第3話 一生分の恩

 僕はフィリベールの手を離し、王女殿下に向き合った。


 この場を後にするには、フィリベールの求婚に対してどれほど本気か伝えなければいけない。生半可な演技では、嘘だと見破られる。


 留学生くんのことは置いておこう。助けてくれたフィリベールの善意を、無駄にしないことだけに集中しなければ。


「しかと肝に銘じました。我が公爵家のことで王家に迷惑が及ばぬよう、努めてまいります。これからは、いち臣下として国をお支えする所存でございます」


 嫌いな僕との会話を、早く切り上げたいはずだ。邪魔者の前では、新しい恋人と楽しく過ごす気分にはなれまい。

 いたらぬ婚約者ですまなかったと詫びるより、とっとと退散するに限る。


「これにて失礼いたします。王女殿下」


 我ながら冷たい声だと感じる。王女殿下と初めて出会ったときは、練習通りの挨拶ができただけで得意げだったのに。


 あのとき失敗して愛想を尽かされた方が、僕にとって幸せだったのかもしれないな。少年時代を思い出す度、王女殿下との時間も蘇りそうだ。記憶が薄れないのは過去に限った話ではない。数週間後から宮廷魔術師として城に出入りする以上、王女殿下と遭遇してしまう可能性はなきにしもあらずだ。


 婚約破棄された相手も求婚した相手もいる職場は、ほかの人も居心地が悪くならないだろうか。学校から推薦されていなければ、今から辞退してしまいたい。


 人混みを縫うフィリベールの背中を追いかけながら外へ出てからも、自己嫌悪と不安は消えなかった。


「ソラル様、馬車の準備はできております。体調がよろしくなければ、寮でお休みになりますか?」

「いや。このままベルトランの本邸へ向かう。人の目が少ないうちに帰っておきたい。寮の荷物は使用人達に引き取ってもらうよ」

「かしこまりました。こちらの通路から参りましょう」


 案内された馬車に乗り込むと、向かい側にフィリベールが座った。御者とともに、僕を屋敷まで送り届けるつもりなのだろう。


「フィリベール。何から何まですまない。僕はもう王女殿下の婚約者ではないのに」

「私が勝手に動いただけですから、ソラル様はお気になさらないでください」

「気にするよ。会場の雰囲気を変えてくれて、一生分の恩を感じたんだから」


 話しながら目頭が熱くなる。


「今の僕に優しくしても、見返りを約束できないことが悔しいな」

「ソラル様が幸せなら、私は満足です」


 求婚してくれたときと変わらない声色に、違和感を抱いた。観衆に見せつけるための演技は、終わりではなかったのか?


「そこまで大事に思ってくれるほど、僕は可愛い弟だった記憶がないのだが」


 フィリベールはにこやかに微笑んだ。


「愛おしいから。その理由ではいけませんか?」

「僕のどこに愛おしさがあるんだい?」

「王女殿下の社交辞令を鵜呑みにしてしまうような純粋さ、でしょうか」

「褒めているようには聞こえないな。騙されやすいの間違いではないのか?」


 会話が楽しいと思えたのは久しぶりだった。王女殿下とも話は弾んでいたと感じていたが、あれは不仲に見せないための最低限の会話だったのかな。確かにフィリベールから指摘されなければ気づけなかった。

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