第4話

 朝の光が差し込む執務室。

 アレクシスはいつも通り机に向かい、山のような書簡に目を通していた。

 筆先の音だけが、冷たい空気の中に響く。


 リアは、昨日の夜からずっとあの言葉を思い出していた。

 ――「お前だけが、私を人として見る」


 あの時、王の声は震えていた。

 それがなぜか、心から離れなかった。



 「陛下、少しお休みになりませんか?」

 「まだ終わらん。今日は南の領主からの書簡が届く」


 リアは躊躇いながらも、一歩踏み出した。

 「でも……顔色が悪いです」


 アレクシスが顔を上げる。

 その金の瞳が、リアを射抜く。

 叱られると思った。けれど、王は小さく息を吐いて笑った。


 「お前は、よく見ているな」


 その笑みは、初めて見る柔らかさだった。



 リアは少し迷いながらも、机の上のカップに手を伸ばした。

 「温かい茶を淹れ直します」

 「そんなことまで、お前がする必要は――」


 言いかけた王の言葉を遮るように、

 リアは静かに湯を注いだ。


 立ち上る蒸気。

 紅茶の香りが、書類とインクの匂いに混ざって広がる。


 「……うまいな」

 アレクシスが驚いたように目を細める。


 「はい。市場で、いつもこの香りを嗅ぐのが好きでした」

 「市場?」

 「買えなかったから……せめて匂いだけでも、と思って」


 そう言って笑ったリアの顔は、光に照らされていた。

 その笑顔は、無垢で、どこか痛いほどに優しかった。



 アレクシスは、その瞬間ふと気づいた。

 ――この城の中で、笑っている者がどれほど少ないかを。


 誰もが彼に頭を下げ、敬礼をする。

 だが、笑いかけてくる者はいない。


 それなのに、目の前の少年は、

 “ただ一人の人間”として微笑んでくれている。


 「……不思議だ」

 「え?」

 「お前の笑顔を見ていると、戦も、政治も、どうでもよくなりそうだ」


 リアの頬が赤く染まった。

 「そ、そんなこと……」

 「本当だ。……困ったな」


 アレクシスは小さく笑い、手を伸ばした。

 リアの頬に、指先がかすかに触れる。


 「お前は……どうしてそんなに優しい目をする?」


 リアは目を伏せ、答えなかった。

 ただ、胸の奥に静かな痛みが広がっていく。


 ――この人が笑うなら、どんな罰を受けてもいい。


 自分の心が、少しずつ危うい場所へ傾いていくのを感じながら。

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