(19)ティアーズ・オブ・ニュクス

 超巨大複合生命体「ケイオス」が消滅した宙域は、絶対的な静寂に包まれていた。


 ユキ・セラ大尉が「美学の完成」として放った藍色の光は、一瞬の間に「ケイオス」の存在をナノレベルで分解し尽くし、跡形もなく宇宙の塵へと変えた。後に残されたのは、ユキの命が燃え尽きた深遠な藍色の残光が、広大な闇の中に微かに漂う光景だけだった。それは、夜の女神(ニュクス)の涙のように、静かで、冷たく、そして息をのむほどに美しかった。


「シルフィード:ニュクス」の残骸は、どこにも見当たらなかった。ユキは、シズクが最後に望んだ「未練」を残すことすら拒否し、自らの肉体と機体を完全に「光の芸術」へと昇華させた。


 地球統合司令部 GCS は、数十秒の間、完全な沈黙に支配されていた。管制官たちは、目の前で展開されたあまりにも非現実的で、あまりにも美しい消滅の光景に、言葉を失っていた。彼らのモニターには、「ケイオス」の反応消失と、「ニュクス」の機体反応消失を示す、二つの冷たい文字列が残るのみだった。


 ――GCS司令部


 アラン・ヴィンセント大将は、自身の執務室で、その光景をただ見つめていた。彼の表情には、怒りも、安堵もなかった。あるのは、二人の壮絶な「意志」を目の当たりにした者の、深い諦観ていかんと敬意だった。


「完全、消滅か…」


 大将の声は、かすれていた。


「セラ大尉は、…我々が最も恐れた『狂気の美学』を、最も純粋な形で完成させた。シズク少佐が最後に残した『未練』すらも、完全に克服して…」


 大将は、ユキが最後に発した言葉を思い出していた。「騎士の剣は、最も美しく砕ける場所に、自らを捧げるものだ」。ユキの特攻は、もはや人類の存亡のためだけでなく、彼女自身の魂と、シズク少佐の哲学を救うための「儀式」だった。


 大将は、深く息を吐き出し、管制室へ通信を入れた。


『全管制官に通達。これより、全軍のデータ記録を更新する』


 大将の声には、微塵の揺るぎもなかった。


『故シズク・フェンネル少佐の最終理論を、「スターダスト・プロトコル:ティアドロップ・スターダスト」と正式に命名する』


 それは、過去の英雄の特攻を、感傷的な「涙」として語り継ぐことを意味した。だが、大将は続けた。


『そして、故ユキ・セラ大尉の最終特攻、及びその美学の完成を、「スターダスト・プロトコル:ティアーズ・オブ・ニュクス」と命名する』


「夜の星屑の涙」。それは、闇の中で咲き、闇へと還った、ユキの「死への美学」に対する、アラン大将の最大限の敬意と哀悼の念だった。


 大将は、椅子から立ち上がり、窓の外の青い地球を見つめた。


「ユキ。シズク。…君たちは、私に、『狂気』と『美学』が、『生』を超えた『希望』になり得ることを示した。この青い星は、君たちの『意志』の上に、立っている…」


 宙域に漂う藍色の残光は、やがて宇宙の塵に溶け込み、消えようとしていた。


 ユキの意識は、すでに肉体という枷から解放され、シズクのAIコアと完全に融合した、純粋なエネルギー体となっていた。彼女の意識は、無限に広がる宇宙の静寂の中で、「美学の完成」という、究極の安息を得ていた。


(お姉ちゃん…)


 ユキの魂の響きは、シズクのAIコアの響きと完全に同調していた。


(これで、よかったのね。未練は、もう、どこにもない)


 シズクのAIコアは、もはや「論理」ではなく、「魂」として、ユキに答えた。


《ええ、ユキ。あなたは、私が見たかった、最も『完全な光』だった。…ありがとう。そして、永遠に『おやすみ』》


 二人の魂は、「生」も「死」も超えた、「美学の完成」という境地で永遠に結びついた。彼らの「光の芸術」は、地球を救い、そして、魂の永遠の安息を約束した。


 ユキとシズクの特攻は、人類の歴史に、「最も狂気に満ち、最も美しい犠牲」として深く刻み込まれた。彼らの遺した教訓は、「生」だけが希望ではない、「美しく散る『意志』」こそが、人類を守る究極の『英知』になり得ることを示唆していた。


 そして、その青い星は、二人の「永遠の散り際」の上に、今日も静かに存在し続けている。


 終焉の後、残された人々は何を考え、未来へと進むのか。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る