第四十四章:聖域のパルティータ

『――あなた方を、この星の記憶と共に、「調律」します』

滅びた文明の、悲しき遺言。その合成音声が、巨大な鉱物貯蔵庫の静寂を切り裂いた。それは感情のない、完璧なプログラムによって生成された声だったが、その奥には、自らの創造主を失い、それでもなお、その最後の命令を守り続けようとする、機械の哀しみのような響きがあった。

次の瞬間、ドームの壁面に設置された、数百にも及ぶ採掘用レーザーの先端が、一斉に、青白い光をチャージし始める。それは、ヤヌスとスペクターという、聖域を侵犯した異物だけを、正確に、そして塵一つ残さず消し去るための、完璧にプログラムされた、死の光だった。

「……おいおい」

ヤヌスは、自分たちに向けられた、無数のレーザーの銃口を見つめ、不敵に笑った。

「神様の次は、幽霊退治か。……面白くなってきたじゃねえか」

絶望的な状況。だが、彼の魂は、理解不能な神々の戯れよりも、むしろ、この目に見え、破壊可能な「敵」との対峙に、歓喜していた。ここには、純粋な暴力と、生存への渇望だけがある。彼が最も得意とする、戦場だった。

『ヤヌス!』

アルゴ号のブリッジから、慧の、焦燥に満ちた声が響く。

『無茶だ! その防御システムは、おそらく、このステーションの主動力炉に直結している! 戦闘になれば、ステーションごと吹き飛ぶぞ! 我々が求める鉱物も、全て失うことになる!』

「分かっているさ」

ヤヌスは、背後に浮かぶ三つの至宝――青いアストライト、黒いカオス・オパール、翠のガイア・ハート――を一瞥した。

「こいつらを、傷つけずに、この鉄クズどもを黙らせる。……簡単な仕事だ」

その言葉と同時に、第一射が放たれた。

青白い光の槍が、空間を灼きながら、二人へと殺到する。

ヤヌスとスペクターは、事前にシミュレーションをしていたかのように、同時に、逆方向へと跳んだ。彼らが先ほどまでいた空間を、レーザーが交差し、背後の壁に、深々と突き刺さる。

「スペクター!」

ヤヌスは、巨大な採掘機械の残骸の影に身を隠しながら叫んだ。

「敵の、指揮者(コンダクター)はどこだ!」

「天井だ!」

スペクターもまた、別の瓦礫の山に隠れながら、冷静に答える。彼は既に、数百のレーザーの動きを分析し、その完璧な連携の綻びを探し始めていた。

「ドームの頂点、あそこにあるのが、おそらく、メインの制御ユニットだ!」

ヤヌスの視線が、上を向く。

ドームの天井中央に、周囲のレーザーよりも、一回り大きなレンズが、まるで巨大な昆虫の複眼のように、不気味な光を放っていた。

「だが、射線が通らない!」

スペクターが続けた。

「奴は、他のレーザーを盾にして、巧みに身を隠している! 完璧な防御陣形だ!」

「ならば、その盾を、剥がしてやるまでだ」

ヤヌスは、遮蔽物から飛び出した。

彼の動きは、予測不能な、混沌の権化だった。縦横無尽に、無重力の空間を舞い、次々と放たれるレーザーの豪雨を、紙一重でかわしていく。それは、死のバレエ。彼自身が、慧の言うところの「不協和音のフーガ」そのものだった。防御システムの完璧な予測計算が、彼の本能的な、非論理的な動きの前で、わずかなエラーを生み出していく。

彼の陽動によって、防御システムの注意は、完全にヤヌスへと引きつけられた。無数のレーザーが、彼を追尾し、その軌道を予測しようと、機械的な動きを繰り返す。

そして、その、ほんの一瞬。

メイン制御ユニットを守っていた、数台のレーザーの盾が、ヤヌスを追って、その位置をずらした。

その、コンマ数秒の隙間を、スペクターは見逃さなかった。彼の脳内では、アルゴ号から送られてくる敵の行動パターンの解析データと、ヤヌスの動きが、一つの完璧な幾何学模様を形成していた。

彼のライフルが、閃光を放つ。

放たれた弾丸は、ただ真っ直ぐに、制御ユニットへと向かうのではない。ドームの壁面で一度、跳弾し、角度を変え、レーザーの盾の、死角から、メイン制御ユニットのレンズの、ど真ん中を、正確に、撃ち抜いた。

完璧な、計算と、秩序が生み出した、一撃必殺のパルティータ(変奏曲)。

レンズが、音もなく、砕け散る。

それと同時に、あれほど執拗にヤヌスを追い回していた、全てのレーザーが、その光を失い、沈黙した。

静寂が、再び、貯蔵庫を支配する。

『……調……律……不能……。システム……シャット……ダウン……』

滅びた文明の最後の番人は、その役目を終え、永遠の眠りについた。

アルゴ号のブリッジに、安堵のため息が漏れる。

慧は、自らの掌が、汗でぐっしょりと濡れていることに、初めて気がついた。

彼は、見ていたのだ。ヤヌスという「混沌」と、スペクターという「秩序」。その二つが、互いの不完全さを補い合い、完璧な防御システムを打ち破る、その奇跡の瞬間を。

これこそが、人類の歌なのだ。矛盾を内包し、しかし、それ故に、神の作った完璧なプログラムさえも超える、力強い、魂の歌。

『……宝は、手に入れた』

ヤヌスの、息の弾んだ声が、通信機から聞こえてきた。

『帰るぞ、キャプテン。……俺たちの、新しい楽器を、組み立てる時間だ』

オルフェウス号は、三つの、神々しい光を放つ鉱物を、慎重にコンテナへと格納し、静かに、死のステーションを後にした。

その航海の全てを、沈黙の中で、宇宙の庭師が、どのような表情で見ていたのか。それを知る者は、誰もいなかった。

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