第2話 光の奇跡
断罪の儀式から三時間後。
セレナは自室に戻っていた。重い髪飾りを外し、深紅のドレスから動きやすい旅装に着替える。濃紺のマントに、歩きやすい低めのブーツ。まるで冒険者のような出で立ちだった。
『これでやっと肩こりから解放される...マッサージチェア欲しい』
首を回しながら、セレナは荷造りを始めた。トランク一つ。必要最小限の衣類と、愛用の本を数冊。それだけだった。
メアリーが部屋に入ってきて、その様子を見て驚く。
「セレナ様、お荷物はこれだけですか?」
「ええ、辺境では質素な生活をするつもりだから」
『引っ越し業者...ないよね、この世界。段ボールも。全部自力とか原始的すぎる』
セレナは心の中でツッコミながら、手際よく荷造りを進める。追放される身としては、これくらいが適切だろう。
メアリーは感動に震えている。
今朝の光の奇跡を目撃してから、彼女の中でセレナは「聖女」という確信に変わっていた。その前提で見れば、最小限の荷物も「物質的な欲を超越した証」に見える。自分が信じたいものを見る心理が、彼女の目を曇らせていた。
「なんという謙虚さ...まさに清貧の精神!」
そんな解釈をされているとは、セレナは知る由もない。単に荷物が多いと馬車で酔いそうだから最小限にしただけなのだが。
✦ ✦ ✦
コンコン、とノックの音。
「入って」
扉が開くと、そこにはセレナの家族が立っていた。父ローランド、母エレノア、そして弟のレオン。
「セレナ」
父の声は相変わらず厳格だが、その目には複雑な感情が宿っていた。
「これを持っていきなさい」
ローランドが差し出したのは、小さな革袋だった。中には金貨が入っているようだ。
「父上...」
「リュクス家の名に恥じぬよう、生きなさい」
短い言葉だが、そこには確かな愛情が感じられた。
母エレノアは涙を堪えながら近づいてきた。
「セレナ、これを」
彼女が手渡したのは、家に代々伝わる護符だった。小さな銀のペンダントで、月光石があしらわれている。
「母上、これは大切な...」
「あなたこそ、大切な娘よ」
エレノアはセレナを抱きしめた。温かい母の温もりが伝わってくる。
レオンは少し離れた場所から見つめていた。何か言いたそうに口を開きかけては、閉じる。そんなことを繰り返している。
「レオン?」
セレナが声をかけると、レオンは意を決したように前に出た。
「姉上...本当に悪役だったのですか?」
その問いに、セレナは少し困ったような顔をした。
「さあ、どうかしら」
曖昧な返事だったが、レオンの脳裏に幼い頃の記憶がフラッシュバックする。
七歳の誕生日。姉が焼いてくれた不格好なクッキー。
『お誕生日おめでとう、レオン』
優しく頭を撫でてくれた温かい手。あの姉は、本当に悪役だったのだろうか。
「姉上、お元気で」
「ありがとう、レオン」
セレナは弟の頭を軽く撫でた。レオンは一瞬驚いたような顔をしたが、すぐに微笑んだ。
『家族LINE作りたい...でも既読スルーされそう』
セレナは心の中で現代的な願望を抱きながら、家族との最後の時間を過ごした。
✦ ✦ ✦
「セレナ様!私も同行させてください!」
メアリーの突然の申し出に、セレナは目を丸くした。
「メアリー、あなたまで辺境に行く必要はないわ」
「いいえ、私はセレナ様にお仕えすると誓った身です。それに...」
メアリーは手帳を取り出した。
「聖女様の記録者として、全てを書き残す使命があります」
「聖女って誰の話?」
セレナは呆れたような声を出したが、メアリーの決意は固かった。
そこへ、カイルも現れた。
「私も同行いたします」
「カイル、あなたまで...」
「護衛の任を全うするまでです」
カイルの表情は真剣そのものだった。今朝の光の奇跡を目撃してから、彼の中で何かが変わり始めていた。
騎士としての誓いを立てた時、「正義と真実に仕える」と誓った。もしセレナ様が本当に無実の罪で追放されたのなら、自分には守る義務がある。その使命感が、彼の心に燃え始めていた。
続いて、双子の侍女リリィとローズも名乗り出た。
「私たちも!」
「セレナ様のお側に!」
セレナは困惑する。追放される身なのに、なぜこんなに同行者が増えるのか。
『フォロワー増えすぎでしょ...炎上してるのに』
しかし、彼らの真剣な表情を見て、セレナは諦めたようにため息をついた。
「...わかったわ。でも、辺境での生活は厳しいわよ」
「覚悟の上です!」
全員が声を揃えた。
メアリーは早速手帳に記録する。
『忠実な従者たちの決意。セレナ様の人徳がなせる業』
✦ ✦ ✦
馬車の準備が整った。
質素な馬車一台。荷物は驚くほど少ない。トランクが数個と、必要最小限の食料。それだけだった。
執事のセバスチャンが困惑している。
「本当にこれだけでよろしいのですか?」
「ええ、十分よ」
セレナの返答に、周りにいた使用人たちがざわめく。
「なんという質素さ...」
一人の使用人が嘆息した。彼女は昨日、セレナが召使いたちにお金を分け与えているのを目撃していた。そして今日の光。もう疑いようがなかった。
「清貧を実践されるおつもりか」
年配の執事が目を細める。彼は三十年前、似たような光景を見たことがあった。あの時も聖職者が質素な旅装で出立した。歴史は繰り返すのかもしれない。
「さすがは光の令嬢」
噂は既に広まっていた。今朝の断罪での光の奇跡。そして今、最小限の荷物で旅立とうとする姿。すべてが「聖女」のイメージを強化していく。
『本当は荷物多いと整理できないだけなんだけど...断捨離の精神です』
セレナは内心で言い訳をしながら、馬車に乗り込んだ。
✦ ✦ ✦
王都の大通りを進む馬車。
道の両脇には、噂を聞きつけた市民たちが集まっていた。
「リュクス令嬢だ」
「光の奇跡を起こした方よ」
一人の年老いた商人が手を合わせた。彼の娘は病弱で、奇跡を必要としていた。セレナが聖女なら、きっと娘を救ってくれるかもしれない。その切実な願いが、彼の目にセレナを神聖視させた。
「なんて清らかな雰囲気...」
若い女性が憧れの眼差しを向ける。追放されてもなお気品を失わないセレナ。自分もあんな風になりたいという願望が、セレナを理想化して映し出した。
人々は口々に囁き合う。中には手を合わせて祈る者もいた。それぞれが自分の望みをセレナに投影し、聖女伝説を膨らませていく。
馬車の中で、セレナは居心地悪そうに座っている。
『注目されるの苦手...SNS炎上を思い出す』
メアリーは窓の外の様子を観察しながら記録していた。
「市民の皆様も、セレナ様の真価に気づき始めているようです」
「...そう」
セレナは曖昧に返事をする。
王都の門が近づいてきた。巨大な石造りの門。ここを出れば、もう王都には戻れない。
門の前で、馬車は一度停止した。
衛兵が書類を確認している間、セレナは振り返って王都を見た。高い塔、立ち並ぶ建物、賑やかな人々の声。すべてがもう手の届かない場所になる。
『もう二度と戻らない...はず。フラグ立ててない?大丈夫、ゲーム通りなら戻らない』
そんなことを考えていると、ふと口から歌が漏れた。
「♪明日があるさ、明日がある〜」
小さな鼻歌だったが、メアリーの耳はそれを逃さなかった。
「セレナ様、今のは...聖なる詩ですか?」
「え?いや、ただの...」
「なんと美しい調べ...きっと未来への希望を歌った預言の詩に違いありません!」
メアリーは興奮しながら手帳に書き込む。
『セレナ様が口ずさんだ聖なる詩。明日への希望を歌う預言の調べ』
カイルも興味深そうに聞いていた。
「確かに、不思議な響きの歌でしたね」
『昭和の歌なんだけどな...』
セレナは心の中でツッコミを入れたが、説明する気力はなかった。
✦ ✦ ✦
門を出て、街道を進む馬車。
王都から離れるにつれて、道は次第に荒れてきた。石畳から土の道へ。整備された並木道から、自然のままの森へ。
馬車の揺れも激しくなってきた。
「うっ...」
セレナの顔色が変わり始める。元々乗り物酔いしやすい体質だった。現代でも車酔いに悩まされていたのに、この時代の馬車はさらに過酷だった。
『酔い止め...ない時代。つらい...』
カイルが心配そうに声をかける。
「セレナ様、大丈夫ですか?」
「...大丈夫」
しかし、明らかに顔色が悪い。青白くなり、額には汗が滲んでいる。
メアリーはその様子を見て、別の解釈をした。
彼女の中では、セレナは既に「聖女」という確固たる地位にあった。今朝の光の奇跡がそれを証明した。その前提で見れば、車酔いの苦しそうな表情も「精神的な修行」に見える。信じたいものを見る心理が、彼女の解釈を歪めていた。
「セレナ様が深い瞑想状態に入られた...」
「瞑想?」
リリィが首を傾げる。
「ええ、きっと精神を研ぎ澄まし、何か重要なことを感じ取っているのよ。ほら、あの集中した表情を見て」
確かにセレナの表情は真剣そのものだった。必死で吐き気と戦っているからだ。しかし、周囲からはそれが深い精神集中に見えた。
ローズも納得したように頷く。
「確かに、とても集中されているように見えます。きっと、辺境での新しい生活について考えていらっしゃるのね」
双子の侍女たちは、セレナの優しさを知っていた。その優しさが誤解されて断罪されたことへの憤りもあった。そんな彼女たちにとって、セレナが聖女であることは、正義が存在する証明だった。
『ただの車酔いなんだけど...吐きそう』
セレナは必死で吐き気と戦いながら、遠くを見つめるようにして気を紛らわせた。その姿が、ますます「深い瞑想」に見える。
✦ ✦ ✦
夕方、一行は小さな宿場町に到着した。
今夜はここで一泊することになっている。
馬車から降りたセレナは、ふらふらとよろめいた。
「セレナ様!」
カイルが慌てて支える。
「長時間の瞑想でお疲れのようです」
メアリーが心配そうに言う。彼女の中では、セレナのふらつきも「精神的な消耗」として合理化されていた。
『瞑想じゃなくて車酔い...』
セレナは訂正する気力もなく、ただ頷いた。
宿の主人が出迎える。
「これはこれは、高貴なお方をお迎えできて光栄です」
主人は午後に届いた商人たちの話を聞いていた。光の奇跡、断罪を遮ったくしゃみ、浮遊。宿屋を経営する者として、そんな特別な存在を粗略に扱うわけにはいかない。商売人としての計算と、奇跡への畏怖が混ざり、彼の目にセレナを特別視させた。
噂は既にここまで届いていたのだ。
メアリーは早速、今日の出来事を手帳に記録し始めた。
『出立の日の記録
セレナ様は最小限の荷物で旅立たれた。清貧の実践である。
市民は皆、セレナ様の真価に気づき始めている。
道中、セレナ様は深い瞑想に入られた。きっと未来を見ておられるのだ。
聖なる詩も口ずさまれた。明日への希望の預言。
馬車の車輪から時折異音がしているのが気になる。整備不良だろうか。
明日も旅は続く。セレナ様の新しい生活が始まろうとしている』
日記を書き終えたメアリーは、窓の外を見た。
夕焼けが美しい。明日は山道に入る。険しい道のりになるだろうが、セレナ様となら乗り越えられる。そんな確信があった。
その頃、セレナは部屋で横になりながら考えていた。
『このペースだと、辺境まであと二日...車酔いで死ぬかも』
そして、ふと気づく。
『待って、このルート...ゲームで車輪が壊れるイベントがあったような...』
嫌な予感がよぎったが、今は体を休めることが先決だった。
明日のことは、明日考えよう。
きっと大丈夫。ゲーム通りなら、無事に辺境に着くはずだから。
そう自分に言い聞かせて、セレナは目を閉じた。
山道での出来事が、さらなる誤解を生むことになるとは、まだ知らずに。
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