第15話:緊急プロトコル

 フェン族の隠れ里を抜け、俺はただひたすらに森を駆けていた。

 背後からは、複数のハッカーたちの足音と、下卑た嘲笑が聞こえてくる。

 胸元のポーチからは、小さくなったキナの「父様!」と叫ぶ声が、俺の胸を抉るように響いていた。


「……ッ!」


 AGI+10の恩恵は確かに凄まじい。並のプレイヤーなら、とっくに振り切れているだろう。

 だが、追手はハッカー。連中もまた、何らかの不正なツールか、あるいは高レベルの装備で、異常な速度を維持していた。距離が、じりじりと詰められていく。


「逃がしてやるかよ、お宝ちゃんが!」


 後方から、一人のハッカーが腕を伸ばす。その腕から、黒い鎖のようなものが射出された。

 俺は即座に身を翻してそれを回避するが、その一瞬の隙が命取りだった。

 別のハッカーが放った、赤いエネルギー弾が、俺の左肩を撃ち抜く。


「ぐっ……ぁっ!」


 肉が焼ける激痛と共に、HPバーが一気に半分近くまで削り取られた。

 体勢が崩れ、足がもつれる。その隙に、数人のハッカーが一気に距離を詰め、俺を取り囲んだ。


「ハッ、終わりだな、プレイヤー」

「おとなしく、そのちっこいNPCを渡せば、痛い目は見せないでやるぜ?」


 ハッカーたちが、じりじりと包囲網を狭めてくる。

 俺はイリディ・スケイルを握りしめ、荒い息をつきながら、憎悪に満ちた目で奴らを睨みつけた。

 ポーチの中のキナが、恐怖に息を呑むのが分かった。

 だが、もう止められない。止められるはずがなかった。


 テツ爺が、死んだ。

 ギンセツも、もう助からないかもしれない。

 この穏やかだった里が、目の前で蹂躙された。

 そして今、託されたこの小さな希望すら、奪われようとしている。


 ――そんな事はさせない

 ――俺が絶対に、守り抜いて見せる


 渾身の力で、何とか追っ手の攻撃を躱していく。

 森の中は木々が密集し、思うように速度が出せない。このままでは、いずれ追いつかれて消耗戦になる。それは、最悪の展開だ。

 俺は周囲の地形を冷静に観察する。森の先、木々の切れ間から、月明かりに照らされた開けた場所が見えた。――草原だ。


 障害物のない、開けた場所。

 普通なら、身を隠す場所のないそこは、逃げる側にとって最悪の地形だ。

 だが、俺にとっては違う。

 AGIを極限まで高め、回避とカウンターを主体とする俺にとって、障害物のない平原こそが、最も自由に舞える最高の舞台だった。


 俺は最後の力を振り絞り、森を抜けると、月明かりが照らす草原へと飛び出した。

 追ってきたハッカーたちも、俺に続いて草原へと躍り出る。


「ハッ、終わりだな!もう隠れる場所はねえぞ!」

 ハッカーの一人が、勝利を確信したように言う。

 俺は、そんな彼らに背を向けたまま、数十メートル走ったところで、ぴたり、と足を止めた。


 そして、ゆっくりと、振り返る。


「……ああ、そうだな。もう、隠れる場所はない」


 俺は静かにイリディ・スケイルを抜いた。

 漆黒の刀身が、月光を浴びて七色に揺らめく。


「逃げるのは、もうやめだ。ここで、お前らを殺す 」


 俺の言葉に、ハッカーたちは一瞬きょとんとした後、腹を抱えて笑い出した。

「は?何言ってんだこいつ?」

「たった一人で、俺たち三人を相手にするってか?イカれてやがる!」

「さっさとその女を渡せば楽に死ねるぜ?」


「……寝言は、寝て言えよ」


 俺は、テツ爺の死に様を思い出す。ギンセツの覚悟を思い出す。

 怒りで、腹の底が煮えくり返る。だが、頭は氷のように冷静だった。

 この三人を、ここで、確実に仕留める。


「―――行くぞ」


 俺は地を蹴り、真正面からハッカーの一人へと突撃した。

 三人は、俺のあまりにも無謀な突撃を嘲笑い、三方から同時に斬りかかってくる。

 挟撃。勝ち誇ったような奴らの顔が、やけにゆっくりと見えた。


 俺は、正面のハッカーの斬撃を、身をかがめて回避する。

【瞬身の指輪】が光る。

 返す刃で、カウンターを叩き込む。


 CRITICAL!! -134


 だが、これで終わりじゃない。

 俺は斬りつけた勢いを殺さず、そのまま回転するように、背後から迫っていた二番目のハッカーの懐へと潜り込む。


「なっ!?」

 驚愕の声を上げるハッカーの斬撃を、さらに最小限の動きで回避。

 イリディ・スケイルが虹色に輝きを増す。《連鎖臨界》、発動。


 CRITICAL!! -188


「チッ、こいつ、速い!」

 最後の一人が、俺の動きに対応しようとする。だが、もう遅い。

 連鎖するクリティカルで、俺の身体能力はさらに研ぎ澄まされていく。

 俺は二人目を斬り捨てた反動を利用して、三次元的な跳躍で最後の一人の頭上を取った。


「――終わりだ」


 月を背に、俺の剣が、虹色の閃光となって振り下ろされる。

 だが、そのとどめの一撃は、敵の身体を貫く寸前で、ぴたりと止まった。


「っく、ちょこまかと鬱陶しいんだよ!」


 斬られる寸前だったハッカーが、恐怖と怒りに歪んだ顔で叫ぶ。

「てめぇも、あの爺と同じようにしてやるよ!」


 ―――あの、爺。

 その言葉が、俺の頭の中で反響する。脳裏に、血を吐いて崩れ落ちるテツ爺の姿が、鮮明に蘇った。

 瞬間、氷のように冷静だった思考が、沸騰した。


「……なん、だと……?」


 それは、驚きではない。ただ、純粋な、殺意の始まりだった。

 俺の動きが一瞬止まった、その好機を見逃さず、ハッカーは最後のスキルを叫んだ。


「スキル発動!『シナプス・ロックダウン』!」


 黒い稲妻のようなものが、硬直した俺の体を直撃する。

 全身の神経が焼き切れるような激痛。身体が、言うことを聞かない。

 HPが一気に10%近くまで削り取られる。


 マソスは、感情の波に押し流され、身を任せる。

 身を任せてしまった―――


 ――許さない。

 ――絶対に、許してたまるか。


 怒りが、俺の思考を焼き尽くしていく。

 その時だった。


 カッ……!


 俺の左手の鞘に収まった【イリディ・スケイル】、そして頭の横に浮かぶ【真理のプリズム】。


 二つのアイテムが、まるで共鳴するかのように、一斉に光を放った。

 特に、プリズムの光は、今までとは比べ物にならないほど眩い。


「な、なんだ……!?」


 ハッカーたちが、その異常な光景にたじろぐ。

 俺の身体に、何かが流れ込んでくる。

 熱い。痛い。まるで、自分のアバターデータが、根幹から無理やり書き換えられていくような、凄まじい激痛。

 視界が、怒りの色に染まったかのように、真っ赤に点滅する。

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