第四章 第2話 灰の空と無の祈り
――灰が、雨のように降っていた。
空はどこまでも鈍く、太陽の輪郭すら曖昧だった。
アリュスとリアナは、灰に覆われた街――〈ネモラリア〉に足を踏み入れた。
そこは、生きている街のはずだった。
だが、音がない。
人々は声を出さず、淡い灰色の布をまとい、
ただ、祈るように空を見上げている。
街の中央には、巨大な碑が立っていた。
《無を信ぜよ。理は形にすぎず、形は滅びに至る。》
リアナが息をのむ。
「……“無信徒”の街ね」
「“理なき世界”を信仰に変えた……?」
「皮肉なものよ。
理を棄てたはずの人間が、“無”を新たな理にしてる。」
二人が通りを歩くと、周囲の人々が同じ動作で頭を垂れた。
祈りというより、確認のような仕草。
彼らの唇は動いているが、音は出ていない。
アリュスが耳を澄ます。
「……何か、言ってる」
リアナが目を閉じて集中する。
「“何も求めぬことこそ、救い”……そう繰り返してるわ。」
「……それ、救いじゃない。」
アリュスは呟いた。
「願いも恐れもなくしたら、人は生きる意味を見失う。」
広場の奥に、黒い祭壇があった。
その上に立つ女が、静かに両手を広げている。
白い髪、灰の肌。
その存在だけが、街の灰色に“輪郭”を持っていた。
「――我らが母、“無母(むぼ)”に祈りを。」
その声は、柔らかく、どこか優しい。
「無こそ真実。理は影。
アザゼルの子らよ、なぜ今なお“言葉”を抱く?」
リアナが警戒する。
「あなたは……?」
「私は、“無母(ムボ)”。
この街の導師であり、かつて理を研究した者。
アザゼルが滅びたあと、私は気づいた。
“理を棄てる”ことこそ、唯一の再生だと。」
アリュスは一歩進み出た。
「理を棄てたら、世界は止まる。
問いがなくなれば、人は何も選べなくなる。」
「選ぶ必要などない。」
ムボの瞳は静かに揺れていた。
「恐れも、痛みも、欲も。
それらが“理”を生むのなら、消してしまえばいい。
無の中では、誰も苦しまない。」
「でも、それじゃ――喜びも生まれない!」
アリュスの声が反響する。
「“恐れ”があるからこそ、“生きたい”と思えるんだ!」
ムボの表情がわずかに歪む。
「……アザゼルの残滓。
あなたのような存在こそ、世界をまた壊す。」
空気が変わった。
街全体が淡く脈動する。
人々の祈りが一斉に止まり、瞳が光を失う。
「……動かない……!」
リアナが呟く。
ムボが両手を掲げた。
「無の祈りを通じて、人の意識を束ねた。
これが“統一の無律”――理なき救いだ。」
地面が震え、灰が空へと舞い上がる。
空が開き、巨大な灰色の瞳が現れた。
《――問ウナ。オマエモ還レ。》
アリュスの胸の奥が疼く。
虚無の種子の残滓が、脈を速めている。
「……また、来たのか」
アリュスは手を伸ばし、光を呼び出す。
だが、光が淡く濁っていた。
「理の力が……沈んでる」
「無律の中では、問いの力が削がれるのよ!」
リアナが叫ぶ。
ムボが微笑む。
「沈黙に還りなさい。
あなたも、理も、もう必要ない。」
「……いや、必要だ。」
アリュスの瞳が、微かに光を帯びた。
「“無”の中で眠る理を、目覚めさせる。」
「再定義――“沈黙は終わりではなく、
新しい言葉を育む胎動だ”!」
光が奔る。
街の上空で灰の瞳がひび割れ、
人々が次々と息を吹き返した。
泣き声、笑い声、驚き――そのすべてが戻ってくる。
ムボは後ずさる。
「そんな……“無”が……揺らぐ……!」
「揺らぐのが、生きている証だ!」
アリュスの声が風を裂いた。
「揺れながら、間違えながら、
それでも進むのが“理のない未来”なんだ!」
ムボの姿が光の中で溶けていく。
その瞳に、わずかな安堵が宿った。
「……そう。あなたたちの理が、続きますように。」
灰の雨が止んだ。
空がわずかに青を取り戻す。
人々が互いに顔を見合わせ、言葉を交わす。
その一つ一つが、新しい理の芽のようだった。
リアナが肩で息をしながら微笑む。
「またひとつ、理が生まれたわね」
「うん。でも、もう“再定義”じゃない。
これは“共鳴”だよ。
みんなが、自分の中の理を見つけ始めてる。」
ことの葉拾いの少女が、灰の欠片をすくい上げる。
「灰って、ね。燃えたあとの“命の跡”なんだって。
だから、また芽吹くんだよ。」
アリュスは空を見上げた。
青と灰の混じる世界の中で、
新しい問いが、静かに息をし始めていた。
(つづく)
次回・第四章 第3話「光の残響 ――再生者の選択」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます