第五章 第1話 終理 ――言葉が世界を壊す時
――世界は、再び“声”を取り戻した。
風が語り、鳥が問い、人が答える。
そのどれもが、小さな理の芽だった。
だが、それは同時に“歪み”でもあった。
言葉が戻れば、意味が生まれる。
意味が生まれれば、必ず“差”が生まれる。
差が生まれれば、人は再び比べ、疑い、拒む。
そして――世界は、また騒ぎだした。
ネモラリアの広場では、人々が集まり、
互いに「正しい理」を論じ合っていた。
「存在を許すのが灰の理だ!」
「いや、恐れを越えるのが人の理だ!」
「理なんて、もう不要だ!」
声が重なり、やがて怒号になる。
同じ“問い”を持ちながら、
それぞれが別の答えを持っていた。
リアナは人々の喧騒を見つめながら呟く。
「……皮肉ね。
“理を手放せる世界”が生まれた途端、
みんながまた理を求め始めた。」
アリュスは静かに頷いた。
「理は言葉と同じだ。
消しても、また生まれる。
“伝えたい”という想いそのものが、
もう理の一形態なんだ。」
ユミが不安そうに尋ねる。
「ねえ、これって悪いことなの?」
「悪くないよ。
でも――危うい。
言葉は理を生み、理は世界を形づくる。
けれど、“言葉が世界を壊す”こともある。」
そのとき、空の向こうで雷が鳴った。
低く、ゆっくりと。
夕暮れの光が街を染める頃、
灰の樹の根元から、淡い光があふれた。
アリュスが歩み寄ると、
土の下から声が響く。
《――言葉ノ理、再ビ息ヲ吹キ返ス。》
地が震え、光が人の形を取った。
それは――アザゼルだった。
かつての姿よりも淡く、
まるで理そのものが人の形をとったように。
「……師匠?」
「いや、私はもう“アザゼル”ではない。
言葉の理に還り、世界の声と共にある存在だ。」
リアナが息をのむ。
「どうして、今……?」
アザゼルの声は穏やかだった。
「お前が“理を外へ還した”からだ。
世界の余白に撒かれた問いの種が芽吹き、
“言葉”として形を持ち始めた。
――それが、再び理を呼ぶ。」
アリュスは目を細めた。
「つまり、また“循環”が始まったのか。」
「そうだ。
だが今回は、中心がない。
理を導く者も、統べる神も、もう存在しない。
ゆえに、世界は――“言葉の奔流”に飲まれる。」
風が急に冷たくなった。
遠くの空に、無数の光の線が浮かんでいる。
それは言葉の残響、
人々が放った理の欠片だった。
「……見えるか?」
アザゼルが指差す。
「あれが“終理(しゅうり)”だ。」
リアナが息を詰めた。
「終理……終わりの理?」
「名の通り。
理が溢れすぎ、互いを打ち消し合う場所。
それは創造でも滅びでもない――“混音”だ。」
アリュスは拳を握る。
「僕が“理を手放した”ことで、
世界は自由を得た。
でも今、その自由が――世界を壊そうとしている。」
アザゼルはゆっくりと頷いた。
「だからこそ、お前が“描く”必要がある。
灰の理を超えた、最後の理――“終理”を。」
「最後の理……」
「そうだ。
問いも答えも、すべてを抱きながら、
“言葉が世界を壊さぬ理”を見つけ出せ。」
空から一筋の光が降りてきた。
それは、灰と金が混じる筆のような形をしていた。
アリュスが手を伸ばすと、
その光が掌に吸い込まれる。
「……世界を、描き直す筆か。」
アザゼルが微笑む。
「いや、それは“言葉を描く筆”だ。
言葉は滅びの種にも、再生の種にもなる。
選ぶのは、お前だ。」
風が鳴る。
世界が静かに待っていた。
“描く者”の一言を。
アリュスは空を見上げ、ゆっくりと筆を構えた。
「――終理の名は、まだ決めない。
理は名づけられた瞬間に、もう死んでしまうから。」
灰の風が再び吹く。
光が筆先からこぼれ、空に線を描く。
それは新しい理でもあり、
まだ形を持たない希望でもあった。
「世界よ、言葉を恐れるな。
言葉を愛し、言葉に壊され、
それでも語り続けろ。」
空が応えた。
灰の雲が裂け、光が差し込む。
その光の中で、アリュスの姿がゆっくりと霞んでいく。
リアナが手を伸ばした。
「アリュス……!」
彼は振り返り、静かに笑った。
「――僕は行くよ。
言葉が生まれる場所へ。
終理の果てで、もう一度“始まり”を描くために。」
灰の風が彼を包み、空へと運んでいった。
やがて世界は静かになり、
リアナの頬をひとすじの灰が撫でた。
その灰は、まるで“まだ終わらない物語”のように、
朝日へと溶けていった。
(第五章 第1話 完)
次回予告:第五章 第2話「言葉の果て ――終理の彼方に」
アリュスが辿り着いたのは、
言葉が形を持たない“終理の空間”。
そこでは、すべての思考が声となり、
すべての声が世界を創る。
彼はその中で、
たった一つだけ“壊れない言葉”を探す旅に出る。
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