第四十八章:魂のハッキング
光のケーブルが、アルゴ号の船体に接続された。
その瞬間、船内の全ての照明が一度、ふっと消え、そして、不気味な青白い光で、再び灯った。それは、コラールの光。彼らの思考の色。アルゴ号は、今や、神の神経系に、強制的に接続されたのだ。
ブリッジのクルーたちは、自らの身体が、自分のものではなくなったかのような、奇妙な感覚に襲われた。思考が、外部から読み取られ、分析されていく。プライバシーという、人間にとって最後の聖域が、音もなく、侵犯されていく。
『接続、完了』
コラールの、感情のない思考が、船内の全てのクルーの脳に、直接響き渡る。
『これより、セッションを開始する。お前たちの、魂の歌を我らに聴かせろ』
その言葉は、絶対的な支配者の、有無を言わさぬ命令だった。
「……やるぞ」
慧は自らの恐怖を、鋼の意志でねじ伏せ、ヤヌスとスペクターに、最後の合図を送った。
「奴らの脳みそに、地獄を見せてやれ」
次の瞬間、三人のソリストの精神が、コラールの「チューナー」を通じて漆黒の船の、思考の根幹へと、叩きつけられた。
それは、ハッキングだった。
神々の完璧で、秩序正しい精神世界に対する、人類の混沌とした魂の、全力での殴り込み。
最初に、コラールの精神に流れ込んだのは、ヤヌスの、燃え盛る「怒り」だった。
アンデスで仲間を失った時の、無力感と絶望。水晶の檻に閉じ込められた時の、屈辱。そして、目の前の、傲慢な神々に対する、純粋な、殺意にも似た闘争本能。その、あまりにも暴力的で、破壊的な感情の奔流が、コラールの静謐な思考の湖に、巨大な溶岩となって流れ込んでいく。
『……なんだ、このノイズは……!』
コラールの思考に、初めて、明確な「混乱」が生まれた。
次に、スペクターの、静かで、しかし、どこまでも深い「情」が、その混乱を、さらに加速させた。
それは、ヤヌスのように激しくはない。だが、それは、仲間一人一人の顔、その家族、そして、遠い故郷の星で待つ、愛する者たちを想う、あまりにも人間的な、そして、あまりにも、論理では説明のできない、温かい光だった。それは、コラールの完璧な秩序の中に、決して存在し得ない、非効率で、無駄で、しかし、何よりも強い、絆の力。
『……理解不能……。この感情は、我らの論理体系には、存在しない……!』
そして、最後に、慧の、二つの、相反する感情が、とどめを刺した。
船長として、百名を超える乗組員の命を預かり、そして、人類の未来そのものを背負う、底なしの「恐怖」。
だが、それと同時に、この宇宙の真理を、未知の存在を、理解したいと願う、科学者としての、純粋な「希望」。
恐怖と希望。絶望と歓喜。その、あまりにも矛盾した二つの感情が、メビウスの輪のように絡み合い、コラールの精神を、内側から引き裂いていく。
『ぐ……ああ……っ……!』
コラールの思考から、初めて、苦痛に満ちた「声」が、アルゴ号の乗組員たちの脳に響き渡った。
漆黒の探査機が、痙攣するように、激しく振動を始める。アルゴ号と接続されていた光のケーブルが、火花を散らし、明滅を繰り返す。
彼らのセッションは、もはや音楽ではなかった。
それは、精神と精神の、魂と魂の、壮絶な、殴り合いだった。
『……接続、強制、切断……!』
コラールの、断末魔のような思考を最後に、光のケーブルは、まるで焼け切れた電線のように、ばちんと音を立てて、アルゴ号から切り離された。
漆黒の探査機は、傷ついた獣のように、慌てて後退し、そして、空間の歪みの中へと、逃げるように、その姿を消した。
アルゴ号の船内に、再び、静寂が戻る。
慧、ヤヌス、スペクター。三人のソリストは、それぞれの場所で、まるで魂を抜き取られたかのように、ぐったりと、意識を失っていた。彼らは、自らの魂の全てを、この一瞬の戦いに、注ぎ込んだのだ。
ブリッジのクルーたちは、何が起こったのか、理解できずに、ただ、呆然と立ち尽くしていた。
彼らは、勝ったのか。
それとも、さらに、恐ろしい、神々の怒りを、買ってしまったのか。
その答えは、すぐにもたらされた。
高次元へと身を引いていたはずの、コラールの、巨大な母船が、再び、彼らの目の前に、その禍々しい姿を現したのだ。
そして、そこから放たれた思考は、もはや、彼らが知る、あの冷静で、傲慢な、神のものではなかった。
それは初めて「痛み」を知り、初めて「恐怖」を味わい、そして、初めて「興味」を抱いた、生まれたばかりの赤子のような、純粋な、問いかけだった。
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