第4話:運営たちの観測

『ハローワールド・オンライン』のサービスを管理する、巨大なコントロールルーム。

 壁一面に設置された無数のモニターには、ゲーム内の様々なデータログ、サーバーの負荷状況、そしてプレイヤーたちの動向がリアルタイムで映し出されている。

 その一角で、一人の若手ゲームプランナーである坂井が、信じられないものを見たかのように自分のモニターを凝視していた。


「……嘘だろ」


 彼の目に映っていたのは、特定のレアドロップアイテムに関するアラートログだった。

 坂井は席を立ち、ルームの奥で全体の進行を監督していたディレクターの金城の元へと早足で向かった。


「金城さん!緊急のフラグです!例のアイテムが、ドロップしていました」

「例の、だと?」


 百戦錬磨のディレクターである金城は、コーヒーカップを口に運びながら、落ち着いた様子で振り返った。

「ああ、トッププレイヤー連中がもうレベル30超えで最初のレイドを攻略中だからな。そろそろ出てもおかしくない」

「いえ、そっちのレイド報酬じゃありません!……アイテムID-0x303、【瞬身の指輪】です!」


 その言葉を聞いた瞬間、金城の表情から余裕が消えた。

「……なんだと?ソースは?」

「ささやきの森の、シャドウ・ウルフです。ドロップしたのは、サービス初日の夜です。プレイヤー名は『Masosu』。レベルは当時、4でした」


 坂井がタブレットに表示した詳細ログを見せると、金城は眉間の皺を深くした。


「馬鹿な……ドロップ条件を覚えているか?」

「もちろんです。『アクティブスキルを一切使用せずに、シャドウ・ウルフを討伐する』……ですよね」


 その条件を聞いて、周囲にいた他のスタッフもざわめき始める。

『ハローワールド・オンライン』は、プレイヤーが習得するスキルを意図的に強力に設定してある。スキルを駆使して強敵を倒す爽快感こそが、このゲームの売りの一つだった。


「我々のバランスチームのシミュレーションでは、シャドウ・ウルフを通常攻撃のみで討伐可能になるのは、どんなに早くてもレベル10前後のはずでした。レベル4での討伐など、もはや理論上ありえません。プレイヤースキルが、我々の想定を遥かに、それこそ天元突破するレベルで超えているとしか……」


 坂井が興奮気味に早口で語る。

 金城は黙ってログをスクロールし、ある項目を指差した。


「……これか。このプレイヤーは、一番最初に条件を達成したことで、指輪に特殊なエフェクトが付与されている。『銀閃』……面白いことを考える」

「はい。このエフェクトは最初の達成者だけのユニークなものです。既に一部のプレイヤーの間で、スキルを使わない謎の剣士『銀閃』として噂になり始めています」


 金城はしばらく黙考した後、不意に口元を綻ばせた。

「……面白い。実に面白いじゃないか」

「え?」

「この指輪は、私の遊び心で仕込んだものの一つだ。システムが用意した攻略ルートを外れ、自分の道をこじ開けようとする『異端児』への、ささやかな贈り物だよ。まさか、リリース初日に、それもレベル4のプレイヤーが受け取るなど、誰が想像した?」


 金城は楽しそうに笑うと、メインコンソールを操作し、一つのウィンドウを呼び出した。

「プレイヤー『Masosu』の現在の視点をモニターに回してくれ。彼の戦い方とやらを、この目で見てみたい」


 すぐに、壁のメインモニターに、薄暗い湿地帯の風景が映し出される。

 そこにいたのは、一体のリザードマンと対峙する、一人の剣士。

 次の瞬間、コントロールルームにいたスタッフ全員が息を呑んだ。


 槍の突きを、紙一重で回避する。

 右手の指輪が、モニター越しでも分かるほどに、眩い銀の光を放つ。

 回避からの反撃に、一切の無駄がない。流れるような剣閃が、リザードマンのHPゲージをごっそりと削り取る。

 それは、戦闘というより、死と隣合わせの華麗な舞踏だった。


「……なんだ、これは……」

「これが……レベル12の動きか……?」


 坂井たちが唖然とする中、金城だけは満足げに頷いていた。

「スキルというシステムの補助に頼らず、仮想世界での身体感覚と、敵の動きを見切る洞察力、そして己の反射神経だけを頼りに戦う……VRMMOの、一つの究極系だ」


 彼はカップに残っていたコーヒーを飲み干すと、静かに指示を出した。


「このプレイヤー『Masosu』を、最高レベルの『特別観測対象』に指定する。我々からの干渉は一切禁止だ。バグの修正なども、彼に影響が出るものは全て一度私を通せ」

「りょ、了解しました!」

「我々が作り上げた世界が、一人の異端なプレイヤーによってどう変わっていくのか。存分に楽しませてもらおうじゃないか」


 金城の目は、まるで面白いオモチャを見つけた子供のように、爛々と輝いていた。

 一人のプレイヤーの存在が、今、ゲームの創造主たちの視線を釘付けにしていた。


 その、あまりにも楽しげな上司の様子に、坂井はまだ戸惑いを隠せないでいた。

「しかし、よろしいのですか?彼一人のために、ここまでリソースを割くのは……彼のレベルはまだ12です。効率も、お世辞にも良いとは言えません」


 坂井の真っ当な意見に、金城は笑みを崩さないまま、全く別の話題を振った。

「坂井君、君は『迷いの湿地帯』のエリアボス、『オオヌマドクガマ』のことを知っているか?」

「え?は、はい。推奨レベル20の、現時点での最難関ボスの一体です。トップ層のパーティが、そろそろ挑み始める頃かと」


「そのボスにはな」と、金城は楽しそうに続けた。

「初回討伐時にのみ、特殊な条件下でドロップする、ユニークアイテムが設定されている」


 金城は手元のコンソールを操作し、坂井のタブレットにそのドロップ条件を転送した。

 そこに書かれていたのは、二つの信じられない条件だった。


【ユニークアイテム『真理のプリズム』ドロップ条件】


『対象の全部位を破壊して討伐すること』


『討伐までに、クリティカルヒットを特定の回数発生させること』


「……無茶です!」

 坂井は、即座に声を上げた。

「オオヌマドクガマの破壊可能部位は二か所、その部位はいずれも特定の状況下でしか弱点が現れず、部位破壊そのものが高難易度に設定されています!それに、βテストのログを見る限り、高レベルのプレイヤーほど通常攻撃の使用頻度は著しく低下します。スキルで一気にHPを削り切るのがセオリー、クリティカルを複数回も出す前に、ボスは死んでしまいます!」


「だろうな」

 金城は、坂井の完璧な分析に満足げに頷いた。

「このゲームのスキルは、クリティカルヒットが発生しないよう設計されている。」

「スキルは、安定した高ダメージを与える『計算できる武器』だ。誰が使っても、ある程度の戦果が保証される。その代わり、クリティカルという『計算できない上振れ』は、プレイヤースキルが直接介入する通常攻撃にのみ許された、ご褒美だよ」


 つまり、トッププレイヤーたちが効率を求めてスキルを連発すればするほど、彼らは自ら、ユニークアイテムへの道を閉ざしていることになる。

 初回討伐限定の報酬であるため、その情報が市場に出回ることもない。まさに、開発者だけが知る、意地の悪い罠だった。


「……ですが、それなら、このユニークは誰にも取れないのでは……」

「いいや」


 金城は、メインモニターに映る、一体のリザードマンと舞うように戦うマソスの姿を、再び指差した。


「いるだろう、そこに一人」


 坂井は、はっと息を呑んだ。

 そうだ。彼だけは、違う。

 彼は通常攻撃で回避からのカウンターを決め、クリティカルを叩き出すことだけにその全てを賭けている。

 部位破壊も、彼の精密な攻撃スタイルならば、狙ってできないことではない。


「トッププレイヤーたちは、効率を求めるあまり、自らその宝への道を閉ざしている。……だが、彼だけは、その最も非効率な道を進んだ先に、我々が隠した真の宝へと至る可能性がある」


 金城は、確信に満ちた声で言った。

「私は信じているよ。彼なら、必ずやってくれる。我々が仕込んだ、この『矛盾した条件』を突破し、最高の物語を見せてくれる、とね」


 その予言は、まだ誰にも知られることのない、未来への布石。

 神々の盤上は、彼ら自身が望んだ、最高のイレギュラーによって、静かに、しかし確実に、その様相を変え始めていた。

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