ハローワールド・オンライン

鳴里

プロローグ

 西暦2048年。

 技術の粋を集めて作られた、世界初のフルダイブ型VRMMO『アーク・スフィア・マソスト』のサービス開始から、実に15年の月日が流れた。


 そして今日、その伝説の運営チームが満を持して送り出す完全新作VRMMO――『ハローワールド・オンライン』が、その産声を上げる。


 俺もまた、この日を指折り数えて待ちわびたゲーマーの一人だ。

 部屋を真っ暗にし、最新鋭のVRヘッドギア『セレブラム・ネスト』を装着する。冷たいジェルが後頭部に密着し、意識が仮想世界へと接続されていく感覚がたまらない。


 ディスプレイに表示されるのは、残り時間を告げる無機質なデジタル数字。


 00:00:03


 心臓がうるさい。ネットの掲示板は、同じようにログインを待つ奴らの書き込みで、とんでもない速さで流れていく祭り状態だ。


 00:00:02


 βテストの評価は神ゲー。自由度の高さ、美麗なグラフィック、未知の体験。俺たちの世代の『アーク・スフィア』になるんだ。


 00:00:01


 ――来い!


 00:00:00


 よし来た!

「サーバー・コネクト、ハローワールド!」


 視界が真っ白な光に塗りつぶされ、全身が素粒子レベルにまで分解されて再構築されていくような、フルダイブ特有の浮遊感に包まれる。


 視界が晴れると、そこは純白の空間だった。ステンドグラスがはめ込まれた高い天井、床には緻密な魔法陣が淡く輝いている。アバタークリエイトを行う『神々の間』だ。


『ようこそ、ハローワールド・オンラインへ』


 頭の中に、どこか無機質な女性の声が響く。アバターの素体を選び、顔のパーツを調整していく。βテストの時と同じだな。俺は手慣れた手つきで、理想の姿――銀髪に蒼い瞳、少し皮肉っぽい笑みを浮かべたクールな美形――を作り上げた。名前はもちろん、長年使っているゲーマーネーム、『Masosu』だ。


『キャラクターの作成を確認しました。次に、初期ボーナスポイントをステータスに割り振ってください』


 目の前に半透明のウィンドウが開く。

 STR(筋力)、VIT(体力)、AGI(敏捷)、INT(知力)、DEX(器用)、CHA(魅力)。


「はいはい、いつものやつね…」


 与えられたポイントは50。俺は腕を組んで、少しだけ考える。

 まあ、考えるまでもないか。最近のMMOで、初期ステータスなんて誤差みたいなもんだ。レベルが上がればガンガン成長するし、クエスト報酬で「ステータス振り直しチケット」みたいなアイテムが貰えるのがお約束。


 ここで真剣に悩むだけ時間の無駄だ。それよりも、一秒でも早くゲームを始めたい。


「さっさと振って始めちまおう」


 問題は、どこに振るか。

 一つ一つを軽く確認するように画面を流し見すると、一つだけ輝いているようなステータスを見つけた。


「CHA(魅力)…」


 なんだこのステータス。NPCからの好感度が上がりやすくなるとか、そんなところか? 正直、一番どうでもいいな。戦闘にも生産にも、直接は関係なさそうだ。

 よし、決めた。悩むのが面倒だし、全部ここでいいや。


 俺はまるでゴミ箱に捨てるかのように、全ボーナスポイントをCHAの項目に放り込んだ。ピコン、と軽い電子音が鳴り、俺のCHAだけが天高く突き抜ける。

 どうせすぐに振り直せるんだ。今のこの歪なステータスも、サービス開始直後の記念スクリーンショットにでもなれば十分だろう。


『設定は以上です。それでは、始まりの地へ。あなたの冒険に祝福があらんことを』


 光に包まれ、俺の意識は最初のフィールド『チュートリアルの森』へと転送された。

 ふわりと足の裏に土の感触が戻る。目の前には「←はじまりの街」と書かれた、親切すぎる木の看板。そして、ぴょこぴょこと跳ねるウサギのような、可愛らしい案内役のNPCがいた。


『はじめまして、Masosuさん! 私の名前はナビィ! まずは基本操作を覚えましょう!』


「ああ、よろしく」


 俺は生返事をしながら、ナビィの指示に従う。

 視点移動、ダッシュ、ジャンプ。うん、操作性は快適だ。これならストレスなく動けそうだな。


『次は、戦闘の練習です! あそこにいる、森のスライムを倒してみてください!』


 ナビィが指さす先には、ぷるぷると震える青いスライムが一匹。俺は腰に差さっていた初期装備の「初心者の剣」を抜き、言われた通りに斬りかかった。数回斬りつけると、スライムは光の粒となって消滅する。まあ、こんなもんだよな。


「…よし、終わったぞ」


『すごいです、Masosuさん! ステータスポイントを1も降ってないのに、このスピードで倒せるなんて!これで基本的な戦闘はバッチリですね! それじゃあ、この道に沿って街へ向かいましょう!』


 ん?っちょっとまて、ステータスポイントを1も降ってない!?

 その言葉を聞いた俺は、慌ててステータスを確認する。


 STR(筋力)、VIT(体力)、AGI(敏捷)、INT(知力)、DEX(器用)―――


「な、ない!CHA(魅力)がない!!!」


 ナビィがぴょんぴょんと、光の粒子が舞う正規ルートを進んでいく。

 だが、俺は今それどころではなかった。初期ステータスポイントを全ぶっぱしたステータス、CHA(魅力)がないのだ。

 当然、ステータスが無ければステータスポイントは取り出せない。


「んなバカな!」


 俺は目の前のステータスウィンドウを何度も開いたり閉じたりした。だが、結果は同じ。STRからDEXまでの項目は並んでいるのに、そこにあるはずのCHAだけが、まるで最初から存在しなかったかのように消え去っていた。


 嘘だろ…? 俺が振った50ポイントはどこに消えたんだ?


「おい、ナビィ!」


 俺は少し先でぴょんぴょん跳ねながら俺を待っていた案内役に、声を荒げた。


『はい、なんですかなんですかー?』


 ナビィはくるりと振り返り、大きな瞳で俺を見つめてくる。その純粋無垢な目に、俺は少しだけ冷静さを取り戻し、言葉を選びながら尋ねた。


「なあ、ナビィ。俺のステータス、何かおかしくないか?」


『えー? Masosuさんのステータスは、とっても正常ですよ! 初期設定のまま、とってもクリーンです! さあ、元気が出たところで街へ向かいましょう!』


「正常なわけないだろ! ポイントを振ったんだ、CHAに! なのに、そのCHAがないんだよ!」


『ちゃ? うーん、ナビィの辞書にはない言葉です! それより、街にはおいしいパン屋さんがありますよ! 焼きたてのパンの香りを想像してみてください!』


 ナビィはふんわりと宙で一回転し、幸せそうな表情を浮かべる。

 ダメだ、話が通じない…。こいつはただのチュートリアル用NPC、想定外の事態には対応できないプログラムの塊だ。


 …いや、待てよ。

 本当にそうか? ただのバグなら、俺以外にも騒いでいる奴がいるはずだ。でも、今のところそんな様子はない。俺だけ? なぜ?


 まさか…。

 これはバグじゃない。何かの…隠しイベントの始まりなんじゃないか?

 そうだ、きっとそうだ。このゲームの超高性能AIなら、プレイヤーの行動に応じて特殊なシナリオが始まるなんてこともあり得る。俺は、何かとんでもないフラグを立ててしまったんだ。


 そう思うと、少しだけ希望が見えてきた。

 そうだ、ヒントを聞き出さないと。こういう時、特定のキーワードに反応するNPCは多い。


「ナビィ、教えてくれ。『隠しステータス』について何か知らないか?」


『わあ! Masosuさんは難しい言葉をたくさん知っているんですね! さすがです!』


「じゃあ、『特別な試練』は?」


『試練を乗り越えれば、きっと素敵な未来が待ってますよ! ファイトです!』


「『選ばれし者』とか…」


『はい! Masosuさんは、この世界に降り立った、選ばれし冒険者さんです!』


「ああ、もういい…」


 ダメだ。全部、ポジティブな定型文で返されるだけ。核心に触れる答えが一切ない。まるで、分厚い壁に向かって話しているみたいだ。


 ナビィは俺の絶望なんてお構いなしに、にこにこと笑っている。


『さあ、お話は済みましたか? それでは、気を取り直して、はじまりの街へ、しゅっぱーつ!』


 光の粒子を撒き散らしながら、ナビィが正規ルートを飛んでいく。

 俺は、その無邪気な後ろ姿を、ただ呆然と見送ることしかできなかった。


 こいつから情報を引き出すのは不可能だ。

 もし、これが本当に隠しクエストだとしたら、ヒントはこんな分かりやすい場所にはない。

 俺自身の力で、この森のどこかにあるはずの「本当のルート」を探し出すしかないんだ。


「ん?なんだあそこ…」


 少し先の、崖下に違和感を感じる。

 ナビィは少し先で「こっちですよー!」と俺を呼んでいる。

 正規ルートはあっちだ。分かってる。でも…。


「…行けるんじゃないか、あそこ」


 ゲーマーとしての本能が、囁きかけてくる。

 隠された道だ。その先には、きっと何かがある。あれこそが、チュートリアルに隠れた本当のルートだ。だが、違った場合さらに深刻なバグを引き起こすかもしれない。

 でも、確かめずにはいられない。光る道を進むだけの、決められたレールの上を歩くだけのプレイなんて、俺はごめんだ。


「悪い、ナビィ。ちょっと寄り道していく」


 俺はナビィの声を背に、崖のほうへと走り出す。

 そして、違和感のあった岩肌に手をかけると、案の定、それはあっさりと動いて、背後にぽっかりと暗い洞窟の入り口を覗かせた。


「ハッ、やっぱりな」


 正規ルートより、こっちのほうが面白そうだ。

 俺は口の端を吊り上げると、松明も持たずに、その暗闇へと足を踏み入れた。


 次に目を開けた時、俺は――神々の筆跡と見紛うほどに美しい、始まりの街『テラ・オリジン』の広場に立っていた。


 頬を撫でる風、遠くに聞こえる噴水の音、ざわめく大勢のプレイヤーたちの声。五感すべてが、ここがもう一つの現実だと告げている。


「すげぇ……」

「チュートリアルショートカットできた!」


 周りでは、チュートリアルを終えて感動に打ち震えるプレイヤーたちが、思い思いにメニュー画面を開いたり、自分の手足をまじまじと眺めたりしている。俺もやることは同じだ。まずはステータスの確認と……


 その時だった。


 視界の右上、普通ならマップや時刻が表示されるエリアに、他の誰にも見えていないであろう、奇妙なポップアップが点滅した。システムメッセージとは明らかに違う、無骨なゴシック体の文字列。


『congratulation』


「……ん?」

 思わず声が漏れる。

 "Congratulations" じゃない。"congratulation"? ただのスペルミスか? いや、それよりなんだこれ。バグ?


 俺が訝しんでいると、その文字はすぅっと光の粒子になって消え、代わりに、脳内に直接響くようなシステムアナウンスが鳴り響いた。


《初回ログイン特典、シークレット・シークエンスを達成。ユニークスキル【絶対言語理解】を獲得しました》


「――はっ!?」


 今、なんて言った? ユニークスキル?

 サービス初日の、それも初回ログイン記念。宝くじの一等に当たるよりも低い確率でしか与えられないと言われる、文字通りの超激レアスキル。

 周りのプレイヤーが初期装備の『初心者の剣』だの、基本スキル『スラッシュ』だのを確認している中で、俺だけが、この世界の理から外れた特別な力を手に入れた。


「よっしゃああああああ!」


 思わずガッツポーズが出た。勝ち組だ。間違いなく、俺は選ばれた。

 震える指でメニューを開き、スキル欄をタップする。そこには、燦然と輝く一つのスキルがあった。


【絶対言語理解】

 説明:あらゆる言語を理解できる。


「……最強じゃねえか」


 笑いが止まらない。

 説明文は、驚くほどシンプルだった。だが、その一文が持つ意味は無限大だ。

 あらゆる言語、だぞ? 普通のプレイヤーが何ヶ月もかけて習得するエルフ語やドワーフ語はもちろん、あるいはモンスターしか話さないゴブリン語、果ては伝説のドラゴンが使う竜語まで理解できるとしたら?

 他の誰も解けない古代遺跡の謎を解き明かしたり、強力なモンスターをテイムしたり……できることの幅が違いすぎる。この冒険、もらったも同然だ。


「よし、早速試してみるか!」


 俺は意気揚々と、広場を見渡した。

『ハローワールド・オンライン』は様々な種族が共存する世界だ。ほら、あそこにいるのは……エルフの案内人NPCだな。長い耳に、透き通るような白い肌。美しい。


 彼女の周りには、何人かのプレイヤーが群がっているが、頭上のログは意味不明な文字列で表示されている。あれがエルフ語か。


「ちょうどいい」


 俺は自信満々にその輪に近づく。

 エルフのNPCは、鈴を転がすような声で何かを話している。もちろん、俺以外のプレイヤーには内容が理解できていないようで、首を傾げている者もいる。


 だが、俺には【絶対言語理解】がある。

 スキルは常時発動型のパッシブスキルらしい。意識せずとも、彼女の言葉が日本語に翻訳されて聞こえるはずだ。さあ、来い!


 ……。

 …………。


「…………あれ?」


 おかしい。

 聞こえてくるのは、やはり意味の分からない、音楽のような響きの言葉だけ。スキルが発動している気配がまるでない。視界の隅に翻訳ログが表示されるわけでも、脳内に直接意味が流れ込んでくるわけでもなかった。


「……?」


 まさか、NPCには効果がないとか?

 いや、そんなはずは。それじゃスキルの意味がない。

 俺は気を取り直し、別のターゲットを探す。広場の隅で屈強なドワーフのプレイヤーが、地響きのような声で何かを叫んでいる。よし、あの人はどうだ。


 ……ダメだ。何を言っているかさっぱり分からない。

 その後も、猫のような耳を持つ獣人族、小柄なホビット族、目についた異種族プレイヤーやNPCの会話に片っ端から聞き耳を立ててみたが、結果は同じだった。


 俺の【絶対言語理解】は、ただの一度も発動しなかった。


 嫌な汗が背中を伝う。

 なんだよ、これ。バグか? それとも、何か発動条件でもあるのか?

 しかし、スキルの説明文は「あらゆる言語を理解できる」だけ。それ以上の情報はない。任意でON/OFFするようなコマンドも見当たらない。


 そして何より最悪なのは、このユニークスキルは、俺の貴重なスキル枠の三つを永久に占有してしまっていることだ。このせいで、覚えられるスキルの総数が、他のプレイヤーより一つ少ない。


 最強の力が手に入ったはずじゃなかったのか?

 蓋を開けてみれば、効果が発動しないどころか、ただただ邪魔なだけのゴミスキルじゃないか。


 俺の最強冒見譚は、高らかなファンファーレと共に開幕するはずだった。

 だが現実は、どうやらスタートラインに立った瞬間、誰にも外すことのできない鉛の足枷をはめられてしまったらしい。


「……ふざけるなよ!」

「運営に報告してやる!クレームだ、クレーム!」


 始まりの街の喧騒の中、俺は一人運営へのメッセージを熱心に書き込む。


「このゲームは、バグだらけだ!なんとかしろ!!!」


 やけっぱちの文章を送りつけようとしたその時だった。視界の隅にとある文章が映り込む。


 #include <stdio.h>


 int main(void) {

 printf("Hello, World!\n");

 return 0;


「ん?なんだこれ?」


 普通のゲームではまず目にしないアルファベットの羅列。C言語と呼ばれるプログラミング言語だ。

 プログラミング「言語」

 Masosuは、嫌な予感がした。


「言語って、まさか...」


 次の瞬間、ユニークスキル【絶対言語理解】が輝き始める。


 // 基本的な機能を司る外部定義ファイルを読み込む

 基本機能を参照 <標準入出力.h>


 // プログラムの開始地点。正常終了時に整数0を返す

 整数型 主関数(引数: 無) {


 // ()内の文字列を画面に出力する命令

 表示("ハローワールド!\n");


 // プログラムが正常に終了したことを示す「0」を返す

 返還値: 0;


 }


 Masosuの嫌な予感が的中した瞬間だった。


「言語って、C言語かよ!!!」

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