは思わず後ずさりした。虫は苦手だ。小さな蟻が足に上ってくるのですらぞっとするのに、ましてやこんな巨大な化け物が目の前にいて正気でいられるだろうか。ぞわぞわと波打つ身体だが、人間だったならば鳥肌が立つとこういう感じなのかもsれない。


 今日はインテリタスと遊ぶのは中止だ。マナブは元来た道を戻ろうとするが、赤色のワンピースが視界に入った。恐る恐る空き地の中を覗き込むと、蝉の真ん中で少女が茫然と立ち尽くしている。巨大な虫が少女の周りを歩き回っては威嚇(?)を行っており、それに阻まれて少女は動けずにいる。


「インテリタス!」


 マナブの声はモンスター蝉の鳴き声にかき消されたが、少女はこちらに気が付いたようだった。インテリタスは少し身を乗り出すものの、四体の蝉に阻まれる。諦めたように少女が再びぼーっと立ちすくむ。あきらめが早い。


 それを降伏したという合図だと思ったのか、蝉たちはさらに大きな鳴き声を上げ始めた。蝉は求愛の時に鳴くと聞く。インテリタスはみてくれだけなら愛らしい人形のようだし、かわいい雌認定でもされたに違いない。


 人外少女のお得意の握り潰し爆発弾でも噛ませばいいのに。相手が生きているからか、求愛されているからか、なぜかインテリタスは攻撃を躊躇っているようだった。 (この街でモンスターに反撃しなければ大概死ぬので反撃は早い方が良い)(故に彼女の行動は悪手)(そして蝉たちに虜にされている)


 マナブは虫が好きではない。大きなモンスター昆虫ならなおさら。がさがさとする翅や人間の物ではない動きをする腹。潰れれば黄色の体液が滲み、妙に柔らかいのも恐ろしい。しかし、知り合いを蝉の餌食にしておくのも寝つきが悪い。


 マナブは、待ってろ、というジェスチャーをして蝉の翅を水の身体で弾き、地面に転がした。通常サイズのものと同じで脚を上にしてしまえば動けないはずだ。案の定、転がせば長い六本の脚がうごうごと空を切った。化け物蝉が腹を波打たたせて元に戻ろうとしているが、無駄な足掻きである。一匹転がされたのを見て、他の蝉が警戒して大きな身体を前後に揺する。マナブの水の身体がその脚を攫い仰向けに倒していく。蝉は見た目に反して軽い身体をしていた──軽くないと、飛べないか。


「うええ」


 インテリタスを助けるために我慢して四匹の蝉をひっくり返し、あっという間に空き地の半分がモンスター蝉の生き地獄と化した。しばらく、風でも吹かない限りはひっくり返ったままになるだろう。


 蝉が動けなくなり包囲網から解かれると、インテリタスがとことことマナブの方へと歩いてきた。


「むし」

「虫はわかったけど、なんで囲まれてたんだよ」

「ありがとう」

「……そうだな!」


 虫とも話はできないが、この人外の少女とも話がかみ合わない。しかし、助けてもらってありがとうと言いたいのかもしれない。マナブはそう受け取った。


 巨大蝉は空き地で転がっている。その鳴き声が止んだのを見計らい、今度はやや小さな蝉の鳴き声がminnnnmimimimimiと聞こえ始めていた。


 ***


 直し屋から引っ張ってきたホースで水遊びをする間、気が向いた時に蝉をひっくり返し、追い立てているうちに空は薄い赤紫色に変化していた。最後の蝉は名残惜しそうにインテリタスを振り返っていたが、しっしっと手を振れば、ばさばさと羽音を立てて空の向こうに飛び立っていく。昼に鳴いていた小さな蝉も眠り始めたのだろうか、あたりはすっかり静かになっていた。夏は日が長い。この夕焼けも、空気に残った熱気もしばらく続くだろう。


 暑さも忘れてインテリタスと遊び惚けた夕方がなんとも勿体ない。昼が長いのだから、もっともっと遊べる気がするのに、実際は帰路に着く時間だ。まだ、もう少し、とマナブは名残惜しい。薄暗くなってきた空がそれを増長する。


「じゃあな」


 後ろ髪引かれる気持ちを悟られぬように、少女に短く挨拶をしてマナブは空き地を去ろうとした。明日またふらっと来れば良い。どうせインテリタスはここにいるだろうから、と。


 どこからともなくkanakanakanakanaと音が鳴り始めた。ヒグラシだ。同じ蝉であるというのに、昼間喧しく鳴いていたモンスター蝉とは大きく違う涼しげな鳴き声である。夜に沈んでいく特区にふさわしい、静かな空気の震え。


「むし、はじめて」


 少女があたりを見渡して、きょろきょろとする。ヒグラシの鳴き声を初めて聞いた、という趣旨の発言をした。インテリタスにとって、特区の夏は初めてだ。一日、一日と新しい体験に出会っているに違いない。ヒグラシもきっと、その一つだろう。


「また、あした」

「また、……?」


 ……これは、明日もヒグラシの声が聞けるか、というマナブへの確認である。言葉足らずな少女の言葉の真意を、マナブは自分の好きなように解釈をしなかった。この人間知らずの少女が、約束のようにまたね、など言うはずがない。


「そうだな、明日も聞けるよ」

「マナブも?」


 インテリタスの言葉はいつも不意打ちに背中を叩く。先ほどの言葉の意味がなんであれ、今度はマナブがこの鳴き声を聞くのかを聞いているのだった。


「そうしようかな」


 どうせ日課になっている。ならば、また明日、という約束をしても差支えがないだろう。


「じゃあ……またな」


 インテリタスにそう約束すると、少女が小さくこちらに手を振る。明日も晴れればいいな、とマナブは思っていた。

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