続章 九華高等学校怪奇録

「放課後の残火」〈前編〉

 朝からしとしとと降り続く雨。


 雲は厚く、校舎に影を落としている。


 昼休みの教室はざわついているが、学期末テスト前日ということもあってか、派手に騒ぐようなクラスメートもいない。


 妙な静けさのある中で、清司はスマートフォンに視線を落としながら、購買で買ってきた焼きそばパンにかじりついていた。


 と、すぐそばの席で、女子グループが話に花を咲かせているのが耳に入ってくる。


「ね、「登録のない用務員がいる」って話聞いた?先輩から聞いたんだけど、この学校って昔っから、誰も知らない用務員さんが学校内掃除して回ってるんだって」

「えー、それってただの不審者じゃない?」

「そうじゃないってー!その用務員さんは、毎日校内を回ってるんだけど、旧校舎で見ちゃうと、襲われてあの世に連れてかれるって」

「やだ、それ怖い話じゃん」

「私も先輩から聞いたときまじビビったもん」

「もー、そんな話しないでよー。旧校舎の近く通れなくなるー」


 そんな話を聞き流しながら、清司はふと窓の外に目をやった。


 何気なく校庭のほうを見る。


 そこには、雨の中作業着姿で掃き掃除をする人物がいた。


(……雨なのに?)


 そんな疑問が頭をよぎる。


 しかし、彼はその違和感に気づくと同時に視線をそらした。


 あれは、関わらないほうがいいものだ。


 教室の中へ視線を戻すが、蛍光灯が照らす室内は無機質な色を帯び、6月も終わりだというのに妙に肌寒く、一瞬肌が粟立つのを感じる。


 何かをごまかすように、残りのパンのひとかけらを口に押し込んだ。


 心なしか先程よりも味気なく感じるそれを飲み込みながら、女子の噂話が本当にならないことを願った。



「テストやーだー」


 放課後。


 駅前のファストフード店のボックス席で、四人はテスト前の最終追い込みに勤しんでいた。


 店内は混雑しており、ポテトを揚げる油の匂いが漂い、食欲を刺激する。


 学生客が多く、どの席もやはりノートや参考書が広げられていた。


 集中が途切れたのか、窓側の席に座る康樹が言いながら、足をばたつかせている。


「ヤダって言ったって、やらなきゃならんもんは仕方ないだろ」


 康樹の正面に座る太壱は少し迷惑そうだ。


「そうだよ康樹。年に四回しかないんだから、頑張ろうね〜」

「だーってよー。こないだ中間終わったと思ったのにもう期末だぜー?やってらんねーよー」


 隣の席の充晶がそう言ってなだめるが、その視線はノートや参考書から外れることはなく、手元は淡々とペンを動かしている。


 清司はそんなやり取りを横目に、冷めたコーヒーに口をつける。


 ちょうど計算問題が一問解けたところだった。


「そんなこと言って。赤点取ったら夏休み補習地獄だろうがよ」


 彼がそう言うと、康樹は「そうだけどさー」と言いながらノートに視線を戻した。


 ようやく静かに勉強ができる。


 そう思ったときだった。


「そーいえばさー、オレ今日面白そうな話聞いたんだよなー」


 性懲りもなく康樹が話し始める。


「なんの話だい?あ、これ、計算間違ってるよ」


 康樹のノートの計算式を指摘しつつ充晶がこたえた。


 康樹は言われた箇所を消しゴムで消しながら、


「なんかうちの学校、「登録のない用務員」ってのが出るんだってなー」


 そう言って、改めて計算問題に取り掛かった。


 しばしの沈黙。


 店内のBGMと、客と店員のやり取りを聞きながら問題集を解き進めていく時間が流れる。


「って、反応なし?」


 沈黙に耐えられなくなった康樹が顔を上げて言う。

 

 こいつは黙って集中ができないのか。


 清司は半ば呆れつつ、


「聞くだけ聞いてやるから続けろよ」


 そう言って先を促した。


「お、おう」


 そうして語られた康樹の話は、細部は違ったが、内容は昼休みにクラスメートの女子が話していた内容とほぼ同じだった。


「へぇー。それで?」


 太壱が相槌を打つ。


「オレはこの話の真実を確かめたい!」

「それは楽しそうだね、ぼくも見てみたい。……はい、ここ間違ってるよ」

「うぐ……というわけで、明日のテスト終わり、「何でも屋」始動でいいか?」

「……なんで明日なんだ。テスト初日だぞ」

 

 思わず問題を解く手を止めて顔を上げた。


 康樹の目は心なしか輝いている。


「だって、こういうのって、早いほうがいいだろ?」

「……早いほうがいいのは二次関数の頂点求める速さだ」

「それは言えてる」


 清司のツッコミに、やはり参考書から目を話さずに太壱が同意する。


「ほら、康樹、ここ、こうしたら解けるよ」

「お、おう——って、まじで!確かめたいの!」


 充晶に教えられながらそう言う康樹は、最後は興奮気味にそう声をあげた。


 周りの学生がこちらに視線を向ける。


「子供じゃないんだぞ。ちょっと静かにしろよ」


 さすがに少し怒ったのか、太壱がそう言うと、康樹は「あー、ごめん」と、自分のドリンクに口をつけた。


 しばしの沈黙。


 それを最初に破ったのは太壱だった。


「テスト最終日なら、付き合ってもいいぞ」

「は?」

 

 意外な発言に、清司はそんな声を上げ、太壱に目をやる。


 隣にいる太壱は依然として参考書から目をはなしていないが、若干の苛立ちがうかがえた。


「ホントか⁉」


 気づいていないだろう。


 太壱の言葉に素直によろこぶ康樹。


 太壱はそこで初めて顔を康樹に向けると、


「お前が今から黙ってテスト勉強やって、おとなしく五日間テスト受けたらな」


 明らかに怒気をはらんだ声色で言い、そのまま再び参考書に視線を戻した。


 沈黙。


 店内の温度が急激に下がった気がした。


 しかしこれは康樹が悪い。


 康樹は、


「わ、わかった……」


 なんとか絞り出すようにそう言うと、計算問題に取りかかった。



 計五日間のテスト期間は、驚くほど平和に過ぎた。


 テスト前日のファストフード店でのやり取り以降、康樹がおとなしくテスト勉強に励み、テスト自体にも文句を言わず取り組んだからだ。


 康樹とは中学二年からの付き合いだが、ここまで彼がおとなしくテストを受けたことがあっただろうか。


 いや、ない。


 これはある意味快挙と言えるかもしれない現象だった。


 解答用紙の最後の欄に答えを記入し終わり、清司はペンを置く。


 全体を見直しても特に気になる箇所はない。


 まあ、こんなところだろう。


 一人納得し、頬杖をついて窓の外に目をやる。


 登校時に降っていた雨は止み、今は少し雲が切れ、太陽の光が差し込んでいた。


 校庭はところどころ大きな水たまりができており、時折吹く風がその水面を撫でるたびに波紋が広がっている。


 そんな中、校門付近でしゃがみ込み、何やら作業をしている人物が目に入った。


 彼の位置からでは、その作業服の男が何をしているのかまでは見えないが、男の周りには平らな地面しかない。


 男の影すらも、どこにもなかった。


 直感的に、あのテスト前日に見た作業服の男だと悟る。


 清司はそっと視線をそらし、目を閉じた。


 余計なものは、見ないにかぎる。



 「終わったー‼」


 ホームルームが終わり、担任が教室から出ていくのと入れ違いに入ってくるなり、康樹は声高らかにそう言って、バンザイのポーズをとった。


 珍しく、少し困った表情の充晶が後ろからついてくる。


 康樹とともにいることが多い彼が、そんな表情を浮かべるのは初めて見た。


 康樹の言動によほど困らされたに違いない。


 そして、なぜよその教室でそのテンションの爆発を見せるのか理解に苦しみつつ、清司は眉間をおさえた。


 すぐそばの席の太壱は、苦笑いを浮かべつつ帰り支度を進めている。


「太壱!約束!覚えてるよな‼」

「さて、なんのことやら」


 太壱の机に近づきそう詰め寄る康樹に、彼は白々しくかえす。

 

「忘れたとは言わせねーぞ!オレは今日のこのときのためだけに、五日間を戦い抜いたんだからな!」


 テストを受けるのは当然のことなのだが、康樹の中ではあのファストフード店でのやり取り以降、戦いになっていたらしい。


 おそらく、自身の集中力との戦いだったのだろうが。


「……依頼人は?」


 清司はため息まじりに言う。


「ん?」

「依頼人がいねぇ。話が成り立たねぇだろ」


 「何でも屋」として活動するなら依頼人から報酬を。


 それは康樹自身が言い出したことではなかったか。


 内心、今回の話に巻き込まれたくない一心で彼はそう言ったのだが、康樹は自信満々の態度を崩さない。


「ふっふっふ。そこは抜かりないぜ!な、充晶!」


 不敵に笑って見せると、もはや何かを諦めたような表情をうかべた充晶の顔を見る。


「こいつ……ついにやったんだよ」

「なにを?」

「先生を一人、巻き込んだ……というか、丸め込んだ」

「「はあ⁉」」


 突然の教員巻き込み事案に、清司と太壱は揃って声を上げた。


 同時に、充晶の表情の理由に納得する。


 ある意味、こんな遊びともとられない非常識な話に大人が——ましてや教員が関わってくるとは、誰が予測できただろうか。


「僕、止めたんだけどね。さすがにそれはって……」


 深いため息まじりの充晶のセリフと対象的に、康樹はまさに弾けるような笑顔だ。


「もうちょっとで来ると思うぜ!」


 その言葉のとおり。


「櫻井くんはいますか?」


 教室のドアを開け、一人の教員が顔をのぞかせた。


 彼は迷うことなく教室に入り、四人に近づくと、メガネの位置をくいっと直しながら、


「こんにちは」


 少しよれた白衣を着た、見た目初老の教員は、そう言うと柔和な微笑みを見せた。


 この人物が、充晶が言う康樹が巻き込んだ——もとい、丸め込んだ教員なのだろう。


 この教員は長谷川誠、化学担当の教科担任だ。


 どういう経緯があってこんな話に首を突っ込むことにしたのか。


「ふむ。ここで話をするのはなんですから、よければ化学準備室に行きませんか?」

「賛成っす!」


 呆然としている二人と、眉間にシワを寄せ、見たことのない表情をしてため息をついている充晶をよそに、長谷川と康樹はそんな会話をして教室を出ていく。


「………………」

「……これは……ついていかないと駄目なのか?」

「……僕達が見てないと、どこまで突っ走るかわからないよ、あいつ」

 

 空いた口が塞がらない太壱の言葉に、疲れをにじませた充晶が言う。


「……お前がそんなこと言うなんて珍しいな」

「僕だって、放課後まで教師と一緒にいたくないよ。若くてキレイな女性教師なら別だけど」


 清司の問に答える充晶は、苦虫を噛み潰したような顔をした。


 それは、まかり間違って康樹が声をかけた教員が若い女性教員なら、今頃ノリノリで康樹とともについていっていたということだろう。


 その可能性に気がついて、彼は軽い頭痛を覚えた。


 どちらにしろ、康樹と充晶は野放しにしておくとろくなことがないということだ。


「おーい!早く来いよ!」


 三人がついてきていないことに気づいたのか、康樹が教室の入り口から手招きして呼ぶ。


 仕方なく、三人は康樹に続いて教室をあとにした。



 化学準備室とはこういうものだったろうか?


 室内に入った清司が、一番初めに抱いた感想はそれだった。


 教室の二分の一ほどの広さの部屋の、両側の壁に張り付くように置かれた棚には、実験で使う薬品が入っているであろう茶色や青色の瓶、ガラス製のビーカーやフラスコ類、試験管などの器具。アルコールランプが所狭しと並び、あまり日が差し込まない所には、何かの生物のホルマリン漬けの、大きな瓶が並んでいる。


 中央には、シンクが付いている実験机が一つ。


 そこまではいい。


 そこまでは、どこにでもある、一般的な化学準備室だろう。


 実際、中学時代のそれも、似たようなものだった。


 おかしいのは、実験机の周りの人数分の丸椅子と、机の中央に山積みになっている袋菓子。


 カーテンが開け放たれた窓辺に設えられている台には、電源コードがつながっている電気ケトルと、人数分のマグカップ。


 そして、室内に漂うコーヒの香り。


 薬品の匂いはわからない。


「飲み物、温かいのはコーヒーしかないんですが、飲みます?冷たいのが良ければ冷蔵庫にペットボトルのお茶も買ってありますよ?」


 そう言って、この部屋の主である長谷川は、水道の蛇口から電気ケトルに水を入れている。


「あ、じゃあコーヒー飲みたいっす!砂糖とミルクはあるんすか?」

「ありますよ」

「やった!」

「さ、皆さん、座ってください。歓迎しますよ」


 歓迎される意味がわからない。


 が、言われるがまま、手近にあった椅子に腰を下ろす。


 康樹は長谷川に差し出されたマグカップに、いつものごとく角砂糖数個を放り込み、ミルクのポーションを数個入れ、角砂糖を崩すようにじゃりじゃりとカップの底を混ぜている。


 そうこうしているうにちケトルの湯が沸き、カップに注がれていく。


 康樹のそれにもお湯が注がれ、砂のような音は少しずつ消えていった。


 それぞれの前に温かいコーヒーが入ったマグカップが配られる。


「皆さん、砂糖とミルクは?」


 長谷川の問に、太壱は黙って首を振り、清司は大丈夫ですと答えた。


 充晶だけが


「僕は砂糖三個と、ミルク一つください」


 とリクエストし、康樹と並んでスプーンでカップの中身を混ぜる。


 全員の手元に飲み物が行き渡ったところで、長谷川が自分専用であろう背もたれのある椅子に腰掛け、


「さて、落ち着きましたね。早速話を始めましょう」


 そう言いながら、自分のデスクの引き出しから茶封筒を取り出した。


 中身を取り出し、四人が囲む机に並べていく。


「これはですね、この学校の歴代の写真部員が撮った写真なんです。一番古いもので、私がこの学校に赴任した頃の写真からあります」


 一枚ずつ並べられたそれは、フィルムカメラで撮影し現像したものと、デジタルカメラで撮影し、写真としてプリントアウトしたものが入り乱れていた。


 構図は違えど、だいたいどれも同じものがモチーフとして写っている。


「これ、どこ撮った写真すか?」

「全部旧校舎の体育館裏にある焼却炉ですよ」

「しょうきゃくろ?」

「旧校舎が使われてた時代は、どこの学校でも燃えるゴミを学校で燃やして処分していたんです」

「へぇー」

「この四角いコンクリートの、煙突っぽいのがついてるのがそうですか?」

「そうです。それで……そうですね。これなんかわかりやすいでしょうか」


 言いながら1枚の写真を指差す。


 それは、デジタルカメラで撮影され、フォトペーパーで出力されたものだが、全体がオレンジ色になっており、何を撮ったのかがよくわからない。


 十枚以上並べられた写真たちの中で、それはある意味異彩を放っていた。


「これもね、同じ場所で同じものを撮ってるんですよ。直前の写真がこれです」

 

 そう言って指差したフォトペーパーは、他の写真と同じく焼却炉を映し出していた。


 あくまでそれらを横目でちらりと一別しただけで、清司は湯気が立ちのぼるマグカップに口をつける。


「なんだろ?光の加減かなんかっすか?」


 と、康樹。


 充晶は「ふーん」と他の写真も見ている。


 太壱は示された写真二枚を手元に引き寄せ、まじまじと見比べ始めた。


 途端、


「うわっ!」


 驚きの声を上げて立ち上がり、後ずさりする。


 よほど驚いたのだろう。


 清司はどの写真にも触れようともせず、半眼でその状況を見ていた。


 太壱が無言で、驚いた表情そのままにこちらに顔を向ける。


「確かめるまでもねぇだろ」


 そう言ってため息をつく。


「お〜ま〜え〜、言えよ!そういうことは!」


 太壱はそう言って座り直すと、写真を慎重に元あった場所に戻し、コーヒーに口をつける。


 そのやり取りを見ていた三人が、不思議そうにしているのを見て、太壱はごほんと咳ばらいをした。


「清司、どういうことか三人に説明しろよ」

「しないと駄目か」

「どうせこれだけじゃねぇんだろ。お前が言うのが一番早えーよ」

「………………」


 言われて、どこをどう三人に説明すれば伝わるかを考える。


 彼の目にはすべての写真に共通して、大小様々、場所もバラバラにではあるが、焼却炉とは別に共通したものが映っていた。


 ぼんやりと赤く光るそれからは、どれも苦痛と、強い使命感のような感情が伝わってくる。


 写っているモノは、何が原因かはわからないが、おそらく全身を炎に包まれて死んだのだろう。


 伝わってくる苦痛はその時の苦しみに違いなかった。


 しかしでは、このもう一つの感情は何なのか。


 それがわからない。


 まあ、死んだ人間の気持ちなど、写真からでは知る由もないのだが。


「せ、清司〜?」


 考え込んでいると、康樹が遠慮がちに声をかけてきた。


 立ち上がり、写真の赤い光を一枚一枚指差していく。


「ここと、ここ。これはここ。こっちはここだ。全部同じもんが写ってる」


 すべての赤い光を示し終わって座り直すと、写真をのぞき込んで見ていた二人が声を上げる。


「……ホントだ」

「……全部、よく見ると人に見えるね。この端っこはなんか、見切れてる感じ?」


 それを聞いて、長谷川が少し驚いた顔で、並んだ写真をまじまじと見た。


 少しして、メガネを直しながら椅子に座り直す。


「いやぁ、驚きましたね。私が説明するまでもなかったですかね?」

「いや先生、それは欲しいっす」

「なんでこんなに同じ場所の写真ばっかりあるのかもわからないです」 


 さすがにお手上げなのだろう。


 長谷川の言葉に康樹と充晶がそれぞれに言った。 


「では説明を。私、ご存知のとおり化学の教科担任ですけど、写真部の顧問もやってましてね。先程も言いましたが、この写真は全部、写真部の生徒が撮ったものです。撮影した生徒も年代もバラバラですが、見ての通り、今はもう使われてない焼却炉をモチーフにした写真でして、ノスタルジックをテーマにすると、ここを撮りたがる生徒が必ず出てくるんです。ですがこの場所だけは、撮影して生徒が現像や出力をしてみると、必ず毎回誰かしら、どれも光の加減では説明のつかない、こういうものが写り込んでいると大騒ぎになるんですよ」

「じ、じゃあ、心霊写真ってことっすか?」

「そうなりますよね。私も昔から写真には携わってきましたが、ここまで日付も気象条件もバラバラなのに、同じものが写り込んで、しかもこんなに枚数が集まるのは初めてです。さっきの水縹君が飛び上がった写真を最後に、焼却炉を撮る生徒はいなくなりましたよ」

「あの真っ赤な写真?」

「ええ」

「いつ撮った写真なんすか?」

「今の3年生がまだ一年生の頃ですから……2年前ですかね?」

「へぇ~」

「私もこの写真には困ってまして。何があるっていうわけでもないのですが、ただゴミに捨ててしまうのも、なんだか気持ちが良くないでしょう?それでどうしようかなぁと思ってたら、櫻井くんが旧校舎に行きたいなんて職員室で話してるのを聞きましてね。よくよく話を聞いてみると、旧校舎にまつわる噂話があるなんて言うじゃないですか。それならいっそ私も協力して調べてみようと思いまして」


 そこまで言って長谷川は言葉を切った。


 にこにこと微笑み、こちらの反応をうかがっている。


 長谷川のそばに座る康樹も楽しそうな笑顔だ。


 こんなものを見て、何が楽しいというのか。


「康樹。そんなに楽しいか?」

「ん、なんでだ?」

「お前のために一つ教えてやろうか?」

「え、なになに?」

「先生が最初に注目させた、真っ赤なやつ、よーく見てみろ」


 言うと、康樹は素直に先の写真を手に取り見始めた。


 そこに、隣から充晶と長谷川も加わり、三人でじっくり見ているところで、


「その写真、火だるまになって燃えてる人間の顔面ドアップだ」


 とどめを刺さんばかりに情報を投下してやる。


 写真に顔を近づけ、見つめること数秒。


「「「ひっ!?」」」


 清司の言葉により、写ってるものを理解した瞬間、三人は一様に声にならない悲鳴を上げ、写真から離れた。


 隣の太壱は、やれやれといった表情でコーヒーを飲んでいる。


 康樹が勢い余って放り出した写真は、ひらりと宙を舞い、机に着地後滑って清司のもとへ。


 写真に写る燃える人物は、髪は焼け落ち、皮膚が焼けただれ、口元は歯列が見えている。


 眼窩は燃えてしまったのか黒い空洞でしかない。


 清司はそれを指先で他の写真たちのもとへ押しやる。


 冷めてしまったコーヒーを飲み干す間、誰も身動きが取れず、室内はしんと静まり返った。



 少しして。


「さ、櫻井君、東奥君、だ、大丈夫ですか?」

「オ、オレ、マジでチビるかと思った……」

「僕も、こんなに怖いと思ったの、いつぶりかなぁ」


 長谷川の声をきっかけに、三人は時間をかけてゆっくり、そっと、もとの位置に戻っていく。


 雰囲気を変えたいのか、長谷川は席を立ち、電気ケトルに再び水を入れてスイッチを押した。


 誰も何も話さないまま、ポットが湯を沸かす音だけが支配する。


 その静けさに耐えられないのは、やはり康樹だった。


「こ、こ、今回のこの写真の幽霊が……噂の幽霊かな?」


 先程の写真の内容が、よほどショックだったのだろう。


 写真全部から距離を取るように、机から離れて座る彼の顔は引きつっている。

 

 黙ってコーヒーを飲む充晶も、心なしか顔色が悪い。


 康樹が言ったとおり、この写真の幽霊が件の用務員である可能性はある。


 しかし決定的なものがない。


 可能性だけで藪をつつくような真似は、絶対に避けたい。


 清司は康樹の発言を聞き流し、つぶやくように「もらいます」と一言言ったのち、机に置かれた袋菓子に手を伸ばした。


「んー。あの噂と写真の幽霊を結びつけるには、まだ早いような気がするよ。だってあれじゃあ、用務員かどうか以前に、男か女かもわからないじゃない」


 そう答えたのは充晶だ。


 腕を組んで考えているが、いくら考えたところで、並んだ情報が少なすぎて決定づけるのは無理だろう。


 清司自身も、用務員の可能性がある幽霊については心当たりがあるが、それがこの写真の幽霊と同一とは言いきれない。


 言うつもりもないが。


 と、湯が沸いたのだろう。


 湯気が立ちのぼるマグカップを手に、長谷川が椅子に座り直した。


 先と同じくコーヒーであろうそれに口をつけつつ、会話に加わる。


「そうですねぇ。決定打にはまだまだ足りませんねぇ」


 そう言って背もたれに体を預けると、椅子がぎしっと音を立てた。


「清司は?何かわからない?さっき写真に写ってたの、わかってたから言ったんじゃないの?」


 清司に続いて袋菓子に手を伸ばしながら、充晶が聞いてくる。


 問われた彼は「さあな」と短く答え、自分が開けたポテトチップスを口に入れた。


「清司に聞いたってわかんねぇよ。そもそも今回の話、わかんねーこと多すぎなんだ」


 隣の太壱が言いながら、清司のポテトチップスの袋に手をつっこみ、ごっそり中身を掴み出すと、予め広げておいた机のティッシュペーパーの上に置き、ぱりぱりと食べ始める。


 太壱が奪っていった量と袋に残った量を見比べ、清司は思わず眉間にしわを寄せた。


「そっかー」


 充晶が開けた袋菓子のチョコレートを口に入れ、中で転がしながら、がっかりする康樹。


「うーん。調べない手が、無いわけではないですよ?」

「え?」

「ホントっすか?」


 やり取りを見ていた長谷川が、眼鏡を拭きながら言うと、充晶と康樹がぱっと顔を上げた。

 

「ええ。正攻法で教頭先生に頼めば、おそらくは、すぐにでも。やりますか?」

「はい‼」

「では待っていてください。すぐに戻りますよ」


 二人の笑顔の返事を受けて、すぐに立ち上がった長谷川は、白衣をひるがえしながらそう言うと化学準備室から出ていった。



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