第6話 第二回交渉戦

 憂鬱だ。取り返しのつかないことして、いつバレるのか脅えながら働くのなんて精神衛生上よくないって……。

 でも男を紹介したのはクビを回避するためにやったことで、それを後悔して仕事をサボるのは本末転倒だ。

 おとなしく楽屋で待つしかないけど、彼女はちゃんと来るんだろうか。


「…………おはよう」


 ノックもなく、ドアが開いた。

 星原奏歌だ!


「うひゃぁっ――……あっ、星原さん、おはようございますっ!」


 びっくりして変な声を出してしまった…………慌てて挨拶し直すが、不審な目で見られた。

 相変わらず、星原奏歌は可愛い。透明感があって、目の前にいるのに、どこか別の世界にいるみたいな気すらしてくる。レイヤーが違う。

 どうやら私のことを嫌っている。

 だから本当に住んでいる世界が違う、ってくらい目もろくに合わせてくれない…………はずだったんだけれど。


「…………星原さん?」


 なぜか星原奏歌は椅子に座った後も、私をチラチラと見ている。


「あの……もしかして私、邪魔ですか? 出てましょうか……」


 マネージャーも同じ楽屋で待機するのは普通のことではあるけれど、仕事前は集中したいから一人になりたいこともある。

 決して、気まずいから逃げるわけではない!


「昨日、桜さんと……お話ししちゃいました」


 星原奏歌がスマホをきゅっと抱きしめながら言った。え、急になに?


「…………へ、へぇ……そうなんですか」


 それは、知っている。

 だって、私が紹介したから。彼女が桜さんと呼ぶ、天雨桜というやつのこと。


「どんなこと話したか、気になりますか?」

「えっ、いや、別に……」


 星原奏歌はスマホを抱きしめたまま、私を軽く上目遣いするみたいに見てくる。

 頬も少し赤くなっていないか?

 お話ししたといっても、メッセージのやり取りだけなはず。そういう約束だった。

 会話の内容より、星原奏歌の様子がおかしくない? そっちのほうが気になるって。


「桜さんって、かっこいいですよね。男らしいし、いつも話も面白くて」

「そんなんでしたっけ……」


 私が反応に困っていると。


「桜さん、やっぱり最高……うへっ、うへへへっ」


 CM出演数二桁、経済効果は数億円とまで噂される今をときめく人気アイドル星原奏歌。

 そんな彼女はいつも人形のように無表情だ。

 普通ならアイドルなんて笑顔が標準装備なのに。


 もしもわずかにでも微笑むことがあれば、その姿に大勢のファンがどれだけの価値をつけるだろうかと言われていたものだけれど――まさかこんな奇特な笑い方だなんて!! 見たらファン減るんじゃないのっ!?


 でも笑い方はとにかく、嬉しそうだ。

 …………天雨桜、紹介してよかったのかな。

 最悪の事態は真逃れている。結果的には……上手くいっている?

 もしかしてチャンスか!?


「あの星原さん。喜んでいるところ、すみませんが……」

「別に喜んでませんけど。普通です。わたし感情ないんで」

「……感情がないところ、すみません。仕事の話なんですが」

「なんで早瀬さんが仕事の話をするんですか」

「…………マネージャーなので」


 名前は覚えてくれたみたいだけれど、まだまだ私がなんでここにいるのかわかっていないらしい。

 食べ物を運んだり、男を紹介したり、担当アイドルの代わりに頭を下げたりするためにいるわけじゃないよ!!

 まぁ、男を紹介する以外はマネージャーの仕事ではあるか……。


「明日の夕方、ラジオのゲスト出演をお願いしたくて……学校終わったらいいですか?」

「は? 嫌ですけど。だいたい、明日は予定があります」

「予定って……?」

「桜さんです。また明日も連絡していいですかって聞いたら、いいよって」

「…………それは、昨日のことだから、その明日は今日なのでは?」

「今日も同じ約束するから同じことです」


 同じじゃない!

 それなら仕事の方が先に決まったんだから、新しい予定より優先してほしい。なにより、本当に予定があるなら私だって、一応マネージャーとして社長に相談して――……それで断れるかはわからないけどっ!!

 でもその予定が、天雨桜と話すからってのはダメだよっ! 社長に言えないから!!


「そもそも天雨桜とは、仕事が終わってから話せばいいじゃないですか。昨日もそうでしたよね?」

「明日は仕事ないからいっぱいお話しできるって楽しみにしてたんです」

「……そんなに話すことあります?」


 つい正直な疑問を口にすると、星原奏歌からにらまれてしまった。

 まずい、さっきまでの機嫌の良さが完全に消えている!


「ラジオのゲストだけなんで、解散も早いですから。お願いしますよ、星原さん」

「嫌です。まずラジオ嫌いなんで」

「えーっ、ラジオ楽しいですよ~。WEB配信らしいですけど……ほらこれ、コメントとかもたくさんついて、お便りもいっぱい届くみたいで、賑やかですねっ!」

「うるさい。嫌だって言ってるじゃん」


 仕事中の星原奏歌は噂通りワガママを言う様子はない。おとなしくて、控えめで、自己主張も一切ない。

 ただそれは、どんな仕事もOKかといえばそんなことはない。

 人気アイドルだから、当然事務所としてもイメージを悪くする仕事は断っているし、彼女自身の向き不向きで選ぶ場合もある。

 営業は社長が続けるので、昨日マネージャーになったばかりの私はまだ詳しく聞いていないけれど――ドラマや映画の出演は本人が断っているというのは、ファンだったら知っている話だった。


 人気アイドル星原奏歌であれば当然ドラマも映画もオファーが来る。

 しかし出演した作品も、出演予定も一切ない。

 バラエティでもステージでも、彼女は無口で無表情。

 演技の類いが不得意なのは想像がつく。


 そうなると私の目の前にいる星原奏歌はなんだ?

 コミュニケーションが取れているかを考慮しなければよくしゃべるし、表情は癖が強いことを差し引けば人並みくらいにはある。

 いつもの彼女が演技だった? それか、今の彼女が演技している?

 なんとなく、どっちもしっくり来ない。一番しっくり来るのは……私のことを人として見ていないというか…………とにかく私を嫌っている!


「…………そんなに嫌ですか?」

「わたし、しゃべるの、苦手だし」


 つい、いらないことを聞いてしまったが、ラジオのことだと勘違いされたらしい。

 私が嫌いかなんて確認しなくていい。それより、しゃべるのが苦手ってのは本当なのか。

 まあよくしゃべるのと、得意かどうかは別だからね。


「ゲストだから無理に話さなくてもいいんですよ? 振られた話題だけ返せば……」

「どうせ、わたしのファンなんて顔ファンだし……ラジオなんて出てもしょうがないです……だから出ません……」

「いや、そんなことはっ!」


 星原奏歌の圧倒的な顔面に惚れ込むファンが大多数なのは間違いない。

 でも、好きになったきっかけが顔だったとしても、星原奏歌というアイドルを応援しているんだ。彼女がしゃべるのが苦手なことは知っている。

 だからこそ、彼女がラジオに出るのは、ちゃんと意味があると思う!


 でもアルバイトの私が、そんなことを言っても…………。

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