カフェ・ラルゴ
@fukazume_kissa
第一話「新しい朝」
ガラス越しに、焼きたてのパンの匂いが流れ込んできた。
商店街の端にある小さなカフェ――カフェ・ラルゴ。
開店前の静けさの中で、ドアベルが小さく鳴る。
「おはようございますっ! きょ、今日からアルバイトでお世話になります、佐伯七海です!」
ドアの向こうに立っていたのは、少し緊張した顔の高校生。
両手でエプロンを握りしめて、精一杯の笑顔を見せている。
「……早いな。開店はまだ1時間後だぞ」
カウンターの奥から声がした。
黒髪ショートの女性――バリスタの高瀬しおりが、カップを磨きながら顔を上げる。
表情はあまり動かない。でも、その声にはどこか柔らかさがあった。
「すみません、早く来たほうがいいかなって……! あの、まず何をすればいいですか?」
「じゃあ、カップを並べて。割らないようにね」
「は、はいっ!」
七海はカウンターに近づき、慎重にカップを並べ始めた。
けれど――手が少し震えていたのか、カップ同士をぶつけてカチャリと鳴った。
「……っ、ごめんなさい!」
「大丈夫。まだ割れてない。セーフ」
しおりが短く笑った。七海はその笑顔に、思わず目を瞬かせる。
初めて見るその笑みは、思っていたよりもずっと優しかった。
そのとき、厨房の奥から低い声が響く。
「カウンター、コーヒー豆届いたぞ」
無骨な声の主は、厨房担当の厨野剛。
七海よりはるかに大きな段ボールを片手で軽々と運んでいる。
「あ、ありがとうございます!」
七海がそう言って段ボールに手を伸ばすと、
「いい。持つな。重い」
そう言って、剛はカウンターの端に箱を置くと、黙って奥へ戻っていった。
七海はその背中を見送りながら、小さく息をつく。
「……みんな、かっこいい人ばかりだなぁ」
ぽつりと呟いた声が、ほんの少しだけしおりに届く。
しおりは目を伏せ、磨いていたカップをそっと置いた。
「かっこいいかどうかは知らないけど。ここ、変な人が集まるの」
「えっ、そうなんですか?」
「午後になったら、常連さんが来る。……その彼もちょっとね」
そのときのしおりの表情は、ほんの少しだけ柔らかかった。
七海は首をかしげる。
「変わった人なんですか……?」
「すぐわかる。目立つから」
言葉を濁したその先を、七海は深く聞かなかった。
外は雨模様だがそれでも入ってくる外の光に照らされた店内を見渡す。
木のテーブル。磨かれたカウンター。コーヒーの香り。
なんだか、ここでなら少し頑張れそうな気がした。
その瞬間、外からドアベルが鳴った。
まだ開店三十分前。
けれど、しおりは顔を上げて言った。
「……やっぱり、来た」
ドアの向こうに立っていたのは、黒い傘を持った青年。
濡れた髪をかき上げながら、静かに「おはよう」と言う。
「一ノ瀬くん。今日も早いですね」
「やっぱりここがよくて」
短く交わされた言葉。
けれどその空気の中に、七海は少しだけ違う温度を感じた。
バイト初日の朝――カフェ・ラルゴに、ゆっくりと人の気配が満ちていく。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます