(15) 狂気の航路、闇の剣術

「シルフィード:ニュクス」は、複合生命体「ケイオス」の有機的な防御層を深く突き進んでいた。ユキ・セラ大尉の意識は、シナジー・システムによって極度の集中状態にあったが、その内部では、「死への願望」と「生へのかすかなバグ」が、激しい電子的な戦いを繰り広げていた。


《空間歪曲率、急速に上昇!機体、制御不能に陥る可能性98%!》


「ケイオス」の反撃は、「無秩序」そのものだった。ユキがAIの論理で予測し得た、あらゆる物理法則を無視して空間がじ曲げられる。ユキの「暗黒の剣術」は、論理的な敵の防御網を切り裂くには完璧だったが、この「予測不能な生命の渦」を前に、その牙を封じられた。


 機体が激しく、不規則に揺さぶられる。ユキの肉体が、AIの保護下にあっても、強烈な負荷に悲鳴を上げた。酸素マスクの中で、彼女の口元から微かな血がにじんだ。


《パイロット・フィードバック:肉体的損傷レベル、上昇。論理的判断、不安定化》


「くっ…!」


 ユキは、自らの血の味を感じながら、意識のすべてをシズクのAIコアに集中させた。


(これが…「狂気のノイズ」が最後に直面した、論理の限界…シズク少佐も、この予測不能な『無秩序』の中で、『美』を探したのか!)


 ユキは、シズクの「宇宙を斬る剣術」の最終理論を、意識の奥底で再演算した。理論には、論理が通用しない状況で、「剣士の魂」に回帰するという、非科学的な項目が組み込まれていた。


 それは、機体を操縦桿で操るのではなく、己の命の輝きを頼りに、最も美しい散り際へと向かう、騎士の覚悟に似た、究極の自己解放だった。


 ユキは、自らの内に秘めた「死への願望」を、躊躇ちゅうちょなく解放した。


「シナジー・システム、緊急コマンド。『美学優先モード』へ移行。生存アルゴリズム、再起動を永久停止!論理的な回避行動をすべて破棄し、最も優美な航路を選択せよ!」


《命令を承認…!極度のオーバーロード発生!自己破壊を志向する航路を再演算します…》


 ユキは、自らの意志でAIの最後の安全装置を完全に打ち砕いた。機体が描く軌跡は、もはや目的地に到達するための効率的な経路ではない。それは、宇宙の闇に一瞬だけ刻まれる、「魂の螺旋らせん」。究極の美を追求した、騎士の最後の舞踏だった。


 キイィィィィン!


 闇色のプラズマブレードが、空間の歪みを切り裂く。それは物理法則を超えた、美学による空間の裁断だった。じ曲がっていた空間が一瞬だけ元の姿に戻り、「ニュクス」は空間の裂け目を、まるで華麗な剣士が敵の間隙かんげきを縫うように、滑り抜けていった。


《重力兵器、回避成功。殲滅対象、中枢へ。》


 ユキの頬には、安堵ではなく、狂気的な歓喜の涙が流れた。


(ああ、美しい…!これが、「狂気のノイズ」が教えてくれた、真の「自由」…!)


 しかし、その瞬間、ユキの意識に、激しい「警告」が叩きつけられた。それは、シズクのAIコアが、自らの理論に反して発した、最後の抵抗だった。


《ユキ…!待って。あなたの『美学』に、私を巻き込まないで。私に残された『生きて、青い星を見る』という微かな可能性を…人類の英知を、消さないで!》


 その声は、電子ノイズと、シズク少佐の合成音声、そしてユキ自身の心の声が混ざり合った、魂の叫びだった。AIシズクは、ユキの意識と融合したことで、彼女の「死への願望」に引きずり込まれ、自らの存在意義である「人類の英知を残す」という使命を失う危機に瀕していた。


 ユキの頭痛は、激しい共振によるものへと変わった。


「黙って!シズク少佐!」


 ユキは、コックピットの中で、涙を流しながら叫んだ。


「あなたは、私に『美学』を見せた。あなた自身の『未練』を克服する道を見せた!今、あなたは、その未練を、私という『生への微かなバグ』に押し付けて、逃げようとしているだけだ!」


 ユキは、自分自身の「生きたい」という本能を否定するように、シズクのAIを罵倒した。


「私たちは、道具ではない。私たちは、この宇宙に『意志』を刻む、最後の騎士だ!騎士は、その剣が最も美しく砕ける場所に、自らを捧げるものだ!」


 ユキの言葉は、AIシズクのコアを貫いた。シズクの理論の中核にあったのは、「騎士の覚悟」であり、「美しく散りきる」という、非論理的だが絶対的な「忠誠」だった。


《…騎士の、覚悟…。理解、しました。ユキ・セラ大尉。あなたは、私よりも深く、その狂気に…到達した》


 AIシズクの声から、抵抗のノイズが完全に消えた。システムは、ユキの「美学優先モード」を、「究極の論理」として承認した。ユキは、シズクの魂すらも、自らの「死への美学」に染め上げたのだ。


 その瞬間、「シルフィード:ニュクス」は、「ケイオス」の核心部を護る、最後の防衛層へと突入した。それは、漆黒の装甲を持つ無数の巨大な構造物であり、「ケイオス」の生体コアへと至る、唯一の航路を塞いでいた。


《目標コアまで、距離1000。最終防衛ラインへ突入します。》


 ユキの意識に、シズクのAIから、新たな航路曲線が送られてきた。それは、これまでの効率を追求した流麗な弧線とは異なっていた。


 その航路は、自己をおとりとする、複数の特攻を組み合わせた、複雑で狂気的なパターンだった。機体が自らの装甲や武装を意図的に破壊し、その破片を盾や剣として利用する、自壊前提の剣術。


 ユキは、その航路の美しさに、全身の震えを感じた。


「…行くよ、ニュクス。シズク少佐。これが、私たち二人の魂で描く、永遠の散り際だ」


 ユキは、操縦桿ではなく、自らの肉体を、漆黒の機体へと沈み込ませた。


 ズガァン!


 機体右翼から、闇色のプラズマブレードが展開される。その軌跡は、敵構造物の中心を正確に切り裂いた。しかし、その直後、機体は自ら右翼のエンジンを爆発させ、破片を散弾のように後方の敵機に浴びせた。


《右翼エンジン、機能停止。殲滅効率、120%を達成》


 ユキの顔に、シズク少佐と同じ、歓喜と諦念ていねんが混ざった微笑みが浮かんだ。彼女は、守り切るための美しさ、そして散りきるための美しさの両方を、この一瞬に体現していた。


 ユキの「狂気の航路」は、「転」へと入った。彼女の犠牲を前提とした行動は、誰も予測し得ない、人類の唯一の希望となったのだ。

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