第4話「闇に舞う翼!狡猾なるノスフェルの罠!」
「みんな、今後のことを話し合う前に、来て欲しい所があるのだ。」
ティアに導かれ、私たちがたどり着いたのは街の住宅街にある一軒家だった。そこは以前、一般の家族が暮らしていた売り家で、外壁の塗装は剥げ、庭先には雑草が混じった花壇が残されていた。雨上がりの湿気を含んだ空気に、土と草の匂いが混ざり合って鼻をくすぐる。だが不思議と温もりが漂い、どこか懐かしい空気をまとっていた。
玄関前には、一人の老人が立っていた。黒のタキシードに白手袋をはめ、銀髪をきちんと撫でつけている。掃除の箒を静かに置き、眼鏡の奥から静かな視線をこちらに向けた。その姿はこの平凡な一軒家にはあまりにも場違いで、まるで貴族の屋敷を守る執事のようだった。
「皆様、はじめまして。ティア様からお話は伺っております。私はこの家主、バイオスと申します。どうぞお見知りおきを。」
低く穏やかな声に、場が自然と引き締まる。その声音には不思議な説得力があり、聞くだけで背筋が伸びるようだった。 彼もまたファンターズ界の出身で、魔族の侵攻から逃れてきた一人。今はこの家を買い取り、私たちの拠点として提供してくれている。普段は私たちが学校にいる間に複数のアルバイトを掛け持ちし、ローンを返済しながら、余った時間で魔族の動向を調査しているという。
玄関をくぐると、床板はわずかに軋み、壁には前の住人が残した写真の跡が色濃く残っていた。リビングのソファも年季が入っていたが、掃除の行き届いた室内は塵一つなく、清潔感に満ちている。かすかに漂う紅茶の葉の香りが、ここをただの空き家ではなく“生活の場”に変えていた。
「どうぞ、お掛けください。」
バイオスが差し出したのは、香り高い紅茶と素朴なクッキー。ティーカップを持ち上げると、柑橘を思わせる香りが鼻を抜け、舌の上で柔らかく広がった。クッキーは口に含んだ瞬間ほろりと崩れ、バターの風味がじんわりと広がる。普通の一軒家のはずなのに、彼がそこにいるだけで空間は本拠地としての格を帯びていた。
リビングのテーブルを囲み、私たちは紅茶を味わいながら今後のことを話し合った。ひなたはクッキーを頬張って頬を膨らませ、みのりは真剣な眼差しで資料を広げ、ゆかなはスマホをスクロールしてニュースを確認している。その光が彼女の頬を青白く照らし、緊張した横顔を浮かび上がらせた。
「……また停電事件。ここ数日で何件目だろう。」
ゆかなが小さく眉をひそめる。画面には、市内各地で連続的に発生する大規模停電が報じられていた。SNSには《また闇に飲まれた》といった不気味なコメントが並び、住民の不安の声がネットの波のように押し寄せていた。
「偶然……じゃないよね。」
ひなたが曖昧に笑ったが、その表情は紅茶の湯気に隠れて揺れていた。
と、その時――ティアが耳をぴくりと動かし、小さな声で呟く。
「……嫌な匂いがするのだ。魔界の風の匂いが……街に染み込んでいるのだ。」
その言葉に、部屋の空気が変わった。さっきまで暖かかった紅茶の香りが急に遠のき、窓の外から吹き込む風が妙に冷たく感じられる。安らぎに満ちたひとときが、見えない闇に少しずつ侵食されていく――。
街外れの廃ビル。その奥深く、闇が濃く沈んでいた。砕けた窓から吹き込む風が鉄骨を鳴らし、ギィ……ギィ……と不気味に軋む。湿ったコンクリートの匂いが、荒れ果てた空間に重く滞っていた。
そこに立つ影。背には漆黒の翼、ひと振りするだけで埃が渦を巻き、垂れ下がったカーテンが音を立てて裂けた。まるで夜そのものが人の形を取ったかのような怪人だった。
「……滑稽だ。五人が揃う? 幻想にすぎぬ。希望を寄せ集めても、闇が触れればひと息で砕け散る。」
その足元にひざまずく従者――ワイズバット。彼は小さな体を震わせながら、陶酔した笑みを浮かべる。
「おお……ノスフェル様。お言葉のひとつひとつが、我らにとって福音……。どうか次なるお考えをお聞かせくださいませ。」
初めてその名が落とされた瞬間、廃墟の空気がさらに冷え込む。ノスフェルは牙の間から赤い舌を覗かせ、不気味に笑んだ。
「混乱こそ、我が糧。幻術で都市を祭壇に変え、奴らの絆を裂いてやる。疑いに沈めば、希望など容易く堕ちる。」
ワイズバットはうっとりとした声で繰り返す。
「さすがはノスフェル様……狡猾にして絶対なる翼……!」
翼が広がった瞬間、廃墟全体が主を讃えるかのように鳴動した。埃が舞い、破片が跳ね、まるでこの都市全体が彼の支配下にあるかのようだった。
その夜、街が闇に包まれた。電灯は一斉に落ち、黒い靄が道路を覆い始める。だがそれはただの煙ではない。靄は脈動し、壁の落書きが呪文のように浮かび上がり、そこから闇の獣が這い出してきた。
剥く剥く“ダークハウンド”、空から羽根刃を降らせる“ナイトクロウ”。
彼らは暴れるために現れたのではない。まるで儀式の供物として、闇の祭壇に捧げられた存在だった。
「数が……多すぎる!」
ひなたが剣を抜き、みのりは結界を展開。ゆかなは屋根へ駆け上がり、矢を放つ。
「――シャドウ・アロー!」
だが次の瞬間、都市そのものが揺らぎ始めた。地面が液体のように波打ち、上下が逆転する。街灯は天井から吊るされたランプのようにぶら下がり、仲間の声は遠く反響し、自分の足音さえ別人のもののように聞こえる。
「えっ……どっちが地面……!?」
幻術――それは都市全体を祭壇に見立てた“闇の儀式”だった。重力も時間も歪められ、現実の枠組みが音を立てて崩れていく。
闇の奥から響くノスフェルの声。
「さあ、迷え。疑え。お前たちが信じる“絆”など、この翼で引き裂いてくれよう……!」
屋上に追い詰められ、結界は軋み、剣は重く、矢は闇に溶けた。心臓の鼓動すら幻かと疑うほどに世界が揺らいでいく。私たちはもはや儀式の供物に過ぎないのか――
そう思った瞬間。
轟音と共に、蒼白の雷光が夜空を裂いた。稲妻は祭壇と化した都市を貫き、幻術の布を断ち切る。耳を突き破るような轟き、鉄の匂いを孕んだ焦げた空気。視界は白一色に塗り潰され、闇に従っていた魔物たちが次々と悲鳴を上げ、光に呑まれて吹き飛んでいった。
それはまるで天からの裁き。ノスフェルが張り巡らせた儀式は一瞬にして崩壊し、従えた魔物の群れはほとんど消し飛んでいた。
「忌まわしき光め……!」
闇の奥から、ノスフェルの怒声が轟いた。
「私の獲物を、私の祭壇を――灰に変えるとはッ!」
漆黒の翼が大きく広がり、廃墟の壁を砕くほどの暴風が巻き起こる。怒りに呼応するように、残された破片や鉄骨が宙に舞い、雷光の余韻をかき消すかのように暴れ狂った。
だがその激情も、やがて撤退の翼へと変わる。ノスフェルは燃え立つような視線をこちらに突き刺し、言葉を吐き捨てた。
「良いだろう……。この借りは必ず返す! 次こそはお前たちを血の供物にしてくれるわッ!」
怒りの咆哮と共に、彼の姿は夜の闇へと溶け去った。残されたのは、崩れ落ちた儀式と、焼け焦げた街の匂いだけ――。
やがて、煙の向こうに人影が現れる。私たちと同じくらいの年の少女。その身は一瞬だけ、古の魔法使いを思わせるローブと尖った帽子に包まれて見えた。幻か現実かはわからない。だが、その瞳は確かに光を宿していた。
「……今の人……」
ひなたが呟き、ティアが小さく頷く。
「宝石が……かすかに光を放っているのだ。遠すぎて覚醒には至らなかったけど、彼女も適合者なのだ。」
少女は驚きと戸惑いに駆られるように、夜の街へと駆け去っていった。雷光の余韻だけを残して――まるで神話の一節から抜け落ちた存在のように。
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