第12話 総理、閣議に出席する

 次の日。

 現在時刻、午前九時五十分。

 

 首相官邸四階にある閣議室の円卓には、これから始まる閣議に向け、閣僚の面々が集っていた。

 円卓の上座に掛けた迅一郎が、卓上に配布された資料に目を通していると、ささやくような声で名前を呼ばれた。


「総理、本日はどうぞよろしくお願いします——」

 

 顔を上げると、痩せぎすの中年男が、不必要なほど、にこやかな笑みを浮かべて立っていた。


福地ふくち大臣」


 迅一郎に話しかけてきたのは、厚生労働大臣の福地公克ふくちきみかつだ。

 薄くなった頭頂部を隠すように七三に分けた髪型に、サイズオーバーのグレーのスーツ。

 肩が浮いたように見えるその姿は、迅一郎の目にはどこか頼りなげに映る。神経質そうな顔立ちが、その印象をさらに強調していた。


 立ち上がりかけた迅一郎を、福地は慌てたような素振りで制す。

 そして、耳打ちするように身を寄せた。


「ところで、総理。今日の議題の件ですが……」

「例の補正予算ですね」


 迅一郎が案件を察して言葉を返すと、福地はわざとらしく笑みを深くする。


「ええ、ええ! すでに桜木官房長官には了承済でして。もちろん関係箇所とは諸々折衝済ですから。あとはひとつ、の方向で。ご了承をいただけましたら、はい。くれぐれもよろしくお願いいたします」


 福地が語る〝あれ〟。

 大病院を対象とした補助金制度の予算案だ。

 前政権の時代から長く調整が続いてきた経緯がある。


 迅一郎は視線を資料に戻し、補助金の概要が記されたページをめくった。


 急速に進む高齢化社会に対応し、揺らぐ社会保障を支えるため——医療分野へ超大型の未来投資。


 そう大きな文字で銘打たれた表題の下には、反面、小さな文字フォントで、制度開始後の所要見込額が記載されていた。

 紙面の上に並ぶ数字の列を眺めて、迅一郎は眉根を寄せる。

 美辞麗句は羽のように軽く、勘定は鉛のように重かった。


「福地大臣。その件ですが、私の方でも考えがありまして……」


 迅一郎が言いかけた瞬間——バタン、と扉が大きく開く音が室内に響いた。

 会話を中断し、視線を扉の方へ向ける。


「おはよう、諸君——」


 中に入ってきたのは、ダブルのスーツに身を包んだ、白髪頭の初老の男だった。


 その瞬間、円卓の椅子が一斉に軋む。

 閣僚たちは続々と立ち上がり、男に向かって深く一礼をした。

 もちろん、迅一郎もそれに習う。


 深々とした礼に対し、男は軽く会釈を返しつつ、落ち着いた足取りで歩を進めた。

 閣僚たちの中には、萎縮したように視線を逸らす者もいれば、背筋をぴんと伸ばす者もいる。

 彼が歩を進めるたびに、円卓を囲む空気が少しずつ張り詰めていった。


 やがて男は、迅一郎の横へ腰を下ろした。

 迅一郎は、男の着席を待ってからようやく口を開いた。


「おはようございます。桜木長官。今日の閣議、よろしくお願いします」


 桜木国継さくらぎ くにつぐ


 和泉内閣で、内閣官房長官を務める男。

 過去、十年、総理大臣は五人変わっているが、その間、この男は官房長官であり続けている。

 この国の政治を動かしているのは、実質、彼と言っても過言ではない。

 だが、迅一郎にとって、国継は、それだけの関係ではなかった。


 国継は、迅一郎を見据えると、口元にゆるやかな笑みを浮かべる。


「迅、随分と他人行儀じゃないか。いつものように〝義父とうさん〟と呼んでくれよ」


 国継は、迅一郎の亡き妻クリスの実父だった。

 

 元々、和泉家と桜木家は、遡れば一つ血にたどり着く遠縁の親戚にあたる。

 その縁もあり、迅一郎とクリスは幼馴染の関係であり、国継にも幼い頃から何かと目をかけてもらってきた。

 元は一介の探索者に過ぎなかった迅一郎が政治の道を志した後、資金も人脈も、国政への架け橋となったのも国継である。

 無論、迅一郎が総理の席につくことができたのも、国継の後押しがあってこそなのは言うまでもない。


「そういうわけにはいきませんよ、桜木長官。今は家族ではなく、政治家としてここにいるのですから」


 国継は、迅一郎の返答に肩をすくめる。

 オールバックに整えた白髪頭を撫でつけながら、言葉を続けた。


「それにしても、迅。昨日は大した活躍だったじゃないか。総理大臣がダンジョン配信なんて前代未聞だぞ。おかげで内閣支持率も十パーセントに迫る勢いで急回復。ま、これは元が低すぎるんだがな」


 その言葉に周囲の閣僚たちも、乗っかり始める。


 見事でした——

 総理の一閃、しびれましたよ——


 彼らは口々に、迅一郎を称賛する言葉を口にしだした。

 だが——

 

「忘れるなよ。——」


 国継は口元に薄い笑みを浮かべたまま、低く続けた。


「君の仕事は、ダンジョンを探索することじゃない。総理大臣として、この国の政治を回すことが、君が果たすべき役割だ」

 

 その言葉は、場の浮ついた空気を一瞬で凍らせた。

 閣僚たちのざわめきは水を打ったように掻き消える。

 静まり返った空間で、迅一郎は神妙な面持ちで頷いた。


「心得ています」

「それならばよし。さあ、総理、閣議を始めようじゃないか」

 

 国継の言葉を合図に、閣僚たちは一斉に椅子へと腰を下ろす。

 こうして、和泉内閣結成初めての閣議が幕を開けた。


***


 国継の進行により、議題は滞りなく処理されていく。

 やがて今日の閣議の核心——厚生労働省が打ち出す補助金制度を盛り込んだ、大型予算案へ話題が移る。


「それでは概要を——福地厚生労働大臣から」

「ははっ!」


 国継の促しに応じて、福地大臣は資料を片手に立ち上がった。


「それでは! 不肖、わたくし、福地から、予算案概要を説明させていただきます——」


 福地は資料に目を落とし、深呼吸を一つしてから語りだす。


「今回の補助制度の対象はズバリ大病院です! 大病院の体制を強化すれば、誰もが安心して診察や治療を受けられる環境を整えられる。そのうえで、特に人が集中する首都圏の基幹病院に資金を重点的に振り分けることで、患者が押し寄せて医療がパンクする事態を防ぐ狙いもございます」


 福地はオーバーな身振りを交えながら熱弁を振るう。

 その演説はやたらと情緒的で、資料に記載された巨額の財政負担を置き去りにしたままだ。

 迅一郎の耳には、空虚な響きとしてしか届かなかった。


「——高齢化が急速に進む我が国にとって、医療機関に対する手厚い支出は未来投資に他なりません! 医療体制の拡充こそ国の礎!! 以上、本事業の必要性を鑑み、よろしくお計らいいだきますよう、どうかどうか……お願いします!」


 最後は演説のようになって、やがて、福地大臣による概要説明が終わった。


 この後は、閣僚たちによる合議が行われることになる。

 しかし、円卓を囲む閣僚たちは誰も口を開くことなく、その視線をただ一点——内閣官房長官の国継へと向けた。


 国継は、唇を結び、手にした資料を眺めながら静かに沈思していた。

 やがて——


「懸念は野党連中の反対だが……その辺の調整はどうだい、福地大臣」

「もちろん、抜かりはありません! すでに国民参政の会の内諾は得ております!」

「うん……の連中の同意があるなら、過半数確保は見込めるな。それならば、いいんじゃない」

「ははっ! ありがとうございます、官房長官!!」


 福地は腰を直角に折って、頭を下げた。

 閣議においては、全会一致を持って内閣の意志とする。


 しかし円卓の空気は明らかに、官房長官ただ一人の意志をもって、異議なしの収束していた。


「——一つ、よろしいでしょうか」


 そんな空気を打ち破るように、まっすぐと挙がる手があった。

 挙手の主は迅一郎だった。


「今の説明について、色々と気になる点が。まずそもそも論ですが、この制度は財政負担があまりに重く、将来的に国庫を圧迫しかねません。福地厚労大臣はその辺りをどうお考えで?」

「え? いや、その、官房長官の了承をいただいたところでありまして……」

「また、補助金の配分が首都圏に偏りすぎているのも気になります。地方の医療が置き去りにされているのではないでしょうか」

「い、いえ、その……もちろん地方にも配慮は……ええ、一定の割合で……」


 指摘を受け、福地は慌てたように資料をめくりながら答える。

 しどろもどろの反論は、説得力に欠けていた。


 そこに国継が口を挟む。


「首都圏への重点配分は、人口集中と医療需要の現実を踏まえた必然だろう。我が国の高齢化率は実に29.3パーセント。いずれ四割に迫る水準になる。当然、現状のままでは病院はパンク。財源の重さも承知の上で、それでも先を見据えた支出とするしかない」


 迅一郎は視線を国継に移した。


「もちろん必要性は理解しています。ただ、補助の仕組みが十分に議論されないまま、これだけの巨額予算を投じていいのか——そこを問題視しているのです。この資料を見る限り、補助金の使い道が本当に適正かどうか疑問が残る。ベッドや設備ばかり増やしても、肝心の人——医師や看護師まで支援が届かなければ現場は回りません。むしろ現場は疲弊して、医療そのものが立ち行かなくなるのではないでしょうか」

 

 それは官房長官・国継の意志に対する、真正面からの挑戦だった。

 閣僚たちは息を呑み、国継の回答に耳をそばだてる。

 

 凍りついたような室内の空気の中、国継は口元に笑みを浮かべ、ゆったりと手を打った。


「いや素晴らしい、和泉総理。国民目線を決して忘れないその発言、実に結構だ。まったく、この声を直接国民に届けられないなんて……閣議が国民に非公開であるのが惜しいくらいだよ」


 国継はゆるやかに椅子へ背を預け、指先で資料の角を軽く叩く。

 

「だがな——政治とは結局、限られたパイを取り合うゼロサムゲームだ。完全無欠の全員が幸せになる政策などありえない。国民目線も大事だが、政治家は取捨を見極め、押すときは押さねばならん」

「今、この補助制度を創設することが、その機会だと。官房長官はそうお考えですか」

「そのとおりだ。本件については、党三役、財務、厚労、医師会、看護協会、キー局。根回しはすべて済んでいる。あとは君は決めるだけだ」


 二人の視線が交わり、しばし沈黙が落ちた。

 国継の眼差しには大物特有の余裕と威圧が混じり、迅一郎は正面からそれを受け止める。

 やがて迅一郎は息を吐き、福地へと視線を戻した。


「福地大臣。ご自身は、この草案で本当に納得されているのですか?」

「え、わ、私ですか……?」

「あなたが、は、この補助制度の新設なのでしょうか?」

「な、なにを……」


 迅一郎の鋭い視線が福地を射抜く。

 福地は居心地悪そうに目を泳がせ、表情を引きつらせながら口ごもってしまう。

 やがて迅一郎はその眼差しを再び国継へと戻し、静かに口を開いた。


「官房長官——」

「なんだ」

「一週間。私に時間をいただけませんか」

「……何をするつもりだ?」

「この補助制度を通す前に、今の私にできることがあります」


 その言葉に、円卓がざわめきで小さく揺れる。

 閣僚たちが顔を見合わせる中、国継は静かに目を細めた。


「総理。できることとは何だ。言ってみたまえ」


 迅一郎は一拍置き、きっぱりと言い放った。


「ダンジョンです」


 その言葉を受けて、ぴくり、と国継の眉が動く。


「私がダンジョンから、万能薬と称されるマテリアル、〝エリクサー〟を手に入れます。それを医療現場に安定供給体制を整えることができければ、補助金では賄えない希望になるはずです——」


 迅一郎は、国継の視線を真っ向から受け止めながら、そう言い切った。






《TIPS》閣僚

内閣を構成する国務大臣のこと。内閣総理大臣とともに行政を担う役職である。総理が任命し、各省庁のトップとして政策を遂行する。

人数は最大で20人までと法律で定められ、閣議に参加して国の重要事項を合議する。



《TIPS》内閣官房長官

内閣の重要な補佐役であり、官房(内閣の事務局)を統括する国務大臣。閣議の運営を支え、内閣全体の方針を調整する役割を担うほか、記者会見で政府の公式見解を国民に伝える「政府のスポークスマン」としての役割も持つ。



《TIPS》少子高齢化

子どもの出生数が少なく若い世代が減る一方で、高齢者の割合が増え、社会全体で高齢化が進んだ状態。

人口のバランスが崩れ、働き手の減少や年金・医療など社会保障の負担増が大きな課題となる。

2024年時点で日本の65歳以上の人口割合は29.3%であり、2070年に38.7%に達し、約2.6人に1人が高齢者という状態が常態化する社会の到来が予測されている。




***


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