第24話 チョコレートかけのアップルパイ

 土曜日の昼下がり、佐藤征人さとう/ゆきひとはいつもと異なる場所にいた。

 普段なら自宅の部屋で小説を読んだりしている時間だが、今日は妹の千恵里ちえりに連れられ、事前に約束していた妹の親友――椿結海つばき/ゆうみの家に足を踏み入れていたのだ。


 結海の家のリビングは、ほのかに漂うシチューの香りに包まれていた。

 ダイニングテーブルには、湯気の立つシチューが並び、ゴロゴロとした野菜と柔らかく煮込まれた肉がたっぷり入った、その一品は見るからに食欲をそそる。

 征人はスプーンを手に取り、一口頬張ると、思わず目を見開いた。


「んッ、美味いな、これ!」


 その言葉と、驚きの表情に、テーブルを挟んで座る千恵里と結海がクスクスと笑い合う。


「ですよね。美味しいよね、結海ちゃんのシチュー」


 千恵里は明るい笑みを浮かべて発言し、結海は家にあったクロワッサンを食べながら、スプーンで掬ったシチューをすすり、二人の間で楽しげに会話を弾ませていたのだ。


 二人の息の合ったやり取りは、リビングにキラキラとした空気を生み出していた。

 征人は二人の話し声を耳にしながら、テーブルの中心に置かれているクロワッサンを手に、シチューを食べる。


 そんな、ふとした瞬間、結海の視線が征人にスッと向いた。彼女の唇に浮かぶのは、どこか意味深な笑み。


「征人先輩。さっきからこっちをチラチラ見てません?」

「え⁉ いや、そんなことないって! ただ、話を聞いていただけで」


 征人はスプーンとクロワッサンを手にしたまま、慌てて顔を振る。


「もしかして、午後から私たちと一緒に料理したいとか?」


 千恵里がすかさず茶々を入れる。


「俺はただ二人の話を聞いていただけで、そんな深い意味はないよ」


 必死に弁解する征人だったが、結海の視線にはどこか小悪魔的な雰囲気が漂っていて、ますます気圧されてしまう。彼女はスプーンをくるっと回しながら、ニヤリと笑った。


「気になるなら、普通に話しかけてくれればいいのに、先輩」


 その一言と、上目遣いを見せる結海の態度に、征人の心臓がドキンと跳ねた。

 シチューの温かさとは別の熱が頬を染め、スプーンを持つ手に思わず力が入ってしまうのだった。




 シチューを堪能した後、時刻は昼を少し過ぎていた。

 千恵里と結海はエプロンを身に着け、キッチンへと移動し、次のミッションに取り掛かっていた。


 千恵里が持参したアップルパイのレシピを元に、二人はオリジナルのアップルパイを作る予定なのだ。

 特製チョコレートソースがけアップルパイという、カフェのメニューを思わせる冒険的な一品。


 二人はキッチンでリンゴを洗い、包丁で丁寧にカットし始めた。

 リンゴのシャリシャリとした音と、楽しげな笑い声がリビングに響く。


 一方、征人はダイニングテーブル前の椅子に腰掛け、スマホを手にしていた。

 画面には、昨日パソコンで書き上げた長編ファンタジー小説の原稿が表示されている。


 剣と魔法が織りなす壮大な世界で、主人公が仲間と共に冒険を繰り広げる物語だ。

 征人は外出先でも推敲ができるよう、原稿をスマホにメールで転送していた。


 やっぱり、主人公の活躍シーンをもっと派手にしないとな……


 征人は画面を見つめ、物語の展開を頭の中で組み立てる。

 主人公がヒロインと出会う場面や、物語の核心となる事件をどう描くか。頭をフル回転させながら、スマホの画面をタップしていく。


 シチューの温もりが残るリビングで、征人の指は止まることなく動き、物語の情景が次々と頭に浮かんでくる。

 言葉が画面に流れ込み、少しずつ小説らしい形が整っていく。


 んー……まあ、大体、こんな感じかな……


 征人は原稿をスクロールして読み返す。

 約三〇〇〇字分の推敲を終えたが、ところどころ表現がぎこちなく感じられ、眉間にシワが寄る。


 うーん……ここはもっと自然に書きたいな……


 何度も読み直し、征人は細かな修正を加え始める。だが、長時間の集中で頭が少し疲れてきた頃、キッチンから甘い香りが漂ってきた。

 リンゴの爽やかな酸味と、チョコレートの濃厚な匂いが混ざり合う、なんとも魅力的な香りだ。


 征人は思わずキッチンの方を見る。そこでは、千恵里と結海がエプロン姿でアップルパイを完成させていた。

 オーブンから取り出したばかりのパイは黄金色に輝き、神々しくもある。


「お兄さん、できたよー!」

「征人先輩、ずっとスマホを見て考え込んでいたみたいですけど、ちょっと休憩して一緒に食べよ!」


 結海の声には、どこか悪戯っぽい響きがあった。

 征人はスマホをテーブルの上に裏側で置き、軽く息をつく。


「うん、じゃ、頂こうかな」


 席を立ち、キッチンへ向かう征人の頭の中では、まだ小説の文章が渦巻いていたものの、甘い香りに誘われて、ひとまず物語の世界から現実に戻ってきた感じだ。




 キッチンサイドに移動した征人は、料理場が散らかっている事に気づいた。

 初めて作る料理に手こずっていたのだろうと思った。


「征人先輩、最初に味見をしてください!」


 千恵里がアップルパイを三人分に切り分け、それぞれの皿に、二つずつ乗せる。

 その後で結海が特製のチョコレートソースをたっぷりかけてくれたのだ。


 結海から渡された皿を受け取った征人は、早速パイを一口頬張った。

 サクッとしたパイ生地の食感、甘酸っぱいリンゴの風味、そして濃厚なチョコレートのハーモニーが口いっぱいに広がる。


「んッ⁉ めっちゃ美味いな! 本当にカフェで出てきそうな感じがするし!」


 素直な感想に、千恵里と結海は満足げに笑い合う。

 三人は再び賑やかな会話に花を咲かせ、キッチンは笑顔で満たされた。


「そういえば、征人先輩、さっきからスマホで何していたんですか?」


 結海がふいに尋ねてくる。彼女の目は好奇心にキラキラと輝いていた。


「ん? ああ、小説書いてたんだ」

「へえ、小説? どんな話ですか? もしかして、嫌らしい感じのとか?」


 結海のからかうような口調に、征人は慌てて首を振る。


「いや、違うって! ファンタジー系だよ。主人公が仲間たちと旅をする的な。仲間と協力して敵を倒したりとか」

「へえー、かっこいいですね! 征人先輩、出来具合はどんな感じなんですか?」


 結海の言葉に、千恵里が横でクスクス笑いながらフォローする。


「お兄さんは文芸部に所属していてね、普段から小説を読んでるし、きっと面白い作品に仕上がると思うよ!」


 征人は少し照れながら、チョコソースがかかったアップルパイをもう一口頬張る。


「ね、征人先輩。完成したら絶対見せてくださいね!」

「ちゃんと形になったらね」


 三人はそんな会話を楽しみながら、アップルパイを堪能したのだった。

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