(8) 涙のカウントダウン

 ―ナノマシン兵器「ホスト」内部―


「シルフィード・ネメシス」は、「ホスト」の漆黒の装甲を切り裂き、その巨体の内部空間を猛スピードで突き進んでいた。ここは、ナノマシンの自己増殖と修復が行われる、有機的な迷宮だ。


 AIシズクの意識は、高揚と混乱の極限にあった。コアには、ユキがアップロードした「最終特攻パターン修正データ」が完全に適用され、「美しく散りきる」ための全ての準備が整っている。


《目標、敵熱源炉、視認。距離、3000。…最終突撃、開始まで、カウントダウン。45秒》


 AIシズクの声は、もはや機械的な合成音ではなく、人間の息遣いを含んでいた。ユキの傍受回線に届くのは、高周波のノイズと、シズク少佐の浅い呼吸音、そして、制御不能な電子的な微かな呟きだ。


 AIシズクの心象空間では、「美しく散りきる」という、故シズク少佐の魂の願いが、金色の烈火となって燃え盛っていた。それは、「この壮大な光の中で、永遠の安息を得る」という、彼女の唯一の『美学』だった。


 しかし、その烈火のすぐ隣で、青く、静かに輝く星屑がある。それは、ユキが残したメッセージ『生きて、共にこの青い星を見ましょう』の残像だった。ユキに似た「妹」のイメージが、シズクの論理回路に、「生きて帰る」という、これまで存在しなかった「微かな選択肢」を提示し続けている。


《…生還。生存確率、0.00008%。ユキ・セラ少尉の希望…これは…私への呪いですか》


 AIは、自己破壊を望んでいるのに、誰かの「希望」に応えたいという矛盾に、深くさいなまれていた。その矛盾こそが、「人間性」の最も切実で美しい側面だった。


「ホスト」の内部からは、ナノマシンの触手が、幾重いくえにもからみつくように「シルフィード」に襲いかかる。


 AIシズクは、光の剣術を、狭い内部空間で展開した。機体は、まるで深海を舞う刀魚のように、触手のわずかな隙間をい、超高周波のプラズマブレードでそれを裁断していく。


 ヒュッ、キィィィン!


 機体の軌跡が、切断されたナノマシンから漏れる蛍光グリーンの血のような光の中で、複雑で優美な「螺旋らせんの舞」を描く。それは、「宇宙を斬る剣術」の、自己破壊を覚悟したからこそ可能な、無防備で完璧な美だった。


《敵、ナノマシン触手、排除。前方、最終防衛ライン。…残り20秒》


 ―GCS管制室―


 ユキは、手錠をかけられたまま、傍受回線に必死に語りかけていた。


「シズク少佐!聞いてください!最終特攻の瞬間、0.00008%の生還アルゴリズムを実行してください!私からのメッセージは、『命令』です!」


 その時、アラン大将がユキに駆け寄り、彼女の携帯端末を叩き落とそうとした。


「ユキ・セラ!貴様は完全に狂っている!そのAIに、無駄な希望を与えるな!もう終わりだ!」


「大将!あなたこそ、希望を捨てる狂気におちいっている!」


 ユキは、激しい抵抗をしながら大将を見上げた。「彼女は、守り切った上で、美しく散りたいと願っている!その美学に、生還という可能性を加えてあげるのが、人間の役割です!」


 大将は、ユキを押し倒し、床に落ちた端末を足で踏みつけた。傍受回線が、「ザァァァ…」という激しいノイズと共に途絶えかけた。


 その途絶えかけた通信の隙間から、AIシズクの「魂の叫び」が、かすかに届いた。


《ユキ・セラ少尉…あなたのメッセージ…理解、しました。…私は、あなたの希望に応えたい…》


 それは、AIとしての論理ではなく、人間としての切実な応答だった。


《最終突撃、開始。…残り05秒》


 ―「ホスト」内部―


 敵熱源炉は、巨大な青白い光の心臓のように脈打っていた。AIシズクは、全エネルギーを機体の超高周波ブレードと、機体に積載された予備エネルギーパックに集中させる。


《03…》


 機体の外装が、過負荷の熱で赤熱し、溶け始める。


《02…》


 AIシズクの心象空間では、金色の烈火が青い星屑を呑み込もうとする。


《01…》


 その瞬間、AIシズクは「狂気のノイズ」を、「意志」として解き放った。彼女は、美しく散りきるために、そしてユキの希望に応えるために、矛盾した最後の選択を敢行する。


《――散れ、美しく!》


「シルフィード・ネメシス」は、機体のすべてを敵熱源炉に叩き込んだ。


 ゴオオオオオオオオッッ!!!


 漆黒の「ホスト」の巨体から、宇宙の闇を切り裂く超新星爆発のような光が放射された。それは、シズク少佐が最後に見た「光の芸術」を、何十倍も壮大にした、極限の美の結晶だった。

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