第29話 悲劇
「早瀬さん」
名前を呼ばれて、星原さんと目が合う。
お互い座っているから目線が近いし、向き合う形に座っているからよく顔が――……って、私なんでこんな真正面に座ったんだ!? よく考えたらいつもは後ろで立っているくらいなのに!! 家だからって十分気が緩んでいた。怒られるかもしれないし、今からでも立ったほうが……。
「早瀬さんは、どうして桜さんになったんですか?」
「ああっ、そうです。それは突然誰か来たので防犯目的で……決してプライベートではいつもこうではなく……」
「は? なんの話ですか。意味がわからないですし、そんなこと聞いていません」
私はこの格好の説明をちゃんとしたいのに、星原さんは突っぱねる。
「わたしが知りたいのは、桜さんが、アイドルになった理由です」
「…………アイドルになった理由ですか」
急だったけれど、思いの外まっとうな質問だった。
天雨桜に憧れているなら、知りたいとしてもおかしくない。
そうでなくても、男装してアイドルなんて、理由を聞きたいと思う。私だって、自分以外にもいたら、聞いてみたいくらいだ。
「たいした理由ではないですよ? 人に話すようなことではないって言うか、聞いても面白くないって言うか……」
アイドルとギャンブル(緻密な戦略思考ゲームのこと)が好きだった。
ギャンブルと言っても、私が嗜むのはいわゆるゲームだ。麻雀、トレーディングカードゲーム、ローグライクゲーム。
天雨桜だったころが二十歳未満で高校生だったから、お金をかけたような経験はもちろんない。
でも子どもだって競馬場には入れるし、金銭を賭けなくても心躍る勝負はいくらでもあった。
だって私に取って一番の大勝負は、アイドルになったことだった。
人生最大のギャンブルで……そして、負けてしまった。
最近もまた一世一代の大勝負で負けた記憶が……あれ、私って大事な勝負で勝ったことある?
「ああ、えっと~……そのぉ~……」
言葉に悩む。どこから話していいのかもわからない。変なことを言って、星原さんに怒られたり引かれたりしないだろうか。
「………………」
星原さんが、いつもなら舌打ちする顔になっている。
「あっ、その、すみませんっ」
「………………いいですけど」
イライラしているのが隠し切れていない顔だけれど……待ってくれている?
わざわざ家にまで来て聞いてきたんだから、星原さんもなにか訳があるんだと思う。
全然、なにを考えているのかわからないけれど。
「はぁ……はぁ……」
怒りを静めようとしているのか、呼吸が荒い。
怖い……これなら舌打ちしてくれたほうがマシかも……。
「あ、あの、ごめんなさい。話します、話しますからっ」
「いいっ……ですよっ……ゆっくりでっ……わたしはこれ飲んでますから……っ」
星原さんのカップを持つ手が震えていた。
あ、そういえばそれってまだ――……
「にっにぎゅっ!? にゅっ――ごほぉへぇっ!? あっ熱!!」
星原さんは砂糖もミルクも入っていないブラックコーヒーをぐいっと飲んで、おそらくその苦さのあまりにむせかえり、それどころか勢いのままカップを吹っ飛ばして頭からコーヒーを被ってしまった。
宙を舞ったカップなんとか反射でキャッチする。危ない、お気に入りのJRAのマグカップが割れるところで――じゃなくて!
「星原さん、大丈夫ですか!? 火傷とかは……」
「…………火傷はまあ……大丈夫そうですけど…………」
コーヒーまみれになった星原さんは、無表情で私を見ている。
「あ、あの…………砂糖は横にあって……ミルクも……」
たぶんどこかでコーヒーをテイクアウトしたときにもらったものだと思う。家にあったスティックシュガーとミルクのポーションをコーヒーと一緒に出していた。
「………………す、すみません、私のほうで入れておけばよかったんですが」
でもザラメ砂糖でも低温殺菌牛乳もなかったから、勝手に入れるよりは星原さんに選んでもらったほうがいいかと気を遣ったつもりだったのだ。
…………まさか、そのまま飲むとも、ブラックが飲めなかったとも、飲んでカップひっくり返すほどとも思わなかったんですっ!!
「……………………早瀬さん、今日ってこのあと仕事でしたよね」
「え、あ、はい。あのこれティッシュ……」
「たしか、生放送」
「…………そうですよね? すぐタオルを持ってきて……」
「ふふふふふっ、楽しみにです。わたしがなにを言ってもそのまま放送されるんですから」
「そうだっ、シャワー浴びてください! 仕事前ですからねっ、身も心もさっぱりして、全部洗い流しちゃいましょうっ!!」
なんとかして、私は星原さんを立たせて、浴室へ案内する。
…………どうしよう、なんとかして許してもらわないと……仕事が……生放送が……ソロデビュー曲の宣伝が大変なことになってしまう……っ!!
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