第2話 瞳に映る焔

あの赤い花々が、また咲き始めていた。



風に乗って香るのは、懐かしい匂い──


湿った土と、甘い花の香が絡み合う。




その中に、彼女が立っている。



白い衣が赤の海に沈み

陽に透かされた髪が

焔のように揺れていた。


 


彼女の瞳を、僕は覚えている。



初めて出会った日の──あの瞳。


悲しみを映す水面のようでありながら

奥に、どうしようもないほど強い光があった。



それは〝絶望〟の色。


だが同時に、まだ愛を信じていた色。



──だから僕は、惹かれたのだ。


 


「もう、大丈夫ですよ……

永遠に、貴女とともに──」



あの日

そう微笑んで、僕は手を伸ばした。


彼女の白い指が

まるで白い彼岸花のように僕の手を包んだ。



その瞬間──

世界がひとつになった気がした。


 


彼女は世界を、人を憎んでいた。


それでもなお、愛してしまう。



その矛盾が、彼女を蝕み

同時に僕を──救った。


 


彼女の瞳は、まるで双つの彼岸花だった。


絶望の底で燃え続ける赤い焔。



その中に僕が映るときだけ

彼女は確かに〝生〟を取り戻していた。



──だから、僕は願ってしまったのだ。



もっと絶望して。


もっと僕だけを見て。



その焔の中で揺らぐものは

僕以外であってはならない。


 


その夜から──僕の心は蝕まれていった。



眠っても、夢の中で彼女の瞳が光る。


目を閉じても、闇の奥で僕を見つめている。



赤い焔が

瞬きと共に脳裏を焼きつける。



その瞳を、閉じさせたくなかった。


永遠に僕だけを映してほしかった。


 


気づけば、僕は考えていた。



──彼女の瞳を、この世から隔離できたなら。


──その眼差しを、誰にも奪わせなければ。



それこそが、真の〝永遠〟ではないかと。


 


彼女が微笑むたび

瞳に宿る光が揺れるたび

胸の奥に奇妙な焦燥が芽生えた。



僕以外の光を映すのが怖かった。



風、鳥、空、太陽──


そのすべてが、彼女の瞳を奪う敵に見えた。



だから僕は、願ってしまった。



いっそ、世界ごと閉じてしまえばいい。


貴女の瞳が僕だけを映すように

他のものを見られぬように。


 


それは、愛なのか。


それとも、狂気なのか──⋯



分からない。


ただひとつだけ確かなのは

僕はもう──

彼女の瞳から離れられないということ。


 


あの瞳に宿る紅は

もはや花ではない。



それは、僕の魂を焦がす焔。


僕の心臓を焼き、呼吸を奪う焔。


 


彼女が振り向くたび、僕の鼓動は狂う。


その瞬間、世界の色が変わる。


赤が滲み、音が遠ざかる。



気づけば、僕はその瞳を掴もうとしている。


掴んで、奪って、閉じ込めてしまいたい。


 


彼女は微笑む。


まるで、すべてを知っているように。



きっと──貴女も同じなのですね。



僕の妄執を、愛と呼ぶように。


貴女の絶望を、救いと呼ぶように。


 


風が吹き、花が揺れる。



赤い波の中で

彼女の瞳がまた僕を映す。


その瞬間──

胸の奥が焼けるように熱くなった。



僕は思う。



もしもこの瞳が

永遠に僕を見つめてくれるのなら



世界など


僕など──どうなっても構わないと。


 


彼岸花の海の中で

彼女の瞳だけが、僕の真実だった。



そして、僕はもう知っている。



この焔が消えるとき

僕の世界もまた──終わるのだと。

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