第四十一章:破砕のカデンツァ
『――この場で、ゲームオーバーだ』
コラールの、絶対的な死の宣告。それは、アルゴ号のブリッジにいる慧たちにも、水晶の檻の中に閉じ込められたヤヌスとスペクターにも、等しく突きつけられた、残酷な最後通牒だった。
小惑星帯の只中で、無数の水晶の破片が、一つの巨大な槍へと再構築されていく。その穂先は、ヤヌスたちの乗る探査艇を、正確に見据えていた。それは、ただの物理的な破壊兵器ではない。彼らがアンデスで目にした、時空そのものを断裂させる、あの「調律」の力。槍が完成した瞬間、ヤヌスたちは、この宇宙から、存在そのものを抹消されるだろう。
「……慧!」
水晶の檻の中から、ヤヌスの、怒りと焦りが入り混じった声が響く。
「何か、手はないのか! このまま、指をくわえて、見ているだけか!」
「黙っていろ、ヤヌス!」
慧は、怒鳴り返した。彼の脳は、かつてないほどの速度で、この絶望的なチェス盤の、次の一手を探していた。
「今、思考している!」
敵は、コラール。宇宙の庭師。
武器は、歌。
そして、この状況は、彼らが仕掛けた、巧妙な罠。
慧は、ブリッジのスクリーンに、ヤヌスたちが囚われている水晶の檻の、解析データを表示させた。
檻は、コラールが奏でる、ある特定の「制御の歌」によって、その形を維持し、槍へと変形しようとしている。それは、完璧で、秩序正しい、神々の音楽。
「……ヤヌスが触れた、あの共振クリスタル……」
慧の脳裏に、閃光が走った。
「あのクリスタルが、この檻全体の、アンプであり、心臓部だ。ヤヌス、スペクター、君たちは、今、敵の懐の、ど真ん中にいるんだ!」
『それが、どうした!』
「直接、心臓を叩く!」
慧の指が、狂ったようにコンソールの上を走り始めた。
「奴らの『制御の歌』に、別の歌を、無理やり上書きする! 秩序を、内側から、混沌で破壊するんだ!」
それは、あまりにも無謀な試みだった。オーケストラの演奏の真っ只中で、一人の奏者が、全く違う曲を、デタラメに、しかし、大音量で演奏するようなもの。
「オラクル!」
慧が叫ぶ。
「ヤヌスたちの探査艇、及び宇宙服の、通信機能を最大出力に設定しろ! これから俺が送る『音』を、あの共振クリスタルに向かって、直接、叩きつけるんだ!」
慧が即興で作り上げた、新たなる歌。
それは、彼がシミュレーションの中で作り上げた「不協和音のフーガ」を、さらに過激に、さらに破壊的に、再構築したものだった。それはもはや、音楽ですらない。あらゆる不快な周波数を、人間の「苦痛」の脳波パターンで変調させた、純粋な、音響兵器。慧は、それを「破砕のカデンツァ(終止形)」と名付けた。
『……面白い』
コックピットの中で、ヤヌスは、不敵に笑った。
『どうせ死ぬなら、派手な方がいい』
スペクターもまた、無言で頷き、探査艇の通信アンテナを、目の前の巨大な共振クリスタルへと正確に向けた。
「演奏開始!」
慧が作り上げた、狂気のカデンツァが、ヤヌスたちの探査艇から、最大出力で放たれた。
音のない宇宙に、しかし、精神を直接揺さぶる、おぞましい不協和音が響き渡る。
その、瞬間。
槍へと変形しようとしていた水晶の檻が、その動きを、ぴたりと止めた。
檻を構成する無数の水晶の破片が、まるで高熱に浮かされた患者のように、激しく、不規則に、明滅を始める。青い光が、赤く、そして黒く、濁っていく。
『……抵抗か。無意味な』
コラールの、嘲るかのような声が響く。
それと同時に、水晶の檻を制御する「歌」の出力が、さらに増大した。秩序の力が、混沌を、力ずくでねじ伏せようとする。ヤ
ヌスとスペクターの精神に、二つの、相反する神々の歌が、真正面から激突する、凄まじい負荷がかかる。
「ぐっ……うあああああっ!」
ヤヌスが、ヘルメットの中で絶叫する。
だが、慧は確信していた。
完璧な秩序は、予測不能な混沌に、脆いということを。
「ヤヌス! お前の『怒り』を、歌にぶつけろ!」
慧が叫ぶ。
「スペクター! お前の『冷静』さで、その怒りを、一点に集中させろ!」
それは、科学者から、兵士への、あまりにも非論理的な命令だった。
だが、ヤヌスは、その意味を、本能で理解した。
彼は、目を閉じ、アンデスで仲間を失った時の、あの燃えるような怒りを、自らの魂の中から、呼び覚ました。その怒りの脳波が、探査艇のシステムを通じて、「破砕のカデンツァ」に、さらなる混沌の燃料を注ぎ込んでいく。
スペクターは、そのヤヌスの荒れ狂う感情の奔流を、狙撃手としての完璧な精神制御で、一本の、鋭い槍へと収束させていった。
結果、水晶の檻は、二つの相反する力に耐えきれず、その内部から、自己崩壊を始めた。
パリン……!
一つの水晶が、砕け散る。
それを皮切りに、連鎖反応が始まった。
水晶の檻は、内側から、まるで美しいガラス細工が砕け散るかのように、音もなく、しかし、壮麗に、崩壊していく。
ヤヌスとスペクターは、その光の破片の嵐の中を、探査艇で突き進み、死の罠から、脱出した。
アルゴ号のブリッジに、歓喜の声が上がる。
だが、慧だけは、笑っていなかった。
彼の視線は、漆黒の宇宙の、さらに深い闇を、見つめていた。
『……見事だ、特異点よ』
コラールの声が、再び、響き渡る。
その声には、怒りも、焦りもなかった。
ただ自らの庭で、見たこともない、醜く、しかし、力強い花が咲いたのを目の当たりにした、庭師の、純粋な、そして、底知れない、好奇心だけが、満ちていた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます