アルタイルの終生 〜後悔の人生 今世は優しくやり直す〜

葛西 

序章 第二の人生

プロローグ 今度こそ人生をやり直す

夏。夕焼けに染まった空は、茜色に燃えていた。

窓から差し込む光が散らかった部屋を赤く照らす。俺は布団の上に寝そべったまま、スマホをいじっていた。


机の上には開かれない参考書。

床には脱ぎっぱなしの制服。

空になったペットボトルやコンビニ弁当の容器が山積みになり、俺の部屋は足の踏み場すらない。


「……またこれかよ」


スマホの画面には、勉強系YouTuberの動画が流れていた。

「今日からでも遅くない!受験に勝つ勉強法!」


明るく叫ぶ声は、虚しく俺の耳を通り抜けるだけだった。


黒い画面に映るのは、無気力な自分。

生きる希望を失った凍りついた瞳。胸の奥は、異様に冷えている。


楽しく生きたい。

ただそれだけのはずなのに――楽しい瞬間ほど、胸が痛む。


笑った直後、必ず押し寄せる。

「俺、このままでいいのか?」という不安が。


学校に行かないといけないのか。

勉強をしなければならないのか。

下を向かず、前を見て、壁を越えていかなきゃいけないのか。


頭ではわかっている。

でも体が言うことを聞いてくれない。


「……楽しく生きたいだけなんだ」


その呟きは、空気に吸い込まれるように消えていった。



ーー


7月7日。曇り空の朝。

カレンダーに赤い丸はない。だが、今思えば――きっと、この日が俺の“運命の日”だった。


朝から、嫌な思考が頭を離れない。


「……なんか、すごい人になりたいな」


ふと脳裏に浮かんだ言葉。

芸能人、歌手、アイドル、俳優、声優――なんでもいい。

誰かに憧れられる存在になりたい。


口角が微かに上がる。

ああ、俺にも夢があるんだ、と気づく。


でも、すぐに冷たい現実が押し寄せる。


「……なれるわけない」


希望は、たちまち失望に変わる。

心は闇に沈み、絡み合った糸のような思考が俺を締め付ける。


(俺はいつ、この不登校生活から抜け出せるんだろう)

(高校に行っても、また繰り返すんじゃないか)


そんな出口のない迷路に閉じ込められたような感覚――そして、ふと浮かぶ言葉。


「……もう死にたい」


本気で死にたいわけじゃない。

ただ、それほどまでに――辛かった。



ーー


気づけば、俺は外を歩いていた。

目的は一つ――新刊のラノベを買うこと。


学校には行かないくせに、こういう時だけ体が動いた。



街の空気は湿っていて、風に混じる草の匂いと、夏の熱気が絡み合っていた。

通り過ぎる人々の足音、遠くで鳴る車のエンジン音。

信号待ちの間、俺はポケットの中で小さな拳を握り、深呼吸をする。


歩くたびに靴底がアスファルトを踏む感触が足に伝わる。


まわりの目線がとても怖かった。

なんで中学生が昼間ここにいるんだ?という目線が。

「……外に出るだけでも、精神がすり減るな」


自販機で冷たい水を買い、手のひらに伝わる感触が現実を呼び戻す。


通りの看板の色や、遠くの猫の鳴き声、踏切の警告音まで、すべてが妙に鮮明だ。

TSUTAYAまで道は遠いな。



そして数分歩いていた時のことだ。


赤信号の交差点で立ち止まっていると、小さな男の子がふらりと前へ出た。

母親はいない。信号無視だ。

「……あっ、危ないよ」


声は掠れ、届かない。

その頭上、工事中の足場が軋む音がした。

鉄のきしみが空気を裂く。何かが外れ、重い影が落ちてくる。


心臓が凍るように止まり、時間はスローモーションのように流れる。


考えるより先に体が動いた。手を伸ばし、男の子を後ろに引く。

その瞬間、風が指をかすめ、鉄と埃の匂いが鼻を打つ。


「ありがとう……?!」小さな声が、胸に深く響く。

その声は、心の中の冷たい部分が少し溶けた。


“ガシャァン——!”


鉄骨が地面を叩く音が鳴り響き、世界は真っ白に染まった。


(ああ……俺、死んだんだな)




不思議と後悔はなかった。

無価値だと思っていた人生。

最後に誰かを助けることができた――それだけで胸が少し温かくなる。





俺もやればできるじゃないか。ヒーロー、まさしく英雄だ。

いいことをしたな。



けれど死んだあと、時間がどれだけ長く感じるかなんて想像もつかなかった。


これまでのことを振り返られるくらい、猶予長いな。



走馬灯ってやつか、でもそれなら安楽死の方が楽かもしれないそんなことも思った。


でも、今の俺は不思議と痛くない。

だからこれまでの事を振り返ってみることにした。


――そうだ、俺にはまだ残してきたものがある。


例えば、家族。


お母さんの『冷めないうちに食べてね』って声、あれが最後だったかも、その優しさを、俺は最近ちゃんと感じていなかった。


お父さんとは、この一か月、ほとんど口をきいていない。「興味ないんだろうな」なんて、思わず心の中で呟いてしまった。


それにレント……


でも、こうして思い返すだけで、胸がぎゅっと締め付けられる。


――もう一度、家族と一緒に旅行にでも行きたかったな。


なら学校に行くべきだったのかもしれない。

そうすれば、家族とも仲良かったんだ。

それに今日のような後悔も、ここまで重くはならなかったかもしれない。


いや、もしもっと仲良かったら逆に後悔は重かったのか……


ふと思い出す。


先生が家に来て、優しく聞いた。

「なんで学校に来れないの?」


その時、答えなんて出せなかった。


言葉にできない気持ち――

自分でも理解できない気持ち――

どちらにしても、

俺はただ沈黙で元気がなくなったとでもその場で答えた。


今でも思う、俺は学校に行かなくなった理由はないのかもと。


怠惰だったのかもしれない。

ただ本当に怠惰だったのか?


答えは出ないまま。

でもこれだけは言える。

辛かったんだ。


ただ、こんな嫌な事だけを振り返ってるんじゃない。

少しだけ心が躍ることがあった。


――俺が死んだ事を知ったら、友達は驚いてくれるかもと。

あぁ、泣いてくれるかもしれない。

そんな小さな希望を胸に、俺は深呼吸する。



その瞬間だった。


『本当に死ぬのは違うだろ』


頭の奥で響く、誰かの声。

ズキン、と頭痛が走り、視界が揺れる。

人格が変わってしまいそうな奇妙な感覚。


気づけば、俺は“誰かの記憶”を覗き込んでいた。



――見たことのない風景が流れ込んできた。

剣を振るう音。

壮大な水の魔法。

刀を抜く侍。

影を駆ける忍。

まるで映画を逆再生するみたいに、世界が次々と切り替わっていく。


数多の世界を渡り歩いた“男”の記憶。


(……誰だ、お前)

(俺か? それとも他人か?)

(俺はお前になろうとした。でも無理そうだ。お前、意外と精神が強いな)


頭の中に直接流れ込む、別の誰かの意識。

訳のわからない会話。けれど、妙に安心感を覚えた。


「ごちゃごちゃ言うな……出ていけよ」

(ごめんさい。あっ……ごめん。怒らせるつもりはなかった。ただな――お前の魂は“第七の星”へ行く。やり直せるんだ)


――やり直せる?


言葉の意味を理解する前に、再び頭痛が走る。

耳鳴り。世界がノイズに飲まれていく。


やべぇ、頭が痛い。



7月7日――俺は死んだ。

それでも、終わりじゃなかったんだ。


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