満ちる月

篁 しいら

第1話


コポンッ、と、スマホショルダーから音が鳴る。


友人とランチへ出掛けるために立ち上がった瞬間だったので、皆の視線が私に降り注ぐ。

「夏都美ちゃん、誰から?」

一番近くにいた友人が、私の肩に手を添えながら聞いてくる。

私はその仕草を気にすることはなく、自然にスマホを取り出して通知を見る。

そして、ゲッという発音と共に不自然に口が歪む。


「氷菓先輩からだ」


この言葉に、周りの空気も少し固まる。

「氷菓先輩って、あの?」

斜め前にいた友人の声色が、いつもの明るいものではなく、提出物の延長を教授に頼み込みにいくときと同じトーンだ。

「そう、あの」

私が肯定すると、肩に手を添えていた友人が祟りに触ったかのように手をさっと引く。

「うえー! 去年教授と喧嘩したうえ、殴って退学したあの氷菓先輩とまだ繋がってたの?!」

「し、仕方ないじゃん! 高校時代からの先輩なんだから!」

私はしどろもどろになりながらそう答えると、二人はやれやれというように肩を竦める。

「で、内容はなんなの?」

今まで話に入っていなかった一人の友人が、私へ普通の疑問を投げ掛けてきた。

「そうだ、えっと……」

タタンッと通知からアプリへ飛べば、ただ一行、送られてきていた。



《今日の19時、俺の部屋へ集合。 酒とお菓子持参でお願いします。》




18時38分、某所。

私は自転車のかごに大量のお菓子やお酒を詰め込んで、街中を滑走している。

それもこれも、昼間に連絡してきた氷菓先輩のせいである。

少し時間を、今日のランチ後まで戻そう。

その後も一時間事に鳴り響く通知、中身を見てみれば呑みたいお酒とお菓子のリクエストである。

《リストは一度に送ってください》と、一度氷菓先輩に送ってみたものの、その一時間後にまた同じよう内容の連絡が来たので、頭を抱えて諦めた。

一時間前、ようやく今日の講義が終了してホッとしているところにまた通知。

呆れるようにアプリを開けば、ただ一言。


《よろしくお願いします。》


思わずスマホを床に叩きつけようとして、友人たちに止められた。


怒りを抑えきれないまま今日の講義が全て終わり、先に講義を抜けた友人たちへと連絡を入れる。

これからのことを軽く愚痴を吐くと、憐れみのスタンプと呆れ顔のスタンプ、そして軽すぎる労いのスタンプが各々送られてきた。

一通り愚痴を言って落ち着いたため私側から一言皆にお礼を言い、聞いてくれたお礼のお菓子を贈る約束をして、私はアプリの画面を先輩へと変えた。


《先輩、今講義終わりました》

コメントを送り、閉じる間もなく既読がついた。

《お疲れさまです、今日の講義はいかがでしたか?》


今日はずっと感じていたのだが、先輩は暇なのだろうか?

私はそのままの疑問を、先輩へと向けることにした。

《今日は一時間に一回連絡を送ってくる誰かのせいで、集中できませんでした。 先輩は暇なんですか?》

送ったあとに少し後悔したが、それでも連絡してくる回数があまりにもストーカーじみていて、心安らかに講義を聞く時間はなかった。

少し間を置いて、氷菓先輩から返信が来る。

《はい、暇でした。》

間髪いれず、三毛猫がごめんなさいをしているスタンプが送られてきた。

あまりのスピードに、少し笑ってしまった。

《暇ならば、先輩が買い物行ってくださいよ》

思ったままをコメントにして彼に送る、そしてすぐに既読がついて返事が返ってくる。

《暇を弄びつつ美味しいものを作っていたので、手が離せませんでした。》

困った顔の三毛猫のスタンプを送られて、私は少し目を丸くした。



珍しい。 どんなに頼んでみても料理を作らない氷菓先輩が、料理を作っていたなんて。



私はその言葉は呑み込んで、別の言葉を先輩へ送る。

《先輩が作ったものなら美味しそうですね、買い物する気持ちが出てきました》

先輩を気持ちよく持ち上げるためのコメントは、次の返事を見たときに正解だったと、私に確信させた。

《そうですか、それは良かったです。》

《車に気を付けて来てください、白鳥さん。》

間髪いれずに送られてきたスタンプ、三毛猫が四つ葉のクローバーをこちらに差し出しながらグッドラックと伝えていた。

私からもOKのスタンプを送り返し、既読にならないことを確認するとスマホをショルダーに仕舞った。

肩に掛かった重さを感じると共に、息を大きく吸って吐く。

身体中に酸素を巡らせる、目を少しだけ瞑って目蓋の裏が赤く見えるまで、私は深呼吸を続けた。

「……よし!」

目を開ける、さっきより少しだけ景色の色が鮮やかになったことにテンションを上げ、バッグの中から自転車の鍵を取り出す。

駐輪場に向かいながらふと、空に目が行く。

夜の方に傾き始めた太陽が、私を急かすように空をオレンジ色に染め始めている。

「ヤバイ、早く買い物終わらせないと!」

私は慣れたように自転車を駐輪場から取り出し、飛び乗った。

出来るだけ周りの人から急いでいる人と認識されないよう、わざと真顔を作りながら足だけは水中を漕ぐ水鳥のように動かして、大学を後にした。




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