第44話 今日の夜、嫌な奴と遭遇してしまった

 夜の帳が降りた頃、佐藤征人さとう/ゆきひとは畳敷きの個室から腰を上げ、仲間と共に店屋の外に出る。


「じゃあ、また明日」


 街中の本通りから少し外れにある魚介クラウン《ぎょかいくらうん》という魚介専門の居酒屋の入り口で、高橋一紀たかはし/かずきが明るく声を皆に投げかける。

 一緒に食事をした周囲の面々も笑顔で応じ、別れの挨拶を交わした。


 一紀はこれから実家の店の手伝いが残っているため残留し、山田眞白やまだ/ましろ桜井綾乃さくらい/あやのは帰宅ルートが重なるため、連れ立って夜の街へ繰り出したのだ。


 綾乃は帰る前、軽やかに手を振り、征人に明日ねと囁くように言った。

 征人も短く頷き、店を後にしたのだ。そして今、征人の傍らには千恵里ちえり椿結海つばき/ゆうみの二人が寄り添っていた。

 三人は七時を回った街中を肩を並べて歩き出す。


 夕刻の訪問時とは打って変わり、通りは人波で賑わい、夜の匂いが濃厚に立ち込めている。

 スーツのサラリーマンたちが、近くの居酒屋へ次々と吸い込まれていく様子を横目に、征人は周囲のざわめきを肌で感じながら足を進めた。


「お兄さん、この後どうするの?」


千恵里の柔らかな声に、征人は少し間を置いて考え込んだ。


「そうだな……」

「だったら、ちょっと寄り道してから帰りませんか?」


 結海が立ち止まり、目を輝かせて提案した。

 二人も道端の端で立ち止まる。


「どこに寄るの、結海ちゃん?」


 千恵里が首を傾げると、結海はにこりと微笑んで答えた。


「この通りを抜けた先にゲームセンターがあるんです。一時間だけ遊びませんか?」

「椿はそれで大丈夫? 帰りが遅くならない?」


 征人は念のため確認した。


「うん、大丈夫! 私、ここから家が近いから」

「そうか。じゃあ、行ってみようか」


 征人は即座に頷き、三人で歩みを再開した。




 街中の飲食店通りを過ぎた道に入ると、目的地となるゲームセンターは、ほどなく姿を現した。


 入り口近くには、少し荒々しい雰囲気の若者たちが数人たむろしていたが、征人は意に介さず、先頭を切って中へ踏み込んだ。

 千恵里と結海がその後を追う。


 店内は、多種多様な電子音が絡み合い、熱気あふれる空間を形成していた。

 征人はその喧騒に、ふと懐かしい感覚を覚えながら周囲を眺める。

 ゲームセンターを訪れるのは、二年ぶりだからだ。

 久しぶりのゲームセンターに、征人は心を躍らせた。


「さて、何から始めようか」


 店内を歩きながら征人が二人に尋ねると、結海が興奮気味に答えた。


「あっちのクレーンゲームがやりたい!」


 そう言うと、結海は征人の袖を軽く引いて、奥のコーナーへ向かった。

 千恵里も楽しげに後を追う。


「あれが欲しいの」


 結海が指さしたのは、筐体に並ぶお菓子セットだった。

 かなりのボリュームで、鮮やかなパッケージが視線を奪う。

 中身はチョコレート菓子らしい。

 包装だけでも、甘い誘惑が漂ってくる。


「ぬいぐるみじゃなくて、お菓子?」

「ぬいぐるみもいいけど、この店はお菓子系が取りやすいんだよ」

「へえ、そういうことね」

「じゃ、私が最初にやりますね。二人は見ててくださいね」


 結海は得意げに胸を張った。

 最初に挑戦したのは結海自身。コインを投入し、アームを慎重に操る。

 征人と千恵里は後ろから息を潜めて見守った。


「あっ……あと少しだったのに!」


 惜しくも失敗した結海は、その後も三回ほどトライしたものの、成果を上げられなかった。

 お菓子セットは入り口近くまで寄せていたが、そこへ来て結海が二人を振り返った。


「征人先輩、取ってくれない?」

「俺が? 俺、こういうのほとんどやったことないから、できるかどうか……」


 征人が自信なさげに呟くと、結海が即座に反応した。


「私、先輩に取ってもらいたいの!」


 上目遣いの視線に、征人は苦笑いを浮かべた。


「まあ、仕方ないな。一応やってみるよ」


 結海から借りたコインを入れ、集中してアームを動かす。

 最初は位置がずれ失敗したが、何度か試すうちに感覚を掴み始めた。

 細かな調整を繰り返し、五回目で――


「おお、取れた! 出来た!」

「凄い、お兄さん!」


 征人が驚きの声を上げると、千恵里も背後から歓声を上げた。


「ありがとう、先輩!」


 結海が跳ねるように喜ぶ。


「意外と簡単だったな」

「さすが先輩! かっこいい!」


 結海の満面の笑みに、征人も照れ臭そうに頰を緩めた。

 結海は先輩のお陰と言っていたが、実際は彼女が最初に商品をいい位置まで動かしていたからこそ成功したのだと、征人は心の中で思っていた。

 だが、そんなことは口にせず、素直に感謝を受け止めたのだ。


 満足げな三人は、別のクレーンゲームエリアへ移動し始めたが、その途中、征人は奇妙な違和感を覚えた。

 店内の隅で、見知らぬ女の子に絡む男性の姿が目に入ったからだ。


 その子は明らかに嫌悪感を露わにし、逃げようとしている。

 よく見れば、その男は――かつて縁を切った旧友、藤野拓海だった。


「すみません、私、もう帰ります……」


 その子はそう言い残し、逃げるようにその場を離れた。


「あーあ、つまんねえな……ん?」


 拓海がぼやいた瞬間、視線が征人と交錯した。


「……征人?」

「え、あ……拓海……なんで、こんなところに……?」

「別に、たまたま寄っただけだよ」


 拓海は露骨に不機嫌な顔をした。


「というか、お前、新しい女連れか? 秋奈とは付き合っていなかったのか?」

「秋奈とはただの幼馴染だから。付き合っているわけではないけど」

「あっそ。でも、なんでお前だけ上手くいってんだよ。なんか、腹が立つんだよな」


 拓海は不満を口にする。

 彼は平野希美と別れる為に新しい彼女を作ろうとしているらしいが、上手くいっていないらしい。

 順風満帆に高校生活を送っている征人の事が気に入らないようだ。


「お前さ、知ってる子でも紹介してくれね」

「……俺たち、もう友達じゃないだろ。そもそも、最初に絶縁宣言したのは拓海の方だし」

「ちッ、面倒くせえ奴だな」


 拓海は苛立った様子で吐き捨てる。


「でも、さっきの子の迷惑行為は何だよ」

「あー、あれ? ただのナンパだよ。それこそ、お前に関係ねえだろ」


 拓海は舌打ちを一つ残し、勝手に機嫌を損ねて立ち去って行った。

 彼が店屋の入り口から出て行くところが、征人らの視界に入る。


「なんなんです、あの人」


 結海が征人に問う。


「昔、仲が良かった奴だよ。もう友達でもないし、どうでもいいよ」

「先輩も色々と大変ですね。では、気分でも変えて、皆でプリクラでも取りませんか? さっきの人も店屋から出て行ったので」

「いいね、私も撮りたい、プリクラ。お兄さんも!」


 結海の提案に千恵里が賛同する。

 征人は二人に背を押され、プリクラエリアへと向かって行くのだった。

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