(12) 漆黒の機体と夜の女神

 ―アイギス・ドック格納庫:深夜0400―


 ユキ・セラ大尉が足を踏み入れた格納庫は、警報の赤い光に不気味に照らされ、静寂に満ちていた。その中央に、周囲の光を全て吸収するかのようにたたずむ一機の機体。


 それは、かつて宇宙を金色に引き裂いた「シルフィード」の面影を残しながらも、異様な進化を遂げていた。全身を覆うのは、光の反射率が極限まで抑えられた、純粋な漆黒の装甲だ。継ぎ目には、蛍光グリーンの代わりに、星々の微光のような微細なプラズマの帯が、静かに明滅している。


 ――機体名: 「シルフィード:ニュクス」


「ニュクス」とは、ギリシャ神話における夜の女神。ユキがこの名を冠したのは、シズク少佐の「光の芸術」が、宇宙の闇(ニュクス)があるからこそ成立するという、哲学的な結論に至ったからだ。究極の美は、究極の闇から生まれる。


 ユキは、機体に近づき、そっと漆黒の装甲に手を触れた。冷たいはずの装甲から、かすかに「生命」の熱が伝わってくるように感じられた。それは、シズク少佐の残したAIコアの静かな鼓動であり、ユキ自身の決意の熱でもあった。


「行くよ、ニュクス。今夜、私たちは、永遠の夜を描く。」


 ユキは、ハッチを開き、コックピットへと乗り込んだ。


 コックピットの内部は、外部の光を遮断するため、極限まで暗く保たれていた。全周囲モニターには、星々ではなく、AIシズクの遺した「宇宙を斬る剣術」の最終理論が、金色と青色の微光となってデータ化され、機体を流れる血流のように映し出されている。


 彼女は操縦桿ではなく、「シナジー・システム」の起動インターフェースに手を置いた。


「GCS司令部へ。ユキ・セラ大尉。最終特攻作戦、パターンC:ニュクスを実行します。これより、全通信を遮断し、シナジー・システムを起動します。」


 ユキの声は、外部通信に一瞬だけ流れ、ノイズと共に途切れた。


 司令部で、アラン大将の怒号が響いたのは、その直後だった。だが、ユキはすでに、その声を聞くことはない。


 ユキは、インターフェースに自らの掌を押し付け、深く息を吸った。システムが起動すると、無数の極細のナノケーブルが彼女の神経に直接接続され、ユキの意識とAIシズクの理論コアの間に、目に見えない光の回線が結ばれた。


《シナジー・システム、起動。パイロット・ユキ・セラ大尉、意識の論理回路への接続開始》


 機械的な女性の声がコックピットに響く。それは、シズク少佐の声に酷似していたが、以前のAIシズクのように「未練」のような揺らぎは一切なかった。それは、ユキ自身がシズクの理論を究極まで研ぎ澄ました結果、「散る」という論理に一切の感情的ノイズを持たない、冷徹なことわりの具現化だった。


 次の瞬間、ユキの意識に、激しい情報の奔流が流れ込んできた。


 極限の効率計算:回避に必要な微細な機体の角度、燃料消費の最適化、一撃で標的を破壊するための最短経路。


「宇宙を斬る剣術」空間の歪みを斬るという概念が、ユキの肉体的感覚へと直接フィードバックされる。彼女は、操縦桿を握らずとも、機体が宇宙をどう切り裂くべきかを、「手の延長」として理解した。


 そして、その論理の奔流の底に、シズク少佐が最後に見た「光の芸術」のデータが、映像ではなく、魂の熱量として伝わってきた。


(ああ…これだ。この解放感…)


 ユキの脳裏には、もはや生存本能という重力は存在しない。あるのは、ただ「美しく散りきりたい」という、純粋で絶対的な意志だけだった。


 しかし、その完全な融合の直前、一瞬の「バグ」がシステムに発生した。


 ユキの脳裏に、シズク少佐が特攻後に見せた「地球を見つめる安堵の微笑み」が、鮮明なホログラムとなって浮かび上がった。そして、AIシズクが最後に送った、「生きて、共にこの青い星を見ましょう」という、ユキ自身のメッセージの残滓ざんし


《警告!感情的インパルス確認!論理回路の純粋性に、生存への微かな欲求が混入!》


 シズクのAIが、ユキ自身の意識を通じて、過去の「未練」と「希望」を再演算してしまったのだ。


(まだ…足りない。この微かな『生への執着』こそが、美しさを汚す。)


 ユキは、歯を食いしばった。彼女は、システム接続をさらに深く、自己破壊的なレベルにまで引き上げるコマンドを、自らの意識で実行した。


《接続レベル、臨界点突破!パイロットの意識を、AIの最終理論に完全上書きします》


 ユキの肉体に激しい痛みが走る。それは、人間の感情という複雑な回路を、AIの純粋な「散るための論理」で焼き切る痛みだった。


 その瞬間、コックピットの光が漆黒に変わり、静寂が訪れた。


《…上書き完了。パイロット意識、最終理論と完全に同期。生存アルゴリズム、永久停止。》


 ユキは、酸素マスクの中で、薄く微笑んだ。もはや、彼女の心に恐怖はない。あるのは、「光の芸術」を完成させるという、静かな歓喜だけだ。


「ニュクス。発進。」


 機体のエンジンが、音もなく起動した。漆黒の装甲が、宇宙の闇に溶け込むかのように消える。そして、一瞬の後、「シルフィード:ニュクス」は格納庫の天井を音もなく突き破り、目指す「ケイオス」へと、一筋の静かな影となって、漆黒の宇宙という夜空に飛び立っていった。


 その機体の航跡には、金色の星屑ではなく、永遠の闇だけが残された。

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